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(25)ピースボート〈地球一周の船〉で働いて思うこと

人生の運命とは「たまたま」という名の必然が運んでくる

わたしが東京に残ることになった最も大きな理由は【ピースボートで働くことになったこと】である。
ピースボートとはあのよく居酒屋のトイレで見るポスターのやつ。まゆが21歳の時に南半球を一周するのに乗ったやつ。そこで今はスタッフとして働いている。
まゆの職場では過去何年もの歴代ポスターたちが壁一面に貼られている。



ここで働くことになったきっかけはなんと、マッチングアプリ。

当時お付き合いしてた人とお別れして、付き合ってる時にはできなかった&今まで使ったことのなかったマッチングアプリというものにとても興味を持っていた。その強い好奇心から『全マッチングアプリを制覇してやろう!』と思い立って、気が向いたものから一つずつ登録しては飽きて2日で退会して、また新しく別のを登録したりをしていた。笑
その中でクロスミーというマッチングアプリを登録したら【100日海でごみを拾い続ける男】と知り合った。とりあえず電話したらなんか意気投合して一回カフェにでも行こうという話になった。

そして相手が提案してきたのが高田馬場のコメダだった。「高田馬場とか大学生時代、まゆが船に乗るためにポスターを貼りまくっていた時に通っていた駅で懐かしいなあ」と思っていた。東京には住んでたけど用事がなく行くことがない場所だった。そしてゴミ拾いの彼と楽しく談笑を終え、バイバイしようとしたら「実は今からピースボートセンターってところに行って説明会聞いてくるんだよね」と、その彼が言ったのだ。
まゆはびっくらこいてしまって「まじ!そこ、まゆがポスター貼るために通ってたところや!」ってなってこんな偶然そうそうないだろうな!と思い、急遽彼について行ってみることにした。そしたら当時のまゆがお世話になったスタッフが6年経った今も変わらずいて、まゆが東京に住んでいることにびっくりされた。そして東京にいるんだったら、体験談説明会でスピーカーとして喋ってよ、とお願いされて数ヶ月後にピースボートセンターでまゆが船に乗った経験を話した。


そうしてまゆ節を炸裂させたらこれが大好評されて「あなたみたいな人にスタッフとして働いて欲しい!」と言われた。でも当時は会計事務所で人事のお仕事してたから基本のフルタイム勤務はできなくて。でも「まずは週3からでも」と言ってくれて、働きだすことになったのだった。

自分の経験や才能を最大限強みにできる仕事

働きだしてから「こんなにたのしい仕事があっていいのか!!?」と感動した。職場にギターあるし、みんなで弾いて歌ったりするし、なにか安い目玉商品あったらそれをシェアしあうチャットがあるし、フジロックがあった日は巨大スクリーンに映して生LIVEを聞きながら働いたし、そもそも国際NGO団体で会社ではないから、一緒に働くメンバー間に従来の社会のような上下関係がない。とてもフラットだし言いたいことは言い合えるし、本音をちゃんと話せる職場だ。
なにより、地球一周したひとしか働けないから、地球何周もしている人間たちで構成されている団体なんておもしろくないはずがない。みなファンキーだったり、個性があったり、情熱があったり、カリスマ性があったり、エンターテイナーだったり、とにかくカラフルな職場だ。

まゆのしている仕事は地球一周の魅力を説明会や職場であるピースボートセンターに来てくれた人に伝えること、そこで乗ると決めた若者のサポートやプランニングをして確実に乗船まで導くこと、地球一周へのモチベが下がってしまわないようにイベントをたくさん打って若者をセンターに呼ぶことなどだ。

これらの仕事で最も大事なのは「自分がどれだけ本気でこの地球一周の船を推せるか」「どんな状況、バックグラウンド、ハードルがあるひとにも寄り添える自分の引き出しの多さと多角的な視点」だと思っている。前者は乗った時点でクリア。後者は自分がどれだけ多くの世界に触れて、どれだけ多くの属性の人間をみてきたかに左右されると思ってて、結構まゆは縦横無尽にいろんな世界を見てこれた。もちろんまだまだな部分もあるけど。まゆの全人生、全生き様、全経験を総動員して活かせるのが、今の仕事なのだ。

