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和ハーブのいろは 5の2 和暦と和ハーブ

食 人の身体は植物からできている
薬 健やかさを支える植物たち
色 匂い立つ生命の彩をいただく
浴 日本の宝の習慣”香温浴”
繊 紡ぎ綾なす草木の縁
粧 魅力を引き立て隠す術
礼 神を導き仏を癒し邪を払う
環 場を”整える”植物たちのちから
材 暮らしの基本は草木が造る
毒 毒と薬は”紙一重”は先人の知恵

和ハーブ図鑑』古谷暢基・平川美鶴(著)/一般社団法人和ハーブ協会 (編集・発行). 2017/8/26. p.4-13. 「序章 和ハーブと日本人の暮らし」 より


新暦が来る前までの、私たちの暦

京ごよみjpegOutput

国立国会図書館デジタルコレクションより『京暦. 慶安4(大経師暦)』出版年月日 慶安3/1650年. 代表的な仮名暦/地方暦のひとつ


夏越の大祓の時期(新暦6/30に合わせたver.)

画像2

@乃木神社


夏越の祓えが本当は古来、何月のいつ頃に行われていた行事なのか

旧暦では、今年は実際いつなのか

茅の輪の‥あのカヤは、ご先祖さま方の触れてらしたカヤたちと、同じカヤなのだろうか 本当にあの色合い、風合いなのか


改めての、問い

神社で茅の輪をくぐりながら私たちは、
祖先たちと同じ時期、同じ日差しの下、同じ具合の湿度に包まれた…変わらぬ匂いを、同じ"色"、素粒子を、波動を、
体験できているのだろうか

受け継ぐべきものの何を
体認できているのだろう



画像20

@代田八幡神社



にほんのたからもの、を
にほんのわすれもの、のままに
しないで生きてゆける方法は
あるのか 

宇宙に問いかけたくなる




🌿

初めまして。和ハーブの勉強を始め、noteデビューしました
和ハーブ にほんのたからもの』(古谷暢基・平川美鶴(著)/一般社団法人和ハーブ協会 (編集). コスモの本. 2017/6/30. p.217)を軸に、整理した語彙、概念、内容を、自分用の補完情報も付加しつつ、メモ帳代わりに記録しております。どうぞ宜しくお願い致します

📒主要テキスト
和ハーブ にほんのたからもの』古谷暢基・平川美鶴(著)/一般社団法人和ハーブ協会 (編集). コスモの本. 2017/6/30. p.217
📒サブテキスト
和ハーブ図鑑』古谷暢基・平川美鶴(著)/一般社団法人和ハーブ協会 (編集・発行). 2017/8/26.  p.297
📒おすすめ関連図書
8つの和ハーブ物語』〜忘れられた日本の宝物〜』平川美鶴・石上七鞘(著)/古谷暢基(総合監修).  産学社. 2015.4.25. p.153

≪本記事の構成≫

和ハーブのいろは 5 (多すぎて分割)

前半 身近な場所で見つけた"和ハーブ"の実例
┗5.1 アカメガシワ編
後半 主要テキストについてのmy note
┗5.2 和の暦と生きるよろこび(第1章末コラム/本テキストp.39-)

主要テキスト情報の簡易要約にならず、思いの他推察ばかりが溢れ、かなり長くなってしまいました💦

(本記事内「✑」表示がある箇所は、筆者目線での主な加筆point)

🐝

第1章 和ハーブとは何か(つづき)

和ハーブとは
古来、日本人の生活と健康を支えてきた
日本のハーブ(有用植物)たちのこと

和ハーブ にほんのたからもの
カバーそで/冒頭より


🐝道草🎒

初っ端から敷衍化し恐縮ですが

”和ハーブ”の紹介をし始めたら、漢方薬とどう違うの?という質問が返ってきたこともあり、最初に、見取り図を置いておきたいと思います


答え:漢方薬 ∋ ”和ハーブ”
”和ハーブ”は漢方薬のカテゴリに含まれる
「A∋x」とすると、「Aはxを含む」又は
「Aはxを要素(元)として含む」


🍙

主要テキストも踏まえ、筆者に見えてきている(近代/現代パラダイムの諸要素を見通しながらの)
↓”和ハーブ”にかかる全体観↓


”和ハーブ”の位置:真ん中下、薄青/縹色カテゴリ(漢方薬の下)
今回のテーマ:旧暦/和暦(左下ピンク部分)と和ハーブ

画像3


↓拡大 和ハーブ見取り図

和ハーブ見取り図PNGNEW2-1

✑本来、二項対立的思考方法のみでは描き出せない部分もあり、前提で全ての事象には、”あわい”(=間/ベン図でいう重なりの領域)なる存在が含め持たれていると考えている

参考文献🖊

表内の語彙:レンマ的知性については、


集合/包含関係:神道と大乗仏教の融合については、

本書内p.229-の、

第三部 宗教・修行・情報 対談 中沢新一
 われらにとって仏教は

の鎌田東二先生との対談を踏まえ、腹落ちしてきた意識について、スケッチしておりますものです


 1.5 和の暦と生きるよろこび(第1章末コラム/本テキストp.39-)


目次 主要テキスト目次を踏襲しつつ(採番筆者)、下位項目の打ち出し(太字)・1.5.3-4は筆者加筆

1.5.1 暮らしの基準「暦」が変わってまだ150年
〇 Q.現在の暦はいつ、どこから?
〇初めに"暦法"とは?の全体観
〇太陽暦/グレゴリオ暦(新暦)の盲点?

〇前近代までの暦ー”旧暦”とは

1.5.2 植物の姿が「兆し」を教えてくれる

1.5.3 ”和暦”と和ハーブとの類似性考察(✑)
〇”旧暦”を少し、別角度で
〇まるごと”旧暦”扱いの盲点?
〇日本列島各地の”風土に根差した目線”
 を意識化する
〇風土に根差した身体知・口承知を
 再度知る媒体として意識化する


1.5.4 地球規模での地産地消システムを志向するビジョン―も見えてくる(✑)
〇地産地消システムを本気で志向する。と
 見えてくるもの―現代のパラダイムへの問い
〇グローバリゼーションを動かしてきた何某か
 をメタ認知―する余地もある
〇命、森羅万象を敬い、地球蘇生を共同創造してゆく―過程でバランス感覚を模索、磨ける時代
 

|暮らしの基準「暦」が変わってまだ150年

✑現行暦をメタ認知する✑

〇 Q.現在の暦はいつ、どこから?

