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駐妻のアイデンティティロス

フィリピンで交流の輪を広げる中で、現地採用で働く女性と会い、初対面の場で、名刺をいただくことになりました。

旦那さんの帯同に伴い退職し、駐妻となり、現地採用している会社で雇ってもらって働いているとのこと。

久しぶりに名刺を受け取った時に、「あ、いいな」と羨ましく思い、今の自分には、所属する組織もなければ、肩書もない、ということを改めて思い知りました。

その女性からマウンティングのような嫌らしさはなく、初対面のときのスムーズな導入と信頼のための一歩に過ぎなかったのですが、だからこそ羨ましく感じました。

それに、名刺を受け取るという「プロセスそのもの」が久しぶりだなと思い出しました。

私は、新婚でもあるので新姓がまだ不慣れです。「○○さんの奥さん」という呼ばれ、「え、誰!?わたし!?」という気持ちになるばかり。全然しっくりこないし、自分がただの夫の付属品であり、付属品でしかない感じがする。

フィリピンにおいては、女性は誰でも「マーム」と呼ばれるので、特に意識することはないのですが、日本人での駐妻の交流はこういう呼称になるのかなと感じます。

イメージしていた駐妻社会ってこんな感じなのか、誰も違和感ないのかな、と思いつつ、一方で、私には所属する場所はここだけなのか!私は夫の付属品なのか!と改めて感じることに。

幼い頃は旦那さんの名字になるのが憧れだったはずなのですが、自分の象徴をひとつ、失っちゃった感じがする。

私はなにも変わっていないハズなのに。

そもそもこんなことを感じて「可愛くねえな、ワガママだな」という感じなのでしょうか。女性だけに起こる、巷に言う、女子力が弱いのか、私の自己主張が強いのか。

帯同を決めるにあたり、生活環境が大きく変わって付き合う人が変わり、仕事がなくなって、名字も変わって、人生激動の真っ最中が訪れました。

書面での職業欄には「主婦」と記載するけれど、主婦といえるほど家事してるか!?と思うと、それも違和感があったり。

「学生」というほど勉強してないよな・・と思うと私一体何してるんだろう??感はあって。

駐妻生活によるホームシックやキャリアロスもあるかもしれませんが、海外は初めてであるものの、自身の国内転勤は経験しているので既視感があったり、海外旅行は好きだったため、まだその延長感を感じていた時期でもありました。

なので、日本や仕事が恋しいというよりも、私にとっては「自分って何者なの!?」と感じるアイデンティティロスのほうが大きいように思います。

ただ、そんなふうに感じても、すぐに現状を変えられることばかりではない。私は無力な、ただの一般人だということもよくわかっているし、憤りをあらわにして言いたいことがあるわけでもない。

世の中の常識や通例なのだから、大多数のひとにとって便利で、多くの事象にとって効率の良いことだし心地よいことなのだろうとも感じます。

だけど、ふと変だなと感じることを捉えて考えたり、少しでもおかしいと感じることをおかしいと言うことはできる。その感覚まで鈍らせることはしたくないし、思考の歩みだけは止めたくないなと思っています。

いろいろ振り返りましたが、だいぶ馴染み親しみ、自分の駐妻としてのアイデンティティにも開き直ってきたところではあるのですが(笑)

これから生きていく中でも「自分らしく生きる」ってなんだろうと思わせられています。


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