巫女と龍神と鬼と百年の恋 ⑥

 白巳と名乗った神の使いに誘われるままどれくらい歩いただろうか。どこまで続くか分からない澄んだ空が広がり景色に何の変化もない場所から目の前に白い社が見えてきた。湖にある龍神が祀られているものに酷似している。湖にあるものと違うところをあげるならば、色が真っ白なことと人一人くらいが入れるくらいの大きさをしていた。
「着いたぞ」
 白巳は社の中に入っていく。外見からする奥行きよりも広く、置いていかれないように後をついていく。
「ここは樰翡(ゆきひ)様の力で出来ている空間だ。外見だけで判断するまでない」
 神は人の考えの上をいくものだという事をすっかり忘れていた。
「私の住んでいた場所にあるものに似ていたから驚いているの」
「人間界にあるものは神が人に与えたものだ」
 白巳は得意げに答える。
「さて、連れてきたのはいいものの樰翡様はどこにいらっしゃるのか」
試案するようにこの後の段取りを考えているように見えた。連れてこられた部屋も外の世界と同じように白一色で家具などは何一つなかった。四角い部屋の中で四方に出入り口がある。
初めて会った瞬間から白巳に恐怖も警戒心も抱かなかった。妖怪達に慣れてしまっていたからか、恐怖心を落としてきてしまったのか。
「黙って何をしているの?」
「樰翡様の居場所がどこなのか考えていただけだ」
「樰翡?」
 私は聞いた事のない音の響きに興味が湧く。白巳の目が細められる。
「呼び捨てにするとは無礼者」
眼は剣呑な光を宿っていた。無邪気な子供のような雰囲気は消え失せる。
樰翡というのが白巳の主で、村で祀っていた龍神の名前なのかな。
「ごめんなさい」
 深く頭を下げる。他人に対する礼儀を忘れることは人としてしてはいけない事。人間の棲む場所とは違うから理屈が通用しない。
 私の行動に一瞬だけ眼を丸くし、すぐに笑顔になる。
「大概の人間は簡単には認めたがらないのに」
「知らなかったのは私の方なのですから」
悪いことをしてしまったら謝るのが当然のことで、相手を不快にさせてしまった事実は変えられない。
「自分の欠点を受け止める事が出来るとは」
「認めて治せるのは他の誰でもない自分自身です」
白巳の瞳には優しい色が宿っていた。
「人間は自分のことを一番よく理解している。余計に醜い部分から眼を反らす特徴がある。お主はちがうようだな」
 ひときしり笑い段落すると白巳は質問に答えてくれた。どうやら忘れていた訳ではないらしい。
「樰翡様は“龍神”神の名前だ。人間ごときが気易く呼んでいい名ではない」
 白巳の表情からは獲物を狙う動物の本性が垣間見れた。その気配にぞくり、とした。
 見た目だけで相手の力を判断してはいけない。
「警戒しなくても、ここで血を流すような真似はしないから安心せい」
 私の心を読み取ったのか白巳は静かな口調だった。私が彼の感情を読み解くことなんか到底不可能だ。逆に弄ばれてしまうだろう。
「質問をしてもよろしいですか」
 私が生きたまま社に来た理由。
「何を恐れているのか分からないが、お主の命をどうこうしようという気はない。むしろ異界に五体満足で流れ着いたのが驚きだ」
「異界・・・?」
 私の反応を予測していたのか白巳の笑みは得意そうなものに変わった。
「樰翡様のお気持ちで出来ている空間だ。人間は来れない仕組みになっているのだが、例外もある。流れ着く者たちが生きている保証はどこにもない。生きていたとしても来る途中で何処かに大切なものを落としてきていることの方が多いからな」
 私が無事にここに存在している事が珍しく、それを楽しんでいる様子だ。
 何かを落として来たというのなら私に恐怖心がない事を指しているのかもしれない。何を落とすかは明確に決まっていないのならば心を全て落とさないで良かった。
「神の領域は人間の躯では耐えきれないのだ。神聖なる場所であるから殺生に関わる事はまずしない。神の考えは人間の考えの上をいく。お主に理解出来るか楽しみだな」
「人でないモノと過ごす機会が多かったので、一般の人たちよりも理解出来る自信はあります」
 白巳は答えを待っているようには見えない。白巳はきっと私の出方を見て楽しんでいる節がある。だったらその予測のはるか上をいってみようじゃないか。私の言葉に白巳は一瞬だけ瞳を開きそして口の端を釣り上げた。
「・・・誰だ?」
 抑揚にかける声がした。振り返ると澄んだ水色の眼をした銀髪の髪は床に付くくらい長く、白一色の着物を着ていた。きらびやかな装飾は一切ついていない。よく見ると耳の先が少しだけ尖っていた。白巳は平伏した。
「樰翡様、この娘は細波と申します」
 私は目の前に居る人が村を守っていた龍神様で、空間の支配者。
男性とも女性とも区別のつかない龍神は美しい人だった。見た目の話をしている訳ではない。
 心が澄んでいる。
 私が夢に見ていた寂しがり屋の神様なのだと確信した。
 
 
 