主要テキスト内説明:

A.明治5(1872)年の改暦以後、欧米由来の太陽暦/グレゴリオ暦(=新暦)を採用

飛鳥時代からおよそ1300年、”旧暦”/太陰太陽暦が生活の礎であった

”旧暦”が使われた間、列島に住む人々が生きる糧を得るための営みは、各地での農耕や狩猟、漁労等(✑第一次産業)が基盤

そこでは、できるだけ正確に目の前の季節の流れを把握し、栽培・採取の知恵を工夫することが、よりよく生きることに直結していた

着意点:

✑そもそも、暦とは?
作り手・読み手の関係確認要では
暦の導入者/使い手/識字層と、列島各地における非識字層との関係について、本・主要テキストでは触れられず

✑太陽暦/グレゴリオ暦(=新暦)をメタ認知することで、”旧暦”/太陰太陽暦時代の世界観のアウトラインを素描可能
 ・今ないもの
 ・今までにあったはずのもの
 ・これからあってもよいもの

✑スパンの妥当性
”旧暦”到来以前にも着目する必要は?
ホモ・サピエンスの日本列島到来以降、数万年前から前近代まで続く世界観として捉えられないか?


✑上記踏まえ考察✑


〇初めに"暦法"とは?の全体観

✑地球🌎上の暦法をメタ認知✑

暦法の大枠、概略確認

暦法(れきほう)とは、毎年の暦を作成するための方法を指す。暦は、天体の運行に基づいて確立される。主として太陽と月が用いられ、月の運行に基づいた暦を太陰暦、月と太陽の運行に基づいた暦を太陰太陽暦、太陽の運行に基づいた暦を太陽暦という。
暦法 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

目次抜粋

1 太陰暦の暦法
┗1.1 イスラム暦の暦法
2 太陰太陽暦の暦法
┗2.1 東洋の暦法 👈"旧暦"in日本列島
┗2.2 西洋の暦法
3 太陽暦の暦法
┗3.1 古代太陽暦の暦法
┗3.2 ユリウス暦の暦法
┗3.3 グレゴリオ暦の暦法 👈"新暦"


日本列島で使用された”旧暦”とは、

2 太陰太陽暦の暦法
┗2.1 東洋の暦法

のカテゴリに属すもの

一方グレゴリオ暦は、

3 太陽暦の暦法

に属し、また元を辿ると、古代エジプト(古代太陽暦)起源とわかる。但し、エジプトも元は太陰暦から始まる


〇太陽暦/グレゴリオ暦(新暦)の盲点

暦法における位置を一見するだけでも、別の風土をルーツに持つ。日本列島におけるかつての”旧暦”/太陰太陽暦とは、自然発生した場所/カテゴリ自体が別の成り立ちであり、今更だが言わば輸入もの

輸入暦を近代化=産業革命の到来と同時に使用開始し約150年、の立ち位置に今私たちはいる

何かが見えなくなっている予感

✑推察スケッチ✑

現行暦は、”日本列島古来の風土のリズム”を察知させる機能を持たない可能性あり

古来受け継いで来た旬、時季、時の巡りを意識する感覚を、日常生活から失わせる/捨象させる、根底的な装置になりやすいのでは

結果、証明はしにくいが、現行の暦のみの世界観で走ることは、日本列島に住む現代人が心身の健康に不調和を招く、潜在的一因となっているとも想定される(近代のパラダイムをメタ認知する過程でそう気づく人が、増加)

また、新暦・旧暦共存乱立の現状について
"日本列島古来の風土のリズム”を察知させる機能を持っているはずの"旧暦"来、つまり古からの行事が、(ここ150数年の合間に、正月からの数えの月を新暦基準に(更に部分的に&恣意的に)したせいで、)実際の季節とずれて祀るものに一部なっており、結果列島の自然現象に包まれて生きてきた祖先たちの集合意識を、ズレた不協和音のような形で継承することになっている
これは、ルーツを失うことに等しくないのか

🌿

ここで、"旧暦"を意識した暦を手帳として作られているLUNAWORKSさんの、コンセプトに寄せられた文章を紹介したい

私たちは今、どこにいて、どこに向かっているのでしょうか。
人間が時間を直線的にとらえるようになったのは、産業革命以降だといわれていますが、
宇宙の惑星はそれぞれの周期を持ち、永遠に回り続ける時間を刻んでいます。
効率を追い求め、成長や拡大を追求する直線的な時間の矢には還るところがなく、
永続的ではないこと、最終的な幸福をもたらさないことに多くの人が気づき始めています。
直線志向のベルトコンベアーから降りて、本当に大切なものは何なのかを問い、
自身の尺度や軸を持って、物事と主体的に関わるためのツールとして旧暦をもう一度活用できるのではないか、
そんな思いからこの手帳を作り始めたのが2003年でした。
地球上のあらゆる生命は、太陽と月の恩恵によって育まれ、
すべてのものはつながりながら、生まれては消え、循環しながら、美しいこの奇跡の星に生かされています。

「円環する時間」を意識することは、命のつながりを大切にする、
本質的な豊かさにつながっているように思えます。

日本でも風土に根ざした暦を併用する、新しい時代が拓けますように。
私たちも自然の一部として循環できる存在になること、そんな未来が実現することを心から願っています。

LUNAWORKSについて(高月美樹氏主宰)

KWを(便宜的に)二項対立で視覚化

産業革命以降        以前
(近現代)        (前近代/未来)

直線的時間認識(⇨)    円環(〇/♾)

