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小説「沖田くるみと11人のスター」

沖田宗四郎おきたそうしろうは十二人居た—

昭和の名優・沖田宗四郎(享年八十二)の孫で女優の沖田くるみが、衝撃の事実を発表。自身初主演となる映画『女神の結婚』の舞台挨拶にて、祖父・沖田宗四郎は実は十二人兄弟であり、役ごとに協力し演じ分けていたとのこと。所属事務所によると—


専属メイクの真由ちゃんが仕上げた化粧を、鏡の前で入念にチェックする。

「うん、大丈夫。今日もありがとう真由ちゃん」
「くるみさん頑張って。行ってらっしゃい!」

真由ちゃんがポンと背中を押す。そして沖田くるみは、光の中へと歩きだした。


記者会見で沖田くるみは、多くの方を長年欺いてきた祖父とその兄弟達について、まずお詫びをし、深々と頭を下げた。

「昨年末に沖田宗四郎が亡くなった際、多くの方に参列いただきました。その葬儀は一番末の弟、わたしにとっては大叔父にあたりますが、二郎つろうのものでした。沖田宗四郎の兄弟は上から、沖田宗一郎、宗二郎、宗三郎、宗四郎、宗五郎、宗六、宗七、宗八、宗九郎、宗十郎、十一といち十二郎とつろう、となり、年の差は二十ほど離れていました。戦争で両親を亡くした兄弟は、まだ小さな弟達を養うため骨身を削って生きてきたと聞いています」

戦後の混乱期に役者を目指したのが宗四郎だった。当時の役者のギャランティなど二束三文だったが、それでも沖田兄弟にとっては大事な収入源だった。

しかしあろうことか宗四郎が不慮の事故で帰らぬひととなる。享年二十八、現在の沖田くるみと同じ年だ。火葬代すら事欠く兄弟は困り果てた。そこで三番目の宗三郎が言う。

「おらば代わりに宗四郎になっちゃるけん」

このとき沖田家の運命は決まった。宗三郎には役者として光るものがあった。それは宗四郎以上のものだったかもしれない。宗三郎が演じる沖田宗四郎は、テレビの普及とともに国民に広く知られる存在となり、彼は一躍トップスターの座へと踊り出た。日に日に忙しくなっていく宗三郎。しかし彼には役者として致命的な欠点があった。酒が飲めなかったのだ。

酒の席のたび疲弊する宗三郎。
それを見かねた六番目、宗六は言った。

「宗三郎が倒れちまう。酒の席だけは俺が宗四郎になっちゃるけん」

幸運なことに兄弟はみな顔がそっくりで背格好もよく似ていた。兄弟達の並々ならぬ努力によって、スクリーンに映らない私生活でさえも、入念に演じ分けた。

仕事は決して手を抜かない。主演はもちろん、エキストラと変わらないような端役でも兄弟たちは熱心に研究した。誰が演じることがベストかを話し合い、常に最良の『沖田宗四郎』を世間へ提供し続けた。本来の沖田宗四郎が歳を重ねるたび、兄弟たちは徐々に代替わりをした。時に若々しく時に渋く、適材適所、協力して演じ分けた。

結果、彼は作品に溶け込み、馴染み、他の役者を引き立て、話に深みを与えた。稀代のトリックスター、皮肉なことに人々は彼をそう呼ぶようになった。

長いこと沖田家の秘密として守られていたが気付く者も現れた。自宅で鉢合わせたマネージャー、勘の良いプロデューサー、ヘアメイク、スタイリスト、それぞれに居る友人、そして愛人達…。

しかし彼らは真実を知っても固く口を閉ざしてくれた。今や失われ、埃をかぶった義理と人情。そんな美しい絆がまだ、強く残っていた時代だった。何よりも皆がみな、沖田宗四郎という人物、十一人の努力により作り上げられた架空の沖田宗四郎—豪快で明朗快活、時に繊細で、誰よりも人間らしい人間—を、心底、愛していた。

計り知れない努力と周囲の協力に支えられ、十一人の沖田宗四郎は生きた。最後の一人になるまで、スターとして生き抜いた。

その秘密を、守り通して。


記者会見場はえも言われぬ不思議な感動に包まれていた。それはテレビの前の視聴者も同様だった。

「今後彼の半生を描いた小説を執筆するつもりです。今日お話しできなかったことは、そちらに書く予定です。ぜひ読んでください」

最後に沖田くるみは映画の告知をして会見は終了。昭和の名優の驚愕の事実に、驚きはしたものの世間はその告白を好意的に受け止めた。会見での沖田くるみの好感度ゆえもあった。小説は異例の大ヒット。映画『女神の結婚』も連日満員御礼となった。


今や映画だけではなく舞台女優、小説家、歌手、声優、イラストレーターと、多彩な才能で超売れっ子となった沖田くるみ。仕事を終えて帰宅すると、疲れた様子で溜息をつき、自宅リビングの扉を開く。
「ただいまぁ」
「おかえりなさーい」

おのおの寛いでいた十一人の沖田くるみが振り向く。
揃って今日の『沖田くるみ』へ労いの声をかけた。
沖田家の秘密は、続く。





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