社会の中にまゆに合う職なんてないー!!もう開業するしかねえ!!!と思って、個人事業主として宿やセラピストの仕事をしてきたのにまさか既存の職の中でこんなにも天職と感じられる仕事があるとは思っていなかった。

「地球一周」とは人間にとっての普遍的な価値

たぶん人間としてこの地球に生まれて地球一周したいと思わない人間は、ほぼいないと思う。広い世界を見てきたい、美しい景色を自分の目で見たい、まだ見ぬ異国の人間と出会い交流してみたい、そういう願いは、もし時間にもお金にも自由だとしたらだれもが抱くものだと思っている。「地球を感じる」ことは地球を選んで生まれてきたわたしたち人間にとって「根源的な喜び」である。根源的な喜びは時代や流行に決して左右されない普遍的な価値となる。

地球を感じるとは些細なものである。あたり一面に広がる海の水平線を眺めること、様々な色合いを見せる空を眺めること、肌の色も言葉も瞳の色も違う人たちと出会い交流し私たちは同じ「人間」なのだと感じること、ウユニ塩湖やオーロラ、フィヨルドなどの自然が織りなす美しさを目にすること、ピラミッドやモアイ像やサントリーニ島などの過去の人間の手で織り成されている美しさを目にすること、マチュピチュなど古代の神秘に触れること、太平洋・インド洋・大西洋など地球にある7つの海の色を目にすること、などなど。そういう些細な「地球を感じること」たちが、この地球一周の船旅にはつまっている。


少しでも多くの若者を地球一周の船に乗せるのがまゆの仕事

どうしてそんな「地球一周の船」に若者を乗せたいのか。それは平和な世界をつくるためである。この世の中のあらゆる問題は人々の「無関心」という心の弱さがつくり出している。悲惨な歴史ももとを辿れば、「どちらでもいい」「なんでもいい」という無関心層が独裁政権を可能にしている。

高校生の頃のわたしは「世界の平和を考えるのであればその対極にある虐殺に目を向けることから」と思い、世界三大虐殺を自分の目で見てこようと決めて、ポーランドのアウシュヴィッツとカンボジアのキリングフィールドを見にいった。(残るはルワンダ)

その2つを見てきて、なんと小さき人間の心の弱さが大きな虐殺を生んでいるのだろう、と思った。
ただ、安心したいだけ、自分の立場が何にも脅かされないと、安心していたかっただけなのに、それを脅かす危険のある存在を消し去ろうとしてしまう。そんな誰しもが持ちうるようか心の弱さがこの大きな負の歴史をつくっている。わたしには世界の虐殺の歴史がそんなふうに見えた。

無関心も立派な心の弱さである。何にも心を寄せずに他人を存在していないかのように生きる方が圧倒的に楽である。「何かに心を寄せる」ということは、自分の感情が動くということ。
大人になると自分の感情の揺らぎをエネルギーの『消耗』と捉える人が増えてくる。それは確かに「楽」な代わりに《生きてる心地》を失う

世界には日々、様々な状況がある。
不平等、不公平、理不尽さ、やるせなさ、悲しみ、悔しさ、怒りに対して、どうしようもできない自分の無力さに絶望することだってある。
まゆも実際に、あまりにも世界や国という大きな括りがコントロール不能な対象すぎて、そこにいちいち願いや興味、熱意を持つことで、たくさんの負の感情を感じてきたし、諦めてか開き直ってか、「自分」と「世界」を切り離して生きてきた時期もあった。

でも、ピースボートで働き出してからは、自分の中に『ほんとは自分の情熱を諦めたくはない』と思っている自分に気がついた。
情熱があるがゆえに、様々な思いをするとしても、それを地球で生きている証として噛みしめていきたいと思った。
どんなに微力でも、どんなに無力でも、どんなにちっぽけでも、自分の中の情熱を諦めてはならないのだとわかった。