直線志向のベルトコンベアー 自身の尺度や軸
効率・成長・拡大      物事と主体的に
              関わる     

新暦            旧暦
太陽            太陽と月
風土に根差さない暦     風土に根差した暦

永続性…✖         命の繋がり
最終的な幸福…✖      本質的な豊かさ


(”旧暦”に象徴される)前近代までの時間観・世界観を、未来へのvisionの要素にする視点にも注目したい

✑次に、"旧暦"の確認&メタ認知✑


〇前近代までの暦ー”旧暦”とは

日本の"旧暦"とは、「現行暦の直前の暦」という狭義では、天保歴(天保15年1月1日,1844/2/18)~明治5年12月2日,1872/12/31)を指す

「前近代までの暦全般」として捉えた場合、史実として確認できる情報では、下記の様に一般/公的に、大陸由来の暦と伝えられている

暦の渡来
暦は中国から朝鮮半島を通じて日本に伝わりました。大和朝廷は百済(くだら)から暦を作成するための暦法や天文地理を学ぶために僧を招き、飛鳥時代の推古12年(604)に日本最初の暦が作られたと伝えられています。

日本の暦/Copyright © 2016- National Diet Library, Japan.
トップ > 第一章 暦の歴史 > 暦の渡来と普及
日本には朝鮮半島の百済を通じて6世紀頃に伝えられた(『日本書紀』によれば554年)。当初は百済から渡来した暦博士が暦を編纂していたか、百済の暦をそのまま使用していたと考えられる。推古天皇10年(602年)に百済から学僧の観勒が暦本などを携えて来日し、帰化人系の子弟らにこれらを学習させた。平安時代の書物『政事要略』には、推古天皇十二年正月朔日に初めて日本人の手によって作られた暦の頒布を行ったとの記述があり、これは元嘉暦によるものであったと考えられる。

Wikipedia 元嘉暦>日本伝来
日本の暦は、この1500年程は、 元嘉暦 → 儀鳳暦 → 大衍暦 → 宣明暦 → 貞享暦 → 宝暦暦 → 寛政暦 → 天保暦 → グレゴリオ暦(現行の暦)と遷移してきた
Wikipedia 旧暦>日本
近世の改暦
江戸時代に入り天文学の知識が高まってくると、暦と日蝕や月蝕などの天の動きが合わないことが問題となり、江戸幕府のもとで暦を改めようとする動きが起こりました。それまでは、平安時代の貞観4年(862)から中国の宣明暦(せんみょうれき)をもとに毎年の暦を作成してきましたが、800年以上もの長い間同じ暦法を使っていたので、実態と合わなくなってきていたのです。

そうして、貞享2年(1685)、渋川春海(しぶかわはるみ 1639~1715)によって初めて日本人による暦法が作られ、暦が改められました。これを「貞享の改暦」といいます。江戸時代には、そのあと「宝暦の改暦」(1755)、「寛政の改暦」(1798)そして「天保の改暦」(1844)の全部で4回の改暦が行われました。西洋の天文学を取り入れ、より精密な太陰太陽暦が作成されました。江戸幕府の天文方が暦の計算を行い、賀茂氏の系統を受け継いだ幸徳井(こうとくい)家が暦注を付け加え、各地の出版元から暦が出版されました。

日本の暦/Copyright © 2016- National Diet Library, Japan.
トップ > 第一章 暦の歴史 > 江戸から明治の改暦

✑上記official outlineの延長線上で✑

主要テキスト内説明:
和の暦について

”旧暦”=1.大陸由来の理(ことわり)の導入
        +
    2."和の実態"への調整

この骨格で描かれる


まず、各要素を概観する

┗1.大陸由来の理(ことわり):

これにはそもそも2軸あり、

🌙1)太陰暦
🌞2)太陽暦/二十四節気



月の満ち欠けのサイクル
×
太陽の1年のサイクル

2つの、往還/円環する時間軸を
意識している世界観


🌙1)太陰暦

月の満ち欠けにより始まり終わる、ひとつの時のサイクルを意識するもの
太古、どの民族にもあった意識とされる。エジプトも元々太陰暦から始まる

そして何より、1年の暦の始まりを、立春(in太陽暦/二十四節気)に最も近い新月の日(=朔日/ついたち)とする

つまり、1月1日の日付は毎年、太陽暦上では変化しており、旧暦の日付表示は現行太陽暦の日付と非対応となる

今年であれば、
2021/2/1=旧暦での1/1(これが旧正月)

他、ついたち/つごもりの語源例
月立ち→朔日(ついたち)
月籠り→晦日(つごもり)

月の満ち欠け/運行が、暦の根底要素として意識されていた、常に体感されていた様子が窺える


🌞2)太陽暦/二十四節気(=24の季節の区分)

太陽暦上の区分方法で、太陽の運行を基に1年を24に分け、およそ15日ずつの季節の”兆し”を言葉にまとめたもの

大枠として太陽暦であるから、現行暦(新暦/グレゴリオ暦)に即して、いついつ頃と説明可能。日付は毎年大体変わらない

二十四節気Excelより2

日本の暦/国立国会図書館website.
トップ > 第三章 暦の中のことば > 二十四節気 より

各二十四節気はこちらのサイトがわかりやすい(末尾に各節気一覧あり)

〇二十四節気の成り立ち

二十四節気は太陽の動きをもとにしています。太陽が移動する天球上の道を黄道といい、黄道を24等分したものが二十四節気です。

黄道を夏至と冬至の「二至」で2等分
   ↓
さらに春分と秋分の「二分」で4等分
   ↓
それぞれの中間に立春、立夏、立秋、立冬の「四立」を入れて「八節」とする
   ↓
一節は45日。これを15日ずつに3等分し「二十四節気」とする
   ↓
さらに5日ずつに3等分し、時候を表したものが「七十二候」

二十四節気は、毎年同じ時期に同じ節気がめぐってきます。そして、節気の間隔が一定で半月ごとの季節変化に対応できるので、天候に左右される農業の目安として大変便利なものでした。季節を知るよりどころでもあったため、天候や生き物の様子を表す名前がつけられ、今でも年中行事や時候の挨拶など色々なシーンで使われています。

私の根っこプロジェクト 暮らし歳時記
TOP>季節のめぐりと暦>二十四節気
>二十四節気の成り立ち


”和の実態”への調整

主要テキスト内説明:

二十四節気は元来、中国北部(中原/華北)の地勢・季節が基になっており、日本の風土の実情に合わない面がある。そのため節分や八十八夜などの「雑節」を付加し、日本の季節の実感が得られるように調整してきた
 +
江戸時代には、各地で独自の「地域暦」が発達した

✑”和の実態”への調整とは具体的に?

