アナと雪の女王

 大女優の片鱗、松たか子。お母さんより高く遠くに伸びる声、神田沙也加。どちらも素晴らしかった。「ありの~ままの~」と歌いながら家路に着いたもんなあ…。 と、ここまで書いたら書くことなくなっちゃった。 あんなに大ヒットしたってことは、二人の歌の他にも世界中の人たちが欲しがってるものがそこにあったってことでしょう。何だろう。分からないから考えます。以下、たっぷりとネタバレします。

 まず…エリサに怪我を負わされた幼いアナ。両親はアナを連れ森へ。魔法を使えるトロールが両親に言う。「怪我を治してやろう。ついでに『姉さんが魔法を使えるという記憶』だけ妹から抜こう」 …これが分からない。だってアナはエリサの魔法を受け入れてる唯一の理解者でしょう。自分が怪我した理由も分かるし…。それを奪う…何で?トロールも両親もなぜそんなひどいことをするんだろう。 

それから 両親に部屋に軟禁され外界との接触を禁じられるエリサ。妹アナには「姉が魔法を持ってる記憶だけ」がないから、何で姉が自分に冷たくするのか、部屋に引き籠るのか分からない。深まる二人の溝…。 

 これがこの映画の制作者の意志ですね。「呪われた姫君モノの定番」だと…不幸な力がある姫は塔の上に幽閉されて、即位するのは健常な妹のほう。 でも、それだと妹は「姉さん、呪われた力があってかわいそう…」って思っちゃうから、二人の溝は深まらない。 

 そういうことだ。この映画は「姉妹のあいだに生まれた溝」ってのを、出来るだけ簡単にポン!ってやりたかったんだな。 普通はそこに「ドラマ」を使います。例えば「呪われた姉ばかり両親に愛されてる。妹はそれに嫉妬して…」とか。「健常で眩しい妹を想い、呪われた力を持つ姉は自ら身を引いて…」とか。 

 でも、いま書いてて思うけど、最近の映画の傾向としてはやっぱタルいんでしょうね。お話が動き出すまで、そこにそれなりに尺を使わざるをえない。人の心が動いてるときは、人の体はじっと息を潜めてることが多いですし。塔の中でじっと息を潜めて妹のことを考えるエリサとか見たかったけどな…。 

 姉妹の溝を描く。でもその理由や納得いくドラマは作らない。なぜならタルいから。では「トロールの魔法で妹の記憶が抜けちゃう」ことにしよう。そうすれば姉の真意が分からないままで溝だけが深まる…。 そう決めた制作者(脚本家チーム?)は、いかに設定のボロを出さないかに(御都合主義をどうごまかすかに)尽力する。物語をどんどん前進させる。

 妹の記憶を抜き、姉を閉じ込めるなんて真っ当な両親のやることじゃないよなあ…。そう思い始める頃、両親が難破で死ぬ。

 姉は軟禁されたまま、城の門も閉じたまま、その後数年が過ぎる…。え?じゃあ誰が王国の政治を?執政みたいな爺さんがいるのかな…。 そう思い始める頃「姉が成人。即位の議が行われる」ということになって疑問は置き去りにされる。 

 んで、青年期にさしかかった妹はスクスクというか、だいぶヌケて育ちディズニー史上最高に貞操観念のない娘に成長。会ったその日にどこかの馬の骨と結婚したいと言い出す始末。いろんな疑問も、アナのお尻の軽さが面白いし、王子とのミュージカルシーンが案外素晴らしいので「まぁいっか」と思ってしまう。 

 しかし一番の疑問は何でエリサを即位させるかってことですね。呪われた「雪の力」が強まるばかりで本人も怯えてるというのに…女王になんかなれないよ。何で誰もダメを出さないんだろう?娘が成人するまで政治を執り行ってた人がいる筈なのに…。そうそう。普通、呪われた姫君ってのは塔の上に幽閉されて、即位するのは健常な妹のほうだよなぁ…。 そんなことを思ってると、エリサの能力がやっぱり人前で発動。ついでになぜだか暴走して国中が氷漬けになってしまう…。

 ここから後は「素晴らしい脇道」と「苦しい言い訳」がどんどん続く。 エリサが雪山に「氷の城」を気付く「let it go」は素晴らしいし、トナカイ男との出会いやオオカミの群れとのレースとかも迫力満点。 でもエリサが氷の城で何を食べてどう生きて行くのかとかは全く示されない。まぁ気分やイメージのお城だからいいのかな。

 あと雪だるまがこれまた!ディズニー映画の主人公に付き従うちびっこキャラの中では一番の能無しでびっくり。白雪姫の小人たちみたいな「主人公が心をよせる。お返しとして助けてくれる」みたいな有機的なつながりが皆無。ただのギャグ要員だったのが凄い。でもこれも「素晴らしい脇道」のひとつなんだと思う。笑っちゃったもの。 

 そしてヘビー級の言い訳が後半登場。トロールのもとにアナとトナカイ男が訪ねていったとき。「(幼いアナを助けてくれた)魔法を使えるトロールはいま寝てる」と言って登場しないこと!これは凄い。あのトロールが出てくると一気に責任問題が出てくるから。エリサが孤独に落ち、能力を暴走させ、国中を凍り付かせた原因は、「両親と魔法使いのトロールが、傷ついた幼いアナの記憶を抜いた」ことにあることが明るみに出てしまうから。だから彼は「いま寝てる。ここにはいない」…。 この言い訳が一番凄かった。 

その後、静止した雪の中のアクションシーンとか、素晴らしい脇道をくぐり抜けてたどりつくのがあのシーンですね。 エリサに向かって振り下ろされる刃。アナが自分の身を凍らせて盾となって立ちはだかるところ。あのクライマックス。 あの青く凍ったアナの肌の質感も素晴らしかった。 しかし、この物語、言いたかったことってこれだけなんですね。

 幼い頃、姉から受けた傷を許す。 

かつて果たせなかったそのことだけを100分くらいかけて語った。物語をたくさんの言い訳で繕い、素晴らしいミュージカルシーンの脇道で彩って。 姉妹愛だけで勝負するなら、現代でもプリンセスものをやれる、と踏んだ。それを成り立たせたってことが大ヒットの原因でしょうね。女の子たちはプリンセスが大好き。それが出来ているのだから。 だから男たちの添え物感は半端ないです。命がけで姫を救ったのに貰えるものは「お城出入りの氷屋の資格と新しいそりだけ」って…トナカイ男、お前はそれでいいのか(笑)!