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肩書きや呼び名について思うこと【駐妻4年目ver.

駐妻4年目に突入。

呼び名や肩書き、名称のことについての気持ちの変遷を綴りたくなって書いてみます✨

◆駐妻生活の最初のころ

私は渡比当初の頃、「駐在妻」「駐妻」と呼ばれることに抵抗がありました。

駐在妻というのは、「海外に駐在する会社員の妻」ってことらしいのですが、世間のイメージしている駐在妻(家庭的で一歩引いて旦那様を立てる、というような)と私とは乖離があるし、なんだか夫の付属品で持ち物みたいな表現に思えたんですよね。

だけど、私は何者かと問われれば、夫の駐在についてきた駐妻であることは間違いない。私のことを端的に表す身分であることは理解できるのですが、自らのアイデンティティを奪われたような気持ちになりました。

また、私は結婚と帯同が同時期だったので、夫の海外赴任により生活が一変することに。
結婚し、帯同のために仕事等の社会的な活動をストップさせたことで、今までの所属や名乗れる肩書きもなくなったことに気づきます。
何年も呼ばれてきた名字とは異なる名前で呼ばれ、○○さんの奥さんと呼ばれることが増えました。

私の場合、「あっ私、名字変わったんだったぁー!(でれでれ😳)」、と結婚を実感し浮かれる・・なんてことは全然ありませんでした。
むしろ、毎回「え?だれ?私?」と戸惑い、名字が変わることで私だけに発生する手続きがひどく面倒に思えていました。
(可愛くないっていうのかなこういうの)

加えて、所属についても思うところがあって。
私を表す「◯◯さんの奥さん」という呼称に加え、こちらに来てからというもの、職業は「主婦」と答え、書類等の回答欄には「主婦/expat wife」と書くことになりました。
しかし、しっくりこない‥。残念ながら私は堂々と主婦と名乗れるほどのスペックで家事ができるわけでもないのよな、と思ったり。

また、職務経歴書を書いてみると、帯同している現在の期間は所属や肩書きのない数年になってしまうことに気づいたり。

「じゃあ新しい名前で活動し、新しい所属を見つけ、新しい肩書きを得ればいいじゃない」なんて思うのですが、駐在家族特有の、行動や活動における制限もあってできることが限られてきます。

さらにコロナにより、できないことばかりが増え、窮屈な気持ちばかりが募ることに。

仲間や所属探しの際にも、自身の留学や現地就労、駐在員としてのひとと同じというようには行きません。行動や活動の範囲や時間帯も異なることで、やり取りそのものが難しかったりもしました。

・・そうなるとやっぱり、駐在妻向けの活動や、専業主婦向けのコミュニティーに顔を出したりするのですが、それはそれでまた「馴染めない自分」を思い知るだけだったり。


結婚が原因なのか、帯同が原因なのか、その両方が同時に発生したからなのか。私は私の自分の所属も肩書きも呼び名もしっくりこなくて、居心地の悪さを感じていました。

そんななかでのフィリピンでの生活。どうなるやらと不安でしたが、思ったよりもいろいろな挑戦ができたり、自分が思いもしなかった経験をしたり、困難も含めて楽しむことができたりもしています。

しかし、ここで一生暮らすわけではない。
いつかは本帰国して、日本の社会のなかで暮らすことを見据えなければと思う部分もありました。

職歴においては、空白となりそうな帯同期間。キャリアブランクを埋めるのに見合う、帯同期間が評価されるような成果をあげるべきだという勝手なミッション意識と、何も決められたルールがないなかであれもこれも取り組まねばならないという焦り。そのうえ、高みを目指そうとしても、異文化のなかで苦戦するばかりで、何も成し遂げられていない自分にモヤモヤします。

そんな奮闘している自分は「駐妻」と呼ばれ、
今は自分自身の所属や肩書きがなく、名前すらも異なり、どの呼称もピンと来なくて、なんとなく自分を見失った感じがありました。


