巫女と龍神と鬼と百年の恋 ⑦

「ここは神の庭です。人間である貴女がどうこうできる場所じゃない」
 白巳は先ほどまでの緊張感が取れ、気楽にこの空間の説明をしてくれる。
・神の庭のため主である樰翡様の気持ちに左右されることがある。
・穢れが許されない場所である。流血沙汰を起こさないこと。
・むやみに樰翡様のことを呼び立てないこと。神には神のやる事がある。
 普通であれば畑を耕し明日を生きるために懸命に仕事をしていくのだが、飢えも何も存在しない場所である。人の時間とは違う神の領域。
 人が住む場所では雨が降らねば作物は枯れていくが、心配する草花自体が無い。
 桜花達に逢えないと分かっていたけど、無事に生きていることくらいは伝えたかった。
「白巳、一つ質問してもよろしいですか」
「何が、気になった」
 得意げの白巳。懐かしさを噛み締めてしまうのは侻達を思い出すから。決意をしてここにきたというのに、子どものように家に帰りたいと泣いたら、人柱となった意味がない。
「私の居た場所に戻ることは可能なの?」
 以前人柱となった少女のことを桜花は話してくれたけど、戻ってきたとは言っていない。白巳が記憶を手繰る様に目をつむる。
「戻ることは可能といえば可能だが、生きたまま戻れる保証はどこにもない。命を粗末にしないと我は思う」
 どこか懐かしむように、白巳は私に笑いかける。
「天命尽きるまで待つのが一番いいと我は思うが。樰翡様もそなたが来たことを喜んでおられた」
「どこが」
 思わず素の感想を口にしてしまう。明らかに私を見て樰翡様は何かに混乱するように姿を消したように私は感じた。数秒間しか姿を見なかったけど喜んでいるようには見えなかった。
「あの方は感情を表に出すのが苦手なだけなんだ」
「明らかに夕雪と言って取り乱していましたよね。白巳様は何を見ているんですか」
 夢に出てきた神様は寂しがり屋で、お付きの者が感情に気が付いていないのすらわかっていない。人とは違う存在だからかもしれないけど、樰翡様が可哀想すぎる。
 私を見て夕雪と呟き、彼女の死を改めて実感したから姿を消したのではないのか。
 白巳はわしゃわしゃと頭をかく。
「樰翡様は元々守り主になりたくてココに居るのではない。神の加護を受けたくて人間が近くに住みついたのが始まりだ。夕雪様のお陰で樰翡様は人を気に掛けるようになった」
「村の人が祈りを捧げれば雨が降っていた記録はあるわ」
 巫女の手記には描かれていた。祈りを捧げれば神は聞き届けてくれると。私の家系の始まりは神を信じている人が居たから。
 白巳があぁ、と小さく呟いた。
「昔からの雨ごいのことか。あれは我が行っていたんだ。人々の切なる声に乞われている神が何もせずでは示しがつかぬ」
 私の声は聞こえて居なかったのかな。村の雨が少なくなっていった。毎日毎日巫女として捧げていた祈りは無駄だったのか。
「落ち込んだ顔をするでない。この空間は樰翡様が作り出している。樰翡様が心を閉ざしてしまえばそれだけ外部の声は聞こえてこないということだ」
 聞こえていない声。私はここに来るべきでは無かったのかな。夢で見たのはきっと彼。心を閉ざしていたというのならどうして夢に出てきたの。
 彼は私を見て夕雪と呼んで生まれ変わりの私であれば側にいることを許してくれるのかな。細波(わたし)では存在することを許されない。夕雪(過去の私)じゃなきゃ生きている意味がないと言われているようで。
「細波様、貴女の魂は清らかだ。何にも穢されていない。神の領域に生きたまま来られたのは他でもない貴女だ」
 近づいた白巳は私の頬に触れる。妖達と同じで人とは違う体温。少しひんやりとしていて気持ちがいい。
「どうか樰翡様を独りにしないで欲しい。心を閉ざしきってしまえば樰翡様は神ではなくなってしまう。神が存在できるのは人の願いがあってこそ」
 人でないモノのはずなのに心は人と同じように思えた。
 今にも泣きそうな白巳の顔を見てしまっては、何も言えなかった。
 私は気が付いてしまったから。
 存在する意味を、はき違えていたのは私なんだ。樰翡様が求めているのも妖達が優しくしていたのも私だからじゃなくて、夕雪の生まれ変わりなんだって。
 