1)七十二候の改訂→「本朝七十二候」作成 in「貞享暦」by渋川春海(1685年2月4日に宣明暦から改暦~宝暦4年12月30日/1755年2月10日までの70年間使用)
2)「雑節」の設定
3)「仮名暦」等「地方/地域暦」@民間の発達


調整1)七十二候の改訂
ー日本列島の自然現象を言葉化

”旧暦”を辿ると、二十四節気と合わせ自然と見聞きする七十二候

現在知るそれは、基本的には「本朝七十二候」を経て明治に制定された「略本暦」に依る(七十二候も太陽暦・現行グレゴリオ暦と日付対応可能)

七十二候
二十四節気(にじゅうしせっき)は半月毎の季節の変化を示していますが、これをさらに約5日おきに分けて、気象の動きや動植物の変化を知らせるのが七十二候(しちじゅうにこう)です。二十四節気と同じく古代中国で作られました。二十四節気が古代のものがそのまま使われているのに対し、七十二候は何度も変更されてきました。

日本でも、江戸時代に入って日本の気候風土に合うように改定され、「本朝七十二候」が作られました。現在主に使われているのは、明治時代に改訂された「略本暦」のものです。
ちなみに「気候」ということばは、この「節気」と「候」からできています。

私の根っこプロジェクト 暮らし歳時記
TOP>季節のめぐりと暦>七十二候 (太字化筆者)

以下Wikipedia七十二候では、日中対比表(「略本暦/日本」と「宣明暦/中国」)が確認できる。自然現象の差があることに当然だが納得

七十二候(しちじゅうにこう)とは、古代中国で考案された季節を表す方式のひとつ。二十四節気をさらに約5日ずつの3つに分けた期間のこと[1]。

各七十二候の名称は、気象の動きや動植物の変化を知らせる短文になっている。中には、「雉入大水為蜃」(キジが海に入って大ハマグリになる)のような実際にはあり得ない事柄も含まれている。

古代中国のものがそのまま使われている二十四節気に対し、七十二候の名称は何度か変更されている。 日本でも、江戸時代に入って渋川春海ら暦学者によって日本の気候風土に合うように改訂され、「本朝七十二候」が作成された。現在では、1874年(明治7年)の「略本暦」に掲載された七十二候が主に使われている。俳句の季語には、中国の七十二候によるものも一部残っている。

七十二候 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(太字化筆者)

例(出典同上を基に作成)
朱書きが変更箇所

春1gatu 七十二候Wikipediaより

春2gatu 七十二候Wikipediaより

春3gatu 七十二候Wikipediaより

以降、第七十二候まで続く


調整2)「雑節」の設定
ー農事暦も反映した列島独自の節目

雑節
日本には、雑節という暦日があります。雑節は、二十四節気や五節供のように中国から伝わったものではなく、日本人の生活文化から生まれた日本独自のものです。 また、貴族や武家の儀式ではなく、主に農作業と照らし合わせた季節の目安となっており、日本の気候風土に合わせてあるため、長い間に培われてきた知恵と経験の集約といえるでしょう。

私の根っこプロジェクト 暮らし歳時記
TOP>季節のめぐりと暦>雑節(太字化は筆者)

代表的な雑節として、以下の七つがある。二十四節気を補う季節の指標であり、この雑節も太陽暦に属す。つまり現行暦と対応させて確認可能(毎年大体同じ時期に、この雑節だねと思い出せる)

雑節Excelより

↓日本の暦/国立国会図書館website.
トップ > 第三章 暦の中のことば > 二十四節気 > 雑節より


調整3)「仮名暦」「地方/地域暦」の発達
ー担い手が民間にも

┗「仮名暦」とは

「具注暦」(ぐちゅうれき:日本の朝廷の陰陽寮が作成し頒布していた暦。イメージ貴族使用)に対し、民間で普及した、仮名文字で表記する暦のこと

鎌倉時代末期には印刷された「仮名暦」も作成され、全国に拡大していった

はじめは国家の機関や貴族だけのものであった暦も、仮名暦(かなで書かれた暦)が普及してくると、これを一般の人々も求めて使用するようになりました。そのため、暦の需要は増大し印刷された暦が発行されるようになりましたが、京都などで印刷する暦だけでは需要を満たすことができず、各地でその土地に適した暦が発行されました。

古くは、三島・南都・丹生、江戸時代に入ってから発行された伊勢暦や江戸暦など、それぞれ特色ある形態と内容を持っていましたが、貞享の改暦以降は暦注などの内容が統一されました。

日本の暦/国立国会図書館website.
トップ > 第二章 いろいろな暦 > 日本全国の地方暦 その1


┗「地方/地域暦」とは

詳細画像が国立国会図書館websiteにあり、名称のみ下記に抜粋。こんなにも多様にあったとは驚き

京暦(きょうごよみ) 
南都暦(なんとごよみ)
丹生暦(にゅうごよみ) 
伊勢暦(いせごよみ)

金沢・月頭暦(げっとうれき/つきがしらごよみ) 
薩摩暦(さつまごよみ) 
三島暦(みしまごよみ) 
江戸暦(えどごよみ) 
地震なまずの暦 会津暦(あいづごよみ) 
秋田暦(あきたごよみ) 
仙台暦(せんだいごよみ) 
盛岡暦(もりおかごよみ) 
弘前暦(ひろさきごよみ)


