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脳内で声が聞こえ始めたころ

私がまだ小学生だったころ
 
突然、頭の中で
声が聞こえるようになった。
 
それも悪口のような
文句のようなもので
 
私は、暫くの間
その声を
悪魔の囁きと呼んでいた。
 
はじめてその声を聞いたのを
今でも朧げに覚えている。
 

家から学校に行く途中
変電所があるが
 
学校からの帰り道

そこを通っている時に
 
その声はやって来た。
 
それも突然に。

なんと言われたかは
忘れてしまったけど
 
 
すごくびっくりした感覚と
 
「あれから始まった…」
 
という思いだけが
ずっと消えなかった。
 
 
何十年も経った今
 
朝起きて
ボーッとしている私に
 
気づかせてくれた
 
悪魔の囁きの思い出。
 
 
今、思えば
 
その時から

私の左脳が
活発になり始めたんだと思う。
 

この世に生まれ
 
生きていくための術を
 

親、保育園の先生、小学校の先生
はたまたメディアに教えられながら
 
私の自我は
スクスクと育っていったのだ。
 
そして
自我の声が突然、爆発した。
 
はじめての反発の声。
 
左脳は
 
社会
言葉
コミュニケーション
思考
過去や未来
わたし(個)
 
の分野で活躍してるらしい
(ネドじゅんさんの動画より)
 
 
だから
人格を形成していく上での
難しさが
出て来ていたんだと思う。
 
 
小学生の頃のわたしは
 
いわゆる【嘘つき】で
 
みんなが話している
テレビ番組を
 
見てもいないのに
見たといって
 
話を合わせるような子だった。
 
 
今、思えば
子供たちは多かれ少なかれ
 
小さなウソをつくものだと
分かるけれど
 
その頃は
ダメなことをしている
 
だけど
みんなの輪に入りたい
  
という思いが
強くあったんだろう。
 


平凡な自分だからこそ
 
特別なチカラに憧れ
 
見えないものが
見える人になりたかった。
 
 
もしかしたら
見えていたときも
 
あったのかもしれないけれど
 
あの頃から
 
見えない、と決め
 
だから見たいと思っていた。
 
学校で、コックリさんが
流行ったときも
 
コックリさんの声なんて
全く聞こえないのに
 
聞こえる、とか
見える、とか言っては
 
その瞬間だけ
 
特別ない自分になった気分を
味わっていた。
 
 
すぐに私の嘘は
見破られるので
 
【ほんの瞬間】
なのである(笑)
 

 
他の子たちよりも背が高く
  
親が厳しかったから
好きな服も買ってもらえず
 
着たい服というよりは
 
母が準備してくれた服を着る
 
そんな小学生時代
 
唯一、卒業式で
好きな服を着てもいいと
 
お金をもらって
買いに行った、あの嬉しさは
 
今でも、
心をあたたかくしてくれる。
 
 
自我の芽生えは
 
脳内の聞こえない部分では
 
徐々に、コツコツと
積み上げられているんだろうけど
 
人間が感知するのは
突然なんだと思う。
 
 
そして
自分というものを
作ろうと頑張って頑張って
 
人間関係を
ぐちゃぐちゃにしながら
 
生きてきた私を
 
支えてくれたのか
 
エスカレートさせたのか
 
きっと
どちらもあったであろう
 
Mr. サノー(左脳)ww

 
厄介すぎて
空回りしすぎて
ほんと、大変だった。
 
 
なので
この辺で
 
Mr.サノーと
お別れしようと思います(笑)
 
 
あ、タイトルを

【Mr.サノーとの決別宣言】
 
にすればよかった。
 
 
ま、いっか。
 

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