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海を渡りたかった

前回の記事に続き、またすこしぼくのむかし話を書こうと思います。いまでもふと考えることですが、数年前まで、ぼくは結構「どん底」のレイヤーに生きていました。

どん底という表現は抽象度が高く、経済的や精神的、どんな種類のどん底なのかは人それぞれ解釈があるかと思います。
ここでは「自分自身を肯定されない、必要とされない、生き辛い」という意味で、ぼくなりのハードモードステージにずっといました。

そこで人生の長い時間を過ごしていたぼくですが、その場所にいるときは、その場所しか知らないから「なんか苦しいけれどどうすればいいかわからない、さらに何がわからないのかわからない。」という状況が、ずっと続いていました。

広い広い海に小さな島がたくさん浮いているイメージです。隣の島のほうが過ごしやすそうだから、あちらの島に渡りたいのに、橋の掛け方がわからない、空の飛びかたがわからない、海の渡り方がわからない。
視界の端には入っているのに、移動の仕方がわからない。船をだしてくれる人もいない。

他の島と自分がいる島は、たしかに同じ世界の中にあるはずなのに、目に見えない壁で分断されている。

現在のぼくはここが自分の居場所だと思える環境に近い場所にいるのですが、うまくいかなった当時、どのような方法をとったかというと、時間をかけて多くの人と会い、声をあげ、たどり着くかどうかもわからない船をだす人と知り合う、というやり方でした。

99%はうまくいかず、思ってもいない島に辿り着いてしまったり、怖い島に着地してしまったり、途中で沈没しかけたりと大変な目にもたくさん合いました。
でもある日突然、のこり1%の確率で、いまの場所に連れてきてくれる人と出逢いました。最初はぼくのぜんぜん知らない価値観、やったことのないやり方で大丈夫かな、と不安のほうが多かったです。ぼくにとっての希望は、はじめは希望のかたちをしていませんでした。

ただ今までの自分の知ってるやり方でうまくいかなかったんだから、提案された知らないやり方を試そう、とそう思いました。

この選択で本当にいいのかと手探りだった不安な日々を忘れることはないし、もう無理かもしれないと思い泣きそうな心をひとり引きずって歩き続けた記憶は、いまでもぼくのなかに残っています。忘れることなんてできません。

ただ人生のほとんどを占めているそのときの優しくない記憶は、いまぼくをこの場所に立ち続ける強さを与えてくれた、経験だったと思っています。



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