✑小括

日本列島では、このような和漢折衷型の暦を公的/民間合わせて活用してきていた

辿ってみると、基準となる時間軸が二つあることに改めて驚かされる

太陽のリズムと、月のリズム

太陽のリズムは季節の変化とともにあり、農事暦に欠かせないとされる

他方、月のリズムは、夜空を見上げて確認できる、月の満ち欠けと共にあるもの。あるいは海の満ち引きのリズム、女性の体のバイオリズム…女性に限らず現在でも、男女問わず満月新月の影響は感じられているものかもしれない。

太陽暦部分の”旧暦”とグレゴリオ暦(新暦)は、太陽の運行を踏まえている点で、実はリズムが共通する。そのため、太陽暦部分の”旧暦”の、グレゴリオ暦(新暦)に比しての差異とは極論、移り変わる目前の、地域差のある自然現象をどれだけ別の言葉で意識、指標化していくか、という点に集約できる

一方、太陰暦のリズムは、それ自体を生活の暦として意識しだすと、グレゴリオ暦からも完全に逸脱し、世界が一変する(少なくとも筆者には)。社会のシステムとして、新月を起点に物事が始まっていく世界観を採用しているとは、想像するとまるでパラレルワールドを眺めているような感覚さえ生じてくる

”旧暦”(前近代までの暦)とは、こうした全体観を背景に含むもの。主要テキストでは、これらの背景に垣間見える諸要素を部分的に踏まえながら、”旧暦”に眼差しを向けることより見えてくるメリットを、”和ハーブ”につなげ、以下のように説く

|植物の姿が「兆し」を教えてくれる(p.40-41)


主要テキスト内説明:

”和の暦”である旧暦をもう一度意識することによって、先人たちと同じように身の回りの自然現象の移り変わりに敏感になることができる。季節の兆しにより気づけるようになる。そうすることで、生きる喜びをもう一度、取り戻していける

「和ハーブ」に気づき、日々の暮らしに取り入れることは、季節の兆しへの感覚を取り戻す一助になる

日本人の古来持てていた「季節の兆しを読み、感じとる」楽しさを、思い出すきっかけを作っていける

✑素直な心の眼で捉え、感じ、伝え合える”和ハーブ”の良さであり、原点。また恐らくこうした視座は、世界中各地で、その土地土地の住民が本来内包してきた、生命としての原点なのではないだろうか

| ”和暦”と和ハーブとの類似性考察(✑)

〇”旧暦”を少し、別角度で

以上、主要テキスト内構図から

”旧暦”=大陸由来の理(ことわり)
      +
    ”和の実態”への調整

をベースに紹介してきたが、もう1点踏み込んで考察したい

”旧暦”の中に”和歴”があり、そこに”和ハーブ”との類似性が見え透くということ

ここでの”和歴”とは、直接的な原義(=元号を踏まえた日本独自の紀年法)の意にせず、"日本列島古来の風土のリズム"をよりダイレクトに意識させる、装置/象徴的カテゴリとして見ていく


〇まるごと”旧暦”扱いの盲点?

”旧暦”の中に、大陸由来でない”和歴”を認識する余地が本来はある

まず、明治5(1872)年改暦以前に日本列島に住む人々の身体感覚にあったのは、大陸由来の枠組みで作られてきた、”約1300年来の太陰太陽暦/旧暦)”だけではない可能性ーというものを見ておきたい

なぜなら、大陸由来の仕組み・暦法を導入、利用していった主体とは、基本的にこの日本列島において、識字層に限られるはずだからだ。暦法は識字能力あってこそ受容し、使用し、書かれた言葉としても後世に継承していけたもの。その暦法で構築される世界とは別のエリア(意識の層/レイヤー)に、列島各地で自然現象を目前に生活を営んでいた非識字層、が相当な割合でいただろう

暦法の担い手/使用者/継承者:識字層
 ≠ 列島各地の住民:非識字層
但し、双方とも
生活基盤の大部分を第一次産業に依る

彼らにとって暦とは何よりも、日々の生業ー漁業・農業・林業等において、自然環境に包まれる中で継承される、身体感覚により学び、継承する技、生活のリズム、或いはまた話し言葉により伝承してゆく知恵であったーと想定される

そして日本列島数万年のスパンで俯瞰すれば、その非識字層が生活実態の中で蓄積し活かしてきた、そうした身体知/口承による知としての暦が、暦法導入とは別の流れとしてあり続けてきただろう

前近代までの暦を、暦法”旧暦”としてまるごと扱うことの盲点、として、つきたいのはここだ

日本列島各地の住民目線で作られてきた、”日本の風土のリズムを察知できる暦”を試しに、”和暦”と名付けてみる

勿論この”和暦”の一面は、前述の、「旧暦における”和の実態”への調整」内容でも結局は言及されているものだ。が、試みたいのは、概念化・事象のカテゴライズにより、本質を可視化すること


日本列島各地の”風土に根差した目線”
 を意識化する

和暦ー大陸由来の暦法とは別に継承されてきた、”日本の風土のリズムを察知できる暦”。それは原初、身体知・口承による知から成り立つー

は、主要テキストが後に説く「中医学由来の『漢方』だけでない『和方』、つまり”和ハーブ”を使った民間療法が古来あった」(第3章 和ハーブと健康・医療)という視座と同じ切り口で読み解ける

旧暦/太陰太陽暦 ↔ 漢方/中医学

┗和暦     ↔ ┗和法/民間療法
           和ハーブ/和薬

このように、およそ対比できる類似構造が見えるのだ

筆者の視界内見取り図は以下の通り。類似性をKeyに各要素の背後に見える関連事象を整理してみた(論証は本記事内未済の為、推察)

表1-1 ”和暦”と”和ハーブ”との類似性(和ハーブ見取り図より一部抜粋)

和ハーブ見取り図PNGNEW2-1


”和暦”の捉え方は原義も含め、本来幾通りも可能。主要テキストでは”旧暦”の概念を幅広く踏まえ、”旧暦”≒”和の暦”との扱いに収めるスタンスで説明している(「地域暦」に触れ担保)

