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子どもを産まない罪悪感への共感

すごく共感!

私は子どもはかわいいと思う人間で、見かけたら微笑みかけたりするけれど、それはあくまで、他人の子どもだから。

自分が産んで育てるとなると、かわいいと思えないだろうな、過干渉になるだろうな、という考えが真っ先に頭をもたげてしまう。大変さや辛さのほうが、容易に想像できてしまう。自分が親との距離感に難しさを感じてきたからこそ、難しいのを知っているからこそ、自分が子を持つことに対して、積極的になりようがなかった。

まずもって、自分自身の世話も自分でできない大人なんだ、すぐ物を失くしたり、ミスしたりするような。人の子の親になれるような人間だとは思えない。

それに、すぐ疲れるから、ちゃんと遊んだり世話してあげられないだろう。オマエの母ちゃん歩き方変!とか笑われたらかわいそうだし…などなど。

一方では重度身体障害者の夫婦が子育てするのをテレビやYouTubeで見る度に「こんな大変そうな人たちも人の手を借りつつ、《ちゃんと》子育てしてるのに、私は障害を言い訳に、女としてやることやってないだけでは?」と思ったりして、自分を責めるばかり。

でも、それが、一緒になったとて二人の間に子どもを望まないパートナーができてみて、ようやく少し「ちゃんとしてない自分はダメ」という呪いが解けつつある。

女だから、産む性だから、という社会の何となくの空気に対して「だって自分も彼もそう産まれついたんだもん、仕方ないじゃん」と思えるようになった、というか。

もちろん、現在では、例え相手が同性であろうと男女どちらかが不妊になる因子を持っていようと、どんなセクシャリティを持っていようと、子どもを持つことを諦めなくてもいい時代だ。

家庭で養育されたくてもされず、家族が欲しいと思っている子どもだっているだろう。
だから、産みたい人や育てたい人には、産める選択肢、育てる選択肢があるといい、と思っている。

私も、いつか出産以外で子ども達に貢献できればいいなとも思う。

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