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⑰喧嘩両成敗とは思わない

昔の人は「喧嘩両成敗」って言うけど、そうだろうか?
もちろん、向こうには向こうの言い分があるだろうし、向こうの周りの人からすれば、私は「突然、家を捨てて出て行ったヒドイ嫁」「子供と父親を引き離した勝手な母親」なんだろうけど・・・。
言いたい人には言わせておけば良い。
本当の事を分かってくれる人は、ちゃんと分かってくれる。
だって私は、その事を中学時代から知っていたから。それで良かった。

子供達と3人の生活は、狭くてボロい家だけど それなりに楽しく生活できるようになりました。
ですが、ファミレスのパートで働くだけでは親子3人で生活していける収入にはならなくて、貯金も全く無いどころか持っていたクレジットカードは全て止まっている状態。生活費をどうする事も出来ないので、市から「ひとり親家庭」の給付金や医療費助成金を少しでも受け取れるようにするために、正式に離婚の手続きが必要なので家庭裁判所へ離婚調停の申し立てをしに行きました。
ちょうどその頃、郵便物が届くようになったのは良かったものの来るのはカード会社からの請求書や銀行からの催促状ばかり。。。
借りたものは返さなきゃいけないのは分かっていても、毎日の生活費さえ足りないのに払えるわけも無く・・。
と、言うか?お店の支払いの為に借りたものなのに私が支払わなきゃいけないのか?
いっそのこと自己破産の手続きをした方が良いのか?
その事も相談するために家庭裁判所へ行ったのでした。

隣の市にある家庭裁判所へ行って離婚の手続きをしたいと伝え、色々と教えてもらい調停の手続きをしたいと言ったものの・・・
当時の裁判所の調停では基本的に「別れさせる為」ではなく双方の話を聞き「夫婦の仲を戻す」事を前提に進めるものである事を説明され「それでも良いか?」と、言う事でした。
とにかく、私の意志は変わらない事を伝え調停を進める事になり、少し年配の男女2人の調停員が担当者になりましたが、離婚したい理由や一緒に生活していた頃の様子、子供達に対しての父親としての行動や接し方など、詳しく話しを聞かれ調書を作り、相手側にも同じように話しを聞きながら進めるとの事で、決められた日時に数回 裁判所へ言っては話しをしました。
調停員の話では、相手側は裁判所からの呼び出しにもちゃんと応じていたらしく「離婚はしたくない」と、言っている事や「子供達と一緒に暮らしたい」と希望しているとの事で、父親側に「特に問題があるとは思えない」と、言われました。
私が理由にあげていた「他の女性との関係」は私の「誤解」で「勝手な思い込み」だとのこと。「仕事をしない」と言う点は「今、就職活動中」と言っていた事などから「本人には働く意思がある」とみられ、私や子供達へのDVがある訳でも無いのに、その時点での私の離婚を希望する理由が理解出来ない。とまで言われ、終いには「そこまで離婚したいのは他に一緒になりたい人でも居るのか?」と調停員に聞かれるくらいでした。
それに加えて、私が2人の子供達を引き取ったところで「育てて行ける生活能力があるのか?」と言われてしまうとファミレスのパート収入だけでは生活費が足りないのは目に見えていて、だからと言って小さな子供達を置いて仕事を増やすのは難しく、どう考えても不利な状況でした。
家庭裁判所へ最初に行ったのが10月。
調停は話しがつかないまま年が明け、私がそれでも離婚の意志は変わらない。と、頑張った事で長引いて行きました。
その間にも、カード会社や銀行からの請求は届き続け、支払いがちゃんと出来ない私は完全に負債者、ブラックリスト入りになっていました。
自己破産の事も相談しましたが車を所有出来なくなる事や、何よりも子供達の将来の為にも、それはしない方が良い。と言われ、結局なにも出来ないままでした。
2月になった頃、ちょうど父の会社で事務員さんが退職して募集する事になったので、私の状況を見かねた母が父を説得してくれたらしく、それまでのパートを辞め正社員としてフルタイムで働けるように雇ってくれる事になりました。
親のところで雇ってもらうのは私としては非常に不本意で、大体にして事務員の仕事など自分に出来るわけ無い。とも思っていましたが、そうする事で生活費も少しは安定するのと、子供達も学校と幼稚園が終わったら真っ直ぐ実家へ行って私の仕事が終わるまでの間も安心して待っていられるとなれば、調停でも考慮してもらえる。と、言うので雇ってもらう事になりました。
調停が始まってから約半年が経った3月。
ようやく最終決定ができる調停裁判が出来る事になりました。
その日、家庭裁判所の1室で家を出てから初めて夫と顔を合わせる事になりました。
指定された時間に裁判所へ行くと誰も居ない1室に案内され呼ばれるまでそこに居るように指示されました。
係の人が呼びに来て案内された部屋へ入ってみると長テーブルがコの字型に並べてあり入り口の正面にある横になったテーブルには3人が座っていて、いつも話しをしていた調停員2人の間に決定を下す裁判官が座っていて、そのテーブルの両脇から向かい合わせで縦に2つのテーブルが置いてあり、部屋の奥に向かって左側に私が座るように言われました。
その向かいになる右側のテーブルは、まだ誰も居ませんでした。
私が着席してから3人の真ん中に座っていた裁判官に名前や生年月日を確認された後、調停の申し立て理由を確認され「今でも離婚したい意思は変わらないのか?」と言う話しをされましたが、私の意志は変わらない事を伝えると、そのまま待つように支持され待っていると入り口のドアが開いて夫が案内されて入って来ました。
向かい側の空いていたテーブルへ案内され向かい合わせに座りました。
そこで、私と同じように名前や生年月日を確認された後、私からの申請理由や内容を説明され、それについて「どう思うのか?」を聞かれていました。
多分、今まで答えていただろう言い分は言っていましたが「改めて、それを聞いてどう思うのか?」と問われた私が「それでも離婚したい意志は変わらない。離婚が出来るなら慰謝料も養育費も請求するつもりは無い代わりに、ひとり親家庭の援助が受けられるように早く決めて欲しい。」と答えると、調停員の2人が「意志は硬いようですよ」「下の子もこの春から小学校入学との事だし、お子さん達の生活費の事も考えるとあまり引っ張らない方が良いかもしれませんよ」と言われ、裁判官からは「調停で決着が着かない場合、申立人が取り下げない限り裁判へ移行する事もある」との事で・・・ようやく夫が「自分は離婚したい訳じゃ無いですが・・・そうですね。仕方ない。分かりました。」と言った事で、話しが決まったのでした。
裁判官が決定事項を読み上げ・・・
1、婚姻関係を解消する。
2、子供達2人の親権は母親とする。
それと「慰謝料、養育費は請求しても現時点では無職のため、支払い能力が無い事から金額などは決められない」との事で「それでも良いか?」と聞かれ私が了承した事で調停が成立。
双方が調停調書と離婚届に署名をして、ようやく半年間の調停に決着が着き離婚が決定したのでした。

