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365日を迎えて

大学の一年次が終了した。また地球が太陽の周りを一周した。月はすでに地球の十二周もしている。私は少し大きくなって、一年前より少しだけ遠くを見つめるようになった。

月をよく見上げた一年だった。自然の循環とか、思想の循環とか、時の循環とかをよく考えた一年でもあった。「lunatic」(ルナティック)という言葉に意味もなく惹かれた。月が持つ怪しげな光に心が靡いた。

一年前はよく外を見た。上に浮かぶ月ではなく、横に広がる街並みを眺めた。ウイルス感染拡大の影響でがらりとした高速道路を窓から眺めた。買い物に出かけるおばさんの買い物ローラーがガタガタと歪に揺れ動く様をなにが面白いのかじーっと見ていた。

春は暑かった。外の景色と再び輝き始めた太陽を尻目に部屋のエアコンをつけた。ウイルスのせいで、外に出てもなんらやることがない。走ったりボールをついたり、何かを見つけてはベッドから動く理由を探したきがする。

夏は動いた。緊急事態宣言も解除されて東京の街が少し息を吹き返した。まだお客が足りず苦労するお店たちの値下げにペコっとお辞儀をして、いつもより少しだけ贅沢な夏を送った。

秋は泳いだ。大学に進んだ。大海原に放り込まれた。泳ぎ方を覚えなければならなかった。スタートダッシュそうそう溺れたけれど、ゆっくりと平泳ぎを覚えた。大海原は波も大きくて、今度もまたもっと大きな波に流されそうになるたびに、少し足掻いて、一歩下がって二歩進むたびに、新しくついた筋肉に気づく。いつだって筋肉痛だった。

冬は潜った。氷面下に少し居心地のいい流れをみつけた。あまり他の人には巡り合わないけれど、人に会いたければアザラシみたいに氷の上にすりすりと腹を使って滑り出た。水中から上がると氷面はすこし寒くて風が強くて冷えた。その分太陽も照って昼は暖かかった。

季節が一周した。私は窓から世界を眺めるのをやめて氷の上で月を眺めるようになっていた。ずぅっと頬杖をついて世の中を語るのをやめて、少しは社会の波で泳ぐようになった。少しだけ大きな尾ひれを育てた。そんな一年。

365日。また季節が巡る。また月は地球を12周する。また地球は太陽を一周する。私はもう少しだけ泳ぐ。深海に潜って、光の届かない場所の秘密を見る。もう少しだけ大きな尾ひれを育てる

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