 
*○*○*
 先ほどの魂をずっと昔に知っていたような気がする。ある日突然ひょっこり目の前に現れてそして消えていった。
 清らかな魂を見たことが無い。この空間からあまり出たことが無いからかもしれないが。
「・・・確かめなければ」
 彼女の魂が目の前で消えていったのを見ている。また逢いたいと切に願った。
 優しく歌う声。
 他愛のない人間界での話を教えてくれた。
 白巳もまた彼女によく懐いていた。
 永遠は無いと知っている。神ですら消えてしまうこともあるから。
*○*○*
 
波立心 2
 
「ここで好きに過ごすといい。何かあれば呼べ」
そう言い残すと白巳は私を部屋に残し姿を消してしまう。
一人きりで家にいたことは無かった。いつも桜花がそばに居て、侻が側で悪戯をしていて、蒐が当然のように桜花と私の間に座っていて。
全部全部、私が大切だからじゃなくて夕雪の生まれ変わりだから。私を大切にしていなかったわけじゃない。人の寿命は妖達にすれば瞬き程度の短いもの。ずっと一緒に居ようなんて絵空事だと知っている。
分かっているつもりでいたのに。人柱となった少女の話を聞いた時に全てが繋がったから。温かく見つめる先に居るのは私に対する愛情ではなくて。
大切にしていた少女の生まれ変わりだから無条件で大切にしていただけなのだと。
人でないモノが優しくする理由には何かしらの条件があるのは知っていた。認めたくなかった。認めてしまえば村での私の居場所はどこにもなくなってしまうから。巫女としての仕事も満足にこなせない私。
閉ざした心には私の声は届かない。それならばどうすればいい。白巳がしばらくの間雨を降らせてくれるとは言っていたが、彼は神ではない。自然の摂理を理を無条件に変更するほどの力ではないはずだ。
「最初から言ってくれれば良かったのに」
 頬を涙が伝うのはいつぶりだろう。母さんが亡くなった時はよく分からなかった。頼れる大人は居なく、人だった桜花に助けられてきたから。
 村を救うために来たわけじゃないのに、人柱になったのは夢の中に出てくる彼に逢ってみたかったから。
 逢わなければいけないと、背中を押されていると感じていたのは私が生まれ変わりだから。全部私の感情じゃ、ないってこと。
「これからどうすればいい」
 答えを知る術を私は知らない。だって私はもう夕雪じゃないから。
 細波として生まれて生きて来たのにどうして誰も私を見てはくれないの。
 
 
 
〇●〇●〇
 
 待ちに待っていた人間の娘がやって来た。樰翡様は細波様を見て夕雪と言った。
 それはきっと覚えていたことだと思うから。
 希望に掛けてみよう。何かが動き始めた気がする。
「樰翡様どうか忘れないでください」
 貴女を想っているのは我だけじゃない。夕雪様も貴女を想っているからこそ約束を違えず戻ってきてくれた。それだけでいい。
 神よりも欲深い人間の約束は正直半信半疑だった。いくら清い魂を持ち合わせていたとしても、人間には変わりがない。
百年もの間なんの音沙汰もなかったのは『生まれ変わる』という人特有の魂の巡りのためだろう。人は生まれ変わると前世の記憶を忘れると聞いている。戻ってきたとて二人がまた以前のように過ごすという保証もない。
姿は違ったとしても魂は同じ。
樰翡様が唯一心を開いてくれたのは夕雪様だけで、我にすら心を開いてくれていない。長くそばに居て気が付かない程我も愚かではない。
主の幸せが我の一番の望み。
 彼を主と定めたとの時から全てが彼の為になる様に動いている。
例え従者が天候を操ることが本来はしてはならぬ掟だとしても。元々緩やかに自然を感じ生活をしていた樰翡様の元に人が集い崇められただけ。居心地がいい場所から離れないだけで実力は折り紙。何かを感じ取った人間たちが樰翡様のために定期的に祈りを捧げたり貢物をしてきているだけに過ぎない。
 我にとって唯一無二の存在の樰翡様が消えてしまわないように。守りたいそれだけ。
 凍り付いている心なのは我が出会った当初から変わらない。夕雪様が少し溶かしてくれただけで、また固まる前に細波様が現れた。
 今度こそ樰翡様が心から笑える時が来ますように。
 
    〇●〇●〇

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