大まかに捉える姿勢が誤りなのではなく、どちらかというと、近現代よりも前、を認識する過程での必要条件として、正しいと考えられる

であればなぜ、加えて"和暦"の語を出すのか

実は"和暦"の語彙自体は、筆者は神道意識を学んでいく繋がりの中で、下記の本を通して知った

和暦で暮らそう』柳生博/和暦倶楽部 (著). 小学館. 2008/2/28. p.159

ここでこの語を使用し紹介するのは、自然界の各生き物を間近でつぶさに観察し続けると、下記の観点も、自ずと意識されるのだろうと筆者には納得が行ったからだ

和歴って何?
和歴とは、大陸から旧暦が伝来する以前に存在したと推定される日本独特の自然暦・農事歴・祭事歴のことです。それは日本人の魂の原型。「和の心」を育み続けてきた母体。日本文化のDNA.

和暦で暮らそう』p.5

同書内では、筆者にとって一読では体認し難い、古代人の年/日/季節の観念が、折口信夫氏や柳田國男氏の論を踏まえ唱えられている。例えば、


・コトシ(今年)とコソ(去年)が常に交代しながら現れる
 →来年は新しいコソ(去年)、再来年は新しいコトシ(今年)∞
・春秋暦
 →一年の中に、コトシ(今年)とコソ(去年)があり、トシが二度繰り返される
・一日の始まりは、朝日が昇る時刻からではなく、今日の午後六時頃、夕日の沈む頃からだった
・「ハル・ナツ・アキ・フユ」が今の四季ではなかった

つまり……元来、春祭り、夏祭り、秋祭り、冬祭りの神事を指す宗教用語であったものが、暦法普及後に、春夏秋冬という一年を通した季節を表す言葉に当てられた(同時に、祭りの数も増やされて年中行事化していった)。だから、暦法の上では春夏秋冬それぞれ等期間で対等の扱いですが、暦法以前のハル・ナツ・アキ・フユは、発生的に明らかにちがうばかりか、儀礼の重さ軽さの差がありました。それぞれ、神事としての意味、祭祀としての役割が、まったくちがっていたのです。

和暦で暮らそう』p.80
第三章 和流の源流…四季の名前と、その本当の意味
>🌙折口信夫の「ハル・ナツ・アキ・フユ」起源論


二重の引用になるが、視座の感覚を伝えるため、柳生博氏による、柳田國男氏の引用文を載せる

「ツイタチすなわち新月の始めて生まるる日を、一月の初めとして元旦と名づけることは、暦の学問のやや進んでから後のことでなければならぬ。(中略)かつては盆と同様に月代(つきしろ)のまん丸で、夜すがら大空を照り渡る晩を境としていたことと思う。盆と正月とは棚を作り植物を飾り立て、みたまに食物を供えるなどの行事が皆似ており、正月も十五日であったらちょうど一年を六月ずつに二分することになる。(中略)朝廷制定の暦が示されると、国民はともにこれに遵依して、いわゆつ正朔を奉じるのは当然であって、このために明治の新暦初期にもあったように、在来の正月行事を二つに分けて、主として表向きの半分だけは元日の方に移し、残りの内向きの半分は旧来の年越、すなわち十四日の晩のために残しておくようになったのである」(柳田國男「新たなる太陽」)

和暦で暮らそう』p.107
第五章 年中行事の真解釈と、和暦の風流作法
🌙旧暦以前に存在した「旧々暦」こと「わが民族の固有暦法」

(折口信夫氏や柳田國男氏の目線にチューニングすると、”旧暦”一括りで語れるどころでない深みが、古代にあるだろう予感だけは、まず認識可能ではないだろうか)

🌿

象徴的に”クレオール”とも言える日本列島で、≒とする目線が間違いなわけではない

ただ”日本列島各地の風土に根差した目線”というものを、”和ハーブ”を定義するのと同様にカテゴリとして意識化/類型化し、前近代までの暦の中に”和暦”を厳密に捉えていく複眼思考を持つこと自体は、可能だ。古来、目前に身の回りに存在していた、直接的に使える有用植物を”和ハーブ”として整理でき、何よりそこに、”和”の要素をカテゴリ/概念化できるのならば。更に、

多角的に複眼で見、類型化できるものをひとつの目線、軸として整理していくことで、見えてくる全体像/背景/コンテクストがある


〇風土に根差した身体知・口承知を
 再度知る媒体として意識化する

なぜ意識化が必要か?ー放置すれば霧消しやすい知だから

繰り返すが”旧暦”≒”和の暦”との扱いが誤りなわけではない

ただ、筆者にはより差異を意識し、考察したい理由がある

🌿

考察の一例

表1-2 全表(1-1)へ右欄追記

和ハーブ見取り図PNGNEW2-2

和ハーブ見取り図PNGNEW2-3

右欄上部に記載した、以下の数点

1.明治開国以降、ベースで産業構造の大規模な変化(第一次産業⤵、都市化、識字率⤴、メディア構造の変化etc.,)

2.過去2000年、特に数百年かけての、地政学or智政学(knowledge-politics)的要因による圧倒的グローバリゼーションの到来、席巻

3.欧米の文明に出合う以前も古来、日本列島では、文明間の地政/智政学的関係性の中でユーラシア大陸より流入する文化/文明(を構成する知識なり技術なり)を、"先進的"なコンテンツとして、列島内支配層(知識人)が、制度上でも重要視、言語化により顕在化・認識化、presenceを高め受容、吸収してく傾向にあった


・・これらの状況を挙げていくだけでも、見渡せは私たちは今、日常生活のなかで、

言語化されない類の、風土に根差した身体知・口承知というものが消されやすい状況にあると言える。のだが、具体的には

ここ150年で、第一次産業従事者が産業構造からごそっと減少、身の回りの家族血縁者からも数世代かけてすううと減少、となってきている中、

非言語化情報の遺産について、生活実態のフェーズでの知覚化、継承のリアルがなくなり久しい

一方で、基幹産業が変わった今、書き言葉の知は書/誌面/Web上で想像以上に一人歩きしやすい(脳内で拡大視されやすい)