だからまゆは、世界に心を寄せることができる若者をこの世に増やしたい。心を寄せるためには、そこに足を運び、そこに生きる人たちと出会う必要がある。そうしてくことで、世界で何かが起きた時に他人事ではなく、自分事として捉えられる。そんな自分なりのアクションをこの世に起こしていける人たちを生み出したいのだ。その手段として地球一周の船旅を選んでいる。


なにかに「挑戦」できる機会がたくさんある職場

ピースボートセンターでやっている仕事はとんでもなく多岐にわたる。イベントの企画、旅行説明会、若者のサポートやプランニング、人生相談、デスクワーク、電話対応、テレアポ、信頼関係の構築、チームマネジメントなどなど。
本来、イベントプランナー、エンターテイナー、営業職、コーチング、カウンセリング、事務など業種・職種ごとに分かれて人間が1人でやる仕事内容を3刀流、4刀流でこなしているのが、ここで働くひとたちだ。まゆは本気でここの人たちをスーパーマンだと思っている。

当たり前に人前でマイクを持って喋ることがたくさんある職場で、最初は緊張したし、億劫だったけど、こんなにもマイクもって人前で話せる機会がある職場はそうそうないのだからいっそのこといい練習の場だと思ってがんばってこう!という気持ちになった。ゆくゆくは講演会とかもやりたいな~という夢があったのでぴったりだった。

ほかにも50人規模のイベントを0から企画すること、イベントのディレクをやること、ばりばりのデスクワーク、100万円以上の商品(船旅)を全力で売ること、どれもこれまでしたことのない経験だった。慣れた仕事はやりやすくてやり方もわかってて楽だ。でも自分がやったことのないこと、不得意と思っていること、苦手と思っていることに挑戦ができるということは、とても貴重な機会だ。大人になればなるほどに自分のコンフォートゾーンからなかなか抜けれなくなる。でもここにいたら嫌でもコンフォートゾーンから抜けることができる。

そうして自分がどれだけ凝り固まった考え方の中にいたのかを知り、自分がどれだけ自分の限界を自分でつくってしまっていたのかに気づかされている。

ほんとうにあたたかな職場で、自分自身では厳しく自分を評価していても、周りはまゆにはない視点で評価してくれたり、ほめてくれたり、ちゃんと意見を伝えてくれたりする。そういう安心な空気感があるからこそ、やったことがなくても自信がなくても「やってみよう」と思うことができるのだ。

陸の上の船

職場であるピースボートセンターはいわば陸の上の船である。船の上と同じように、毎日が初めましてに溢れていて、いろんなイベントや企画があって、企画を自分でやろうと思えば何でもチャレンジすることができて、自主性があればあるほどにたのしくてたまらない場所だ。
そして、「普通」「当たり前」「一般常識」から外れて地球一周をしようとしている人たちが集まってくるから、ほんとうにおもしろい人たちが集う。
そんな人たちと、出会い、関わり、語り、交流する。時に人生を、愛を、夢を、本気で語り合える、ここはそんな空間なのだ。
ほんとうに特別な空間で、働かせてもらえているなあと、日々思っている。


とにもかくにも『アクション』を起こす世界

ここはアクションを起こす人たちがたくさんいる。トルコ・シリアで地震があった時も業務よりも人命優先だ!となり急遽バナーや募金箱を作って、スタッフみんなで高田馬場駅に行って募金活動をした。まゆからしたら人生で初めての街頭募金をやる側だったけど、思ったよりも声が届く人がたくさんいて感動した。
足を止めてくれる人、がんばってね!って応援の言葉をかけてくれる人、お金を入れてくれる人、写真を撮っていく人、たぶんトルコの方なんだと思うんだけど泣きながら「ありがとうございます」って伝えにきてくれた人、いろんな人がいた。

声を上げていれば、届く人には必ず届く。
力になりたいと思ってくれる人はたくさんいる。ただそのきっかけがないだけだったりする。だからこそわたしたちが声をあげる必要がある。