◆きたる4年目

ですが、きたる4年目。

4年目ともなると、
もはや何も感じなくなってくる!笑

なんて呼ばれようが、
世間様からどのような区分を受けようが、
私は私で変わらないということを悟りました。はっはっは~~

そう、
本質は何も変わらない。

(当たり前のことをいきなりドヤ顔で書く私)

掃除も洗濯も大嫌いだけど、
今ではなんの躊躇いもなく主婦と答えています。

名前については、フィリピンでは下の名前でしか呼ばれず。スタバやカフェで書かれるのもAyaであり、プロボノ等々の仕事でも下の名前を使用しています。

旧姓の使用はといえば、名字を変更しきれず、旧姓のままのダイレクトメールや書類が届いたりするときに思い出す程度でしょうか。

実は名前については、駐妻になる前は、復職後に絶対に旧姓を使おうと決めていました。(制度上、旧姓の使用は可能。)
「旧姓じゃないと周囲が戸惑うだろうしな」「休職して忘れられちゃっているだろうし、過去の実績とかに紐づけて、みんなが覚えてる旧姓のほうがいいよな」「私らしい私は旧姓!」・・な~んて気持ちがあったんですよね。

ですが、今はもうどっちでもいい。笑


また、復職したとしても転職したとしても、「この駐妻期間に得たもの」「海外生活を通して学んだこと」といった、日本社会の評価軸から見て、わかりやすい成果をあげたいと焦る気持ちもありました。「わかりやすい」ってなんだろう?TOEICで高得点を取るとか、一流の資格を取得するとか、なんらかのコミュニティーでバリバリ成果をあげるとか?

そんなことを慮って、何事もゴールから逆算した目標設定をしたり、他者の成功事例を探しまくって模倣しようとしたり、客観的に見て自分の評価位置や自分への期待を知ろうとしたりしていました。

それに沿って無理やり目標設定したりもしたのですが、立ち向かうのがつらかったり、誰かを目指そうとすると届かない凡人な自分が残念でならなくて苦しかったり。もがいている間に、結局何も目立ったコトなんてできずに、限られた帯同期間が終わりになるんじゃないかなんて思いが頭をよぎり‥!こんなはずじゃなかったのに、つ、つらい‥。

なーーんて思っていました。


しかし、そういうものに縛られていた自分はすごくつまらない。そう、つまらないのよ。
せっかく日本を飛び出てきたのに、日本の仕組みの延長線上でしか物事を捉えられないなんて、かつての私はとても視野が狭すぎるようにも思います。

それって、なんだか全然おもしろくなーーーい!

(誤解されそうですが、世の中にいらっしゃる華々しい成果をあげているかたを否定したいわけでは全然ありません。リスペクトしているし、いろんな才能や能力やご縁があることをうらやましくも思っています。)

所属についてだって、もともと身軽に生きていきたいと思っていた信条とはかけ離れたこだわりにこだわっていた自分を知りました。

呼び名ひとつ変わっても、所属や肩書きがなかろうと、良くも悪くも私は私なのだわ、という極論へ到着し、ようやく本当の意味で身軽になったような気分です。

それから、私のなかに他人の目を気にする気持ちがあるのか、私の自己肯定感の低さゆえのコンプレックスなのか、「あなたはいい帯同生活を過ごしたね」と他人から言われるような充実した暮らしをしたい(せねば)、と思っていた部分があるように思います。

でもフィリピンで暮らしていると、良い意味で他人のことなんて気にしてなくて良くて、もっと自分本位に生きていいんだなと思えて。
「あーやっぱりいろんな意味で帯同よかったー!」ってほかでもない私自身が思えればいいな、って原点回帰したようなところがあります。

4年目にして、やっと肩の力が抜けた感じでしょうか。

とはいえ、いつの日か本帰国し、復職や転職をすれば、まったく違うことを言っている可能性もありますが🤣、
もう少しのびのびとした時間と、ゆとりをもったからこそのチャンスやご縁を確実に掴んでいけるような心の余裕と身軽さを持って過ごしたいです。


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