ここで、

なぜそうした身体知・口承知が消されてはダメなのか、という問いへは、

風土に根差した身体知・口承知というもののなかに、その土地土地で心身のバランスを保つ知恵が継承されていると予測されるから

という答えを、一義的には用意している

というのも、この類の話は“科学的合理的説明”が困難なのは承知しながらも、少なくとも経験則の範疇で

風土に根差した身体地・口承知を無視した生活は心身に無理を生じさせたり深刻には肉体的・精神的病的状態を引き起こす状況にあると見て(体認して)いるからである

その実証自体今できていないが、風土に根差した身体知・口承知に盲目であることと、現行のパラダイムによる心身への弊害は、表裏一体の関係にあるのではないか、という問題意識が、筆者の和暦・和ハーブへフォーカスする動機にある

🌿

逆に、十把一絡げに旧暦≒和の暦ととらえるケースの何が問題か

再度の整理になるが、”旧暦”とはあくまで暦法の枠組みにあるもので、かつ、ルーツが大陸伝来の書き言葉の知である。こうした書き言葉の知で語彙の表面を覆うと、列島における身体知・口承知の重要度が後回しにされやすくなる。身体知・口承知をご先祖さま由来の知と言い換え、風土のリアルとするならば、そのリアルとの接点度合が脳内認知の中で下がるから、足元、ただでさえ目の前の生活リズムからは優先順位低く軽視、流されやすいのに、認識さえできなくなる

要は、元来大陸由来の要素が、クローズアップされやすいということ

またこれは、現代となっては同時に、繰り返すが書き言葉の知ー書/誌面/Web上の知が拡大視されやすいということ。これが、この感覚で通すことが、巡り巡って地球上に生きる生命のリズムとして、不協和音を発する未来の温床となる予感があり、問題視している

🌿

高月美樹氏の描くような未来を志向していく際、

”日本の風土のリズムを察知できる暦”をよりバランスよくフォーカスしていくためには、一度、”旧暦”の中に包含されている根っこの”和暦”を一度意識した方がよいのではないか

認知の幅を広げてこそ、バランスをとる視野も持てるとも考えられるからだ

🌿

また、”和暦””和ハーブ”は見てきたように、

風土に根差した身体知・口承知を再度知る媒体として共通性を持つ

ここを構造化していくと、更にこれは

地球上グローバリゼーション下、あらゆる地域で本来的に含め持つ媒体として、アナロジー化可能な話になる

”和”の部分が各地域のルーツ事象に入れ替われば、どの地域についても本来、見えてくる構造だろう。植民地化の歴史が数百年と長い土地にだって適用できる

🌿

最後、延長線上に、本質的に志向していく先が浮き彫りになる

=地産地消システムへ軸足をシフトしていく意識を醸成すること
(ナショナリズムに固執する観点ではなく、願わくば地球規模、各地で)


地産地消クローズアップ



| 地球規模での地産地消システムへ志向するビジョンーも見えてくる(✑)


✑和暦/和ハーブをフォーカスする意義を素描✑


〇地産地消システムを本気で志向する。と
 見えてくるもの―現代のパラダイムへの問い

筆者にとって、例えばだが、足元のスミレやヨモギやハンゲショウ(半夏生)を具に見ていくことは、和暦/和ハーブを見ていくことと、眼差しの先、射程の方向性が同じである

そして、その眼差しの先の先、事の本質を集約していくと、出てくるテーマは、

地産地消クローズアップ2

≪地産地消≫となってくる。そしてこの語が現代日本において、どういったコンテクスト下成立しているか、紐解けば紐解くほど、対立構造としての、

地産地消クローズアップ3

グローバリゼーション、その他これに類似する現行のパラダイムが見えてくる。それは、上表で言えば、上位の「近代・科学・合理思想(デカルト以後)/西洋哲学/ロゴス的知性/ユダヤ・キリスト教」にあたるカテゴリの部分に相当すると、概観している。ここに依って立つことの、再度の問い直しを図る契機に、和暦/和ハーブの存在はなり得る


〇グローバリゼーションを動かしてきた何某か  
 をメタ認知ーする余地もある

前述内容と同じ方向性で重複するが、再度強調するならば

2.過去2000年、特に数百年かけての、地政学or智政学(knowledge-politics)的要因による圧倒的グローバリゼーションの到来、席巻

この部分をより深く洞察していくことで、なぜ、今私たちが現行パラダイムの上に生れ落ちているのか、より多角的に俯瞰視していくことができる


🖋参考🖋

智政学(knowledge-politics)の語彙について

繰り返すが、地政学(geopolitics)とは、 Rudolf Kjellen (1864-1922)[チェーレンと読む]によって考案された用語で、政治地理学に対抗した動態的な権力政治論として構想された。国家を領土を維持・開 拓・進展させようする有機的形態(Lebensform)とみる考え方である。しかし、ウィアム・ハーベイのいう、「時間と空間の圧縮」がすすんだ現在。 お よそ1世紀近く前のこの概念は古すぎる。むしろ、その地政学にはインテリジェンス(諜報)などの知識情報を加えた、智政学(knowledge- politics)を構想する必要ある。つまり、智政学(ちせいがく)は動態的な権力政治論として構想される。つまり、国家よりも「権力志向構造体」とし てとらえ、知識と情報の空間(スペース)を維持・開 拓・進展させようする有機的形態(Lebesform)とみる考え方こそが智政学(knowledge-politics)そのものである。
地政学/Geopolitics池田光穂(大阪大学COデザインセンター長:文化人類学者。専門領域は、中央アメリカの 民族誌学と医療人類学 Wikipediaより)