 小さいころはよく見ていた夢を最近見ていなかった。声なき声で泣く神様はどうして私の前に現れたのだと、必要としてくれているから現れてくれたのかと淡い期待をしてしまった。
「私の祈りは聞こえていましたが?」
 聞く必要などないのは知っていた。どうしても聞いてみたかった。巫女としての責務をこなしていたけど証明されることは無かったから。妖怪達が私の言いつけを守ってくれたのは少女の生まれ変わりだったからなのかもしれない。初めから私(・)だから優しくしてくれていたわけじゃないのかもと桜花の告白を聞いてから考えるようになった。
白巳が私と樰翡とを交互に見ている。
消え入りそうなほどの白さにゴクリと唾を飲み込む。静寂に飲み込まれそう。
「夢の中に出てきた神様ですよね」
沈黙を破るかのように白巳が私の腕を掴む。
「細波様っ」。
 白巳の怒鳴り声に驚いた反応もしないまま、足音も立てずに樰翡は私の元へと足を進める。白巳はその姿に驚いたように目を見開き、私の腕を離す。
「知って、いる」
 耳を澄ませないと聞き取れないほどの小さな声。夢に出てきた神様と同じ純粋で、優しく触れないと壊れてしまいそうなほどの脆さを感じさせる。
 首を傾げ私と視線を合わせる。吸い込まれそうなほどの水色が湖の色に被る。
 ためらうように私に手を伸ばす。
「夕雪(ゆうせつ)、違う。彼女は」
 伸ばした手が私に届くことは無く、樰翡は音もなく姿を消した。
 白巳は悔しそうに唇を噛んでいる。
「白巳様」
「何でもない、場所を移しましょう」
 
 
 通されたのは社の中の一角。全て白い部屋に寝具が一つ部屋の隅に置いてある。
「何を根拠にあんなことを言ったのですか」
 座布団などは存在して居なく、白巳はドカッと胡坐をかく。私は向かい合うように座った。
 樰翡は姿を消し、白巳の目には剣呑な光が宿っている。
「細波様は神の逆鱗を知らない」
 白巳の不器用な優しさに自然と頬が綻ぶ。
「心配してくださるのですね」
 真っ先に私を心配してくれるのはいつも異形のモノだ。人の仲間に入れない私に居場所を与えてくれる。
「違うわい」
「それじゃぁ、夕雪って誰ですか」
 聞いたことのある気がする音の響き。確信は無いけれど、何処か懐かしくてそれは白巳や樰翡の名前を聞いた時も感じていた。
「細波様が来る前に生きたまま流れ着いた者の名だ」
 桜花から以前人柱になった者の名を聞きそびれていた。こんなことなら聞いておけば確認が取れたのに。
 樰翡は私のことをみて「夕雪」と呼んだ。違うと言い姿を消した。
 私が人柱になった少女の生まれ変わりだと桜花は断言した。生きたまま流れ着いたのが彼女であればここで暮らしていたのだろうか。
 私が生まれ変わっているのであれば彼女は死んでいる。
 神様である樰翡は夕雪をずっと探し求めて、夢の中で悲しくて泣いているの?
 生まれ変わりの私が人柱としてここに来ても、奈々のような子を村から無くすことは出来ないというのか。
「細波様が悩む必要はない。村に雨が降らないのであれば少しくらい調整しよう」
「できるのですか」
「神の使いをやっているからな。多少であれば可能だ」
 白巳は立ち上がる。
「樰翡様は特別殺生を好むわけでもない。神の領域を穢れで満ちさせるわけにもいかないからな。しばらくここに居ることになるだろう。自由にこの場所を使ってくれ」
「いいのですか」
「いいも何も帰ることは叶わない。先ほど夢がどうだか言っていたが、細波様は樰翡様と逢ったことがあるのか」
「寂しくて泣いている神様が出てくる夢。神様は感情の名前を知らなくて、どうしたら不安を拭えるか検討もついていなくて」
 お付きの者に心も開けない神様。従者が知らない訳がない。主人が大切だからこそ側に居続けていることも分からなくて。
 私の祈りは村に雨を降らせて欲しいというもの。届いていたら村が飢饉に陥ることも人柱を立てようという話も出なかっただろう。
  人としての居場所に固執していたのは私自身だ。妖怪達が視えていれば全員、私が側に居てもいいと言ってくれる。約束をした少女であれば尚更の事。
 私という人じゃなく、少女の生まれ変わりだから側にいることを許されていたのかもしれない。
 妖怪たちに大切にされていたのに酷いことをしてしまっていた。
 今気付いてももう遅い。
「急に黙り込んでどうした?」
 白巳は私のことを下から覗き込んできた。心配そうに覗き込む瞳はビー玉みたいに綺麗だった。
「自分のしてきたことが偽善だったことに気がついて嫌気がさしたの」
 感情に敏感な妖怪たちが気づかないはずがない。彼らは分かっていて私の側にいてくれた。
「欲望のままに生きるからこそ人なのだと思うのだが」
 慰めの言葉ではなく白巳達「異形のモノ」の視点。本能のままに生きるのは、生きることを選んだ者の課題なのかもしれない。
「私も人間なのかな」
 育ててくれたのも、友達になってくれたのも全員が妖怪。人の殻を被る妖怪は居る。桜花も蒐も見た目は人間に近かった。私自身が人だと勘違いをしているだけで根本は妖怪なのかもしれない。村の人達はそれを見抜いていて私をのけ者にしていたと考えるとしっくりくる。
「どう見ても人間に見えるが、問題があるのか?」
 人でなければ良かったのにという言葉を飲み込み私は白巳にここに居るための約束事を教えてもらった。
 
 

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