わたしたちが行動を起こすことで、どこかの誰かが、世界のことに心を寄せてくれて、募金というアクションを起こしてくれて、それを私たちが国際NGO団体として確実に現地に届ける。そういう一連の動きが、ここにはある。

毎日、毎日、地震が起きてから募金活動を続けた。ボランティアスタッフやスタッフのみんなが大きな声で募金を呼びかける一生懸命な姿にグッときながら、実際に募金してくれる人の姿に泣きそうになりながら、まゆも何回か街頭募金をやった。そうして無事に必達目標だった100万円を超えたのだ。街頭募金で100万円超えるってすごいなと思った。

なんで泣きそうになるのかって、自分の何かしらのアクションによって世界のことを少しでも想ってくれる人間が増えることはまゆにとっての喜びなんだなとわかったし、届く人には確実に届くのだというこの世界のあったかさにも感動するからなんだなあとわかった。

泣きそうになると声が出せなくなるから、グッと来るポイントの多いまゆにとっては違った意味で募金活動は大変だった。

ピースボートは災害支援センターという部署があって、ピースボートのスタッフが実際に現地に行って、様々な状況報告をしてくれたり現地支援を進めてくれる。それを都度全体ミーティングでシェアしてくれるから、募金のその先まで目にすることができる。

募金して終わり、物を贈与して終わり、ではなく、確実に自分達の足で、現地の人に届ける、それがここのスタンスだから、自分のしたアクションが必ず国際協力に繋がる。

正直、募金とか国際協力とか、偽善行為って思ってしまってる時代もあった。なんならまゆは地球一周をして自分の目で途上国を見てきたことによって価値観が壊され、国際協力から身を引いた。それが今、ここに戻ってきて、また新しい自分で国際協力をしているだなんて、人生とはおもしろい。

そして今は偽善だろうとなんだろうと、アクションを起こすひとがかっこいいんだ、って思うようになった。この職場はそんな人でいっぱいだしそんな空気感があって、ほんとうに最高だと思う。


ひとの底知れぬエネルギーと愛が集まる場所

ここは本当に人間の底知れぬエネルギーが集まる場所。たくさんの優しさに溢れる場所。
人がほんとうにやりたいと思うことに向かうそのエネルギーとは凄まじいものがあるし、人の本気が、誰かを本気にさせる。熱い想いのバトンが永遠と人間から人間に繋ぎ渡されている。そんな空間なのだ。

地球一周したいと夢見て、ここにきたボランティアスタッフたちは、
いろんな出会いがありながら、
いろんな壁がありながら、
いろんな葛藤がありながら、
いろんな悩みがありながら
みな一歩、一歩確実に変化して、成長して、誇らしげな表情をしてボランティアスタッフ生活を終え、地球一周に旅立ってゆく。自分が見守り見送った若者たちが地球一周から帰ってくるところを出迎えるのはまだこれからだけど、きっととんでもなく感慨深いのであろう。

そんな若者の人生における濃い時期のいちばん近くにいれること、こころに寄り添うことができること、ほんとうにかけがえのない仕事だっと思っている。
ボランティアスタッフのみんなに助けられること、励まされることがたくさんで、ほんとうにみんな優しくて愛なのよねえ。

サプライズでボランティアスタッフの子たちがくれた似顔絵と寄せ書き


そんな最高に充実でたのしい仕事のおかげでまゆは東京生活が続いています。
お仕事としてもう一度地球一周に乗れるまでは東京にいる予定。
ピースボートのお仕事、歌舞伎町スナック、アクセスバーズ、フラワーレメディーのセッションなどなどのいろんなお仕事しながら生きてます。

東京生活のその先はまたどこか自然の中でまゆの宿をやるのでしょう。


と、いうわけで、この自叙伝noteもこの記事をもって、一旦終了とします。ようやくだ!

全25話。まゆ自叙伝。
生まれてから、今27歳までをざっくりと紹介しました。

最終回が1番長くなってしまった。
ここまで読んでくれた人、ほんとうにほんとうにありがとう!

ではまた、言葉の中で会いましょう。




とってもよろこびます♡