〇命、森羅万象を敬い、地球蘇生を共同創造してゆくー過程でバランス感覚を模索、磨ける時代

筆者の抱負を精神論として語るまでになってしまうが、"和暦"や"和ハーブ"を深堀りしながら最終的に目指す方向とは、神道意識/霊性を想起し”大調和のこころ”を育てていく姿にあり、それは己(自我意識)を祓い、今在る命ー自他の境なくー他者なる命に感謝し、身を包む森羅万象を敬うなかで、地球蘇生を共同創造してゆく営みでもある

≪地産地消≫に完全に徹することは、農耕を開始し都市化を作り出した時点で人類にはもうとうの昔に、恐らく不可能となっている。今現在、突然”和ハーブ”だけに囲まれ自給自足で完結する生活を送ることは難しい。現行システムの中でバランス感覚を探りつつ、新たな青写真を描くことが目下与えられている具体的課題だろう

バランス感覚を磨けるチャンス到来、とも捉えられるので、持てる五感・第六感でいつか和音を奏でられる日まで、あくまでポジティブでありたい


再度、全体像

和ハーブ見取り図PNGNEW


※1 "和ハーブ"なる有用植物の、人との関わりは、食や薬の面だけに限らない。毎回の記事冒頭に引用掲示している通り、象徴的に少なくとも10の切り口―食・薬・色・浴・繊・粧・礼・環・材・毒―全般において接点を持つような、生活に密着した必要不可欠な存在だったと言える。その"有用"の扱いは古来、地球上普遍であったろう
※2 "和ハーブ"という当該カテゴリ/1ファクターは、ガラパゴス的日本列島内の文化的事象/現象全般におけるメタファーとして、類比・類推的思考/Analogical Thinkingが可能ではと筆者は考える
e.g.  やまとことば、日本画etc.,(in "日本とは何か"問題)


🖋参考🖋
(最初勢いで調べ整理し直したものの、本文内で使えなかった内容諸々です。着意の契機は、矢作直樹先生主宰の「我が国のこころ塾」2020/7/3)

https://yahaginaoki.jp/wp-content/uploads/2020/05/resume0527.pdf
(今年だと第3回)

画像18


■改暦の軌跡ー太陰太陽暦(旧暦/天保暦)からグレゴリオ暦へ

〇”開国”に伴い、帝国主義時代の欧米列強と国際関係を維持する必要性が生じた

”開国”への道のり、条約締結例:

(旧暦/天保暦) (グレゴリオ暦)

・日米和親条約
嘉永7年3月3日=1854/3/31 
・日英和親条約
嘉永7年8月23日=1854/10/14
・日露和親条約
安政2年12月21日=1855/2/7
・安政の五カ国条約
安政5年6月19日=1858/7/29~

→足元の太陰太陽暦(旧暦/天保暦)を、都度グレゴリオ暦に読み替える視点の発生

改暦直前の変遷詳細

・改暦以前 

日本列島:太陰太陽暦(旧暦/天保暦)≠ 欧米:太陽暦/グレゴリオ暦

慶応4年1月1日 = 1868/1/25
:改暦した年の、年始の暦状況

慶応4年9月8日 = 1868/10/23
:この日に明治に改元(=明治元)

明治5年12月2日 = 1872/12/31
:この日までで旧暦が終わる(翌日が明治6年1月1日=1873/1/1に
 →明治5年の残りの12月3日~12月末日(in 旧暦/天保暦)は消えることに


・改暦以後

日本列島・欧米:太陽暦/グレゴリオ暦

明治6年1月1日 = 1873/1/1 
以降、2021年までの148年間、日本列島において初めての太陽暦/グレゴリオ暦活用している






≪今回はここまで≫

🐝最後に🦋
和ハーブを学び活用していくことの意義
(固定掲示)

①先祖代々引き継がれ、また生まれ育ってきた環境における素材の恩恵を受けられる
②文化の根源素材である植物の研究により、先祖からの文化・歴史を知り、継承していく機運になる
③生活圏における自然環境の過去・現在・未来について、認知・把握することができる
④素材のトレイサビリティ(追跡性)やピュアリティ(純粋性)が見えやすいものを手にできる
⑤地域の素材を活かした産業を作り出し、雇用や経済を活性化することができる
⑥素材の遠方輸送における資源の浪費、それによって引き起こされる公害などを防ぐことができる

和ハーブ にほんのたからもの』p.37より


有用植物とは?分類学の目線から見る表
和ハーブの位置→ピンク太字部分(和ハーブのいろは 1 より)

画像13

画像14

(↓要は、独立栄養生物がいないと従属栄養生物は生きていけない大原則に、最初に気づきたいための表)

🌿

以上、内容は参考文献『和ハーブ にほんのたからもの』(古谷暢基・平川美鶴(著)/一般社団法人和ハーブ協会 (編集))p.38-37を踏まえnote化したものです

参照情報/参考文献:本文中に記載
使用画像:記載ないものは筆者撮影


≪要検討/調査事項≫
民俗学上の現時点での暦に関する、最新諸説の確認


🌿🌿🌿

中部地方新興住宅地育ち、哲学基礎文化学系美学・美術史学出身の者です。日本の美(全般、中でも日本画)を志しながら、”和の色”を辿る内に、この春先、和ハーブに出逢うこととなりました。(運命のように‥美学時代からの、時と場所を超えたいのちの親友のお蔭で)テキストを開き始めて以来、脳内ネットワークが生物学系学習歴はセンター試験レベルまでだと気づき愕然、農学系は(農学部前に住み、農学×能楽部×登山族の親友もいたのに何も目覚めずのまま。。折角のご縁の中で何を見ていたのだろう)皆無に近い…諸々あゝなんて初心者なのだと痛感する日々です。基礎の基礎から、確かめて参ります。最初は主要テキストベタ打ちになり、恐縮です

感じ思考した内容は追々、まとめて行けたらと存じます

どうぞ、宜しくお願い致します

🌿🌿🌿

祓ひ給ひ 清め給へ
神ながら
守り給ひ幸ひ給へ

∞とほかみえみため∞

🌿🌿🌿

ご縁を結んでくださる全ての方、
森羅万象に感謝致します

宇宙の愛と光に、満ち満ちますように




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