夫とは会ったのも話しをたのも、この日が最後で「子供達に合わせないつもりは無いので、希望があれば会わせても良いです」と言ったものの、それ以降は一切連絡も無いので、結局、子供達も家を出た日の朝に会った時から今現在まで1度も会った事がありません。
ただ・・・この日、調停員さんを通して夫から子供達宛の手紙を1通渡されました。
私は、封を開けずに持ち帰り、家に帰ってから息子達2人を座らせ話をしました。
「あの日、突然、この家に来てから今まで、ちゃんと話をしてなくてごめんね。もう解ってると思うけど、今日 お母さんとお父さんは きちんと お別れをしたの。だから これからは、お母さんとお父さんは別々になるけど2人にとって お父さんなのは変わらないと思うから、それはそれで良いんだよ。もしも会いたくなったら連絡してあげるから、その時はちゃんと言ってね。」と話して、明日から「苗字」が変わる事を説明した後「お手紙預かって来たから読んであげるね」と渡された手紙を2人に読んであげました。
黙って聞きながら息子達は泣き始めましたが2人とも「会いに行きたい」とは決して言いませんでした。
それは、20年以上経った今でも言った事がありません。
私に取っては最悪な人間だとしても子供達に取ってはたった1人しか居ない父親なのだから、その父親がそんな嫌な人だと知ったら可哀想だと思ったので、色々な事が理解できるようになる20歳になるまで「父親の事は一切話さない」と決めていました。
それ以降、息子達2人が20歳を過ぎるまで父親の話は1度もした事がありませんでした。

ようやく離婚が正式に決まり子供達との新しい生活がちゃんと始められる。そこで、そう思ったのはまだまだ甘かったと、その後になって思い知らされる事になるのです。
そうです。借金の支払いの件が残ってました。
裁判所や銀行で言われたのは「自分名義のものは、名前が変わろうと、どんな理由があろうと自分で払わなくてはいけない」との事だったのです・・・。


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