ライバルのシンバル
ついにこの日がきた。
荘厳な雰囲気を醸し出す舞台では、オーケストラが大迫力で「新世界より」を演奏している。ドヴォルザークの代表作で、クラシック音楽全ての中でもかなり人気のある楽曲だ。
二階席を取っていた私にはある野望があった。
私が見据える先にはシンバル担当のキクチ。
私と彼は犬猿の仲なのだ。
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5年前、同じオーケストラ楽団に打楽器奏者として所属していた私たちは、あるオーディションに向けて日々練習を積み重ねていた。切磋琢磨の四文字そのもののような日々だった。
オーディション当日。私は緊張した面持ちで自分のシンバルを取り出し、練習を始めた。
ん?いつもと音が違う。
もう一度鳴らしてもやっぱり響きが違う。
自分の聴き慣れた音ではない、濁った音だ。
シンバルを確認してみると、そこにはどういうわけか、こぶし大の大きなへこみがあった。自分の愛機が見るも無惨な姿になっている。どうしてこんなことに、、やり場のない焦りと悲しみ、そして怒りを胸に、傷ついた部分を撫でる。
ん?この形は、、あれだ!!
私はへこみの形があるものに似ていることに気がついた。
初代たまごっちだ。
楽団で初代たまごっちを持っているのは私の同僚であるキクチしかいない。(私は最新版しか持っていないし、ビオラのヤマダはTamagochi iDとたまごっちプラスしか持っていない)
初めはシラを切っていたキクチだったが、このことを指摘すると観念したように頭を垂れた。
ライバルである私のオーディションを潰そうと、シンバルに初代たまごっちをぶつけてへこませたようだ。よりにもよって初代たまごっちだ。全く、ライバル心が人を狂わせるようだ。
結局、自分のシンバルを壊された私は、この日のオーディションを受けられなかった。キクチもオーディションには落ちたものの、この出来事は私たちの間柄に大きな亀裂を産むことになったのだった。
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そして今日が、復讐の日だ。
「新世界より」のシンバルは約45分の曲の中で1度しか叩かれないことで有名である。
このたった1回の出番を叩けずに終わったとなれば、シンバル奏者の面目は丸潰れなのだ。
作戦はこうだ。
キクチがこのたった1回のシンバルを叩くとき、二階席から巨大マシュマロを投げ込む。マシュマロはシンバルにすっぽり挟まれ、音が出なくなるという寸法だ。
我ながらいい作戦だ。そう思いながら何も知らずに出番を待つキクチを見やる。しめしめ、いくら出番を待とうとも最期には巨大マシュマロに阻まれるというのに。私は巨大マシュマロを野球選手さながらに構え、その時を待った。
しまった!
私は早速誤ちを犯してしまった。
二階席ってこんなに遠いんだ!!
てっきりもっと近づけるかと思ったが、ホールは音の広がりを良くするために広々とした造りになっている。ここに技術力と財力が光っているというわけだ。
近くにカタパルトがあるか探したが、当然無い。ここが中世の戦場だったら、、生まれた時代を恨んだ。こうなってはマシュマロをシンバルに投げ込めない。どうしよう。巨大なマシュマロを脇に抱えたまま、私は頭を抱えた。ん、マシュマロも頭も抱えたと言った方が良いか。あたマシュマロを抱えたでも良いか。どっちにしよう。私はあたマシュマロを抱えた。
しまった!
私は第二の誤ちを犯してしまった。
焦った私は気がつくとマシュマロを食べてしまっていた。
頭を使うと糖分を欲するのが人間だ。かなりおいしい。ただの業務用ではない、特注品なのだ。もう半分ほど食べてしまった。この大きさでは仮に挟まったとしても音を防ぐことは出来ない。焼いたらさらに美味しいだろう。
どうしよう。コンロを用意しよう。
私はホールを抜け出して、近くにあったバーベキューコンロに火をつけた。
オーケストラホール付近にはバーベキューコンロが付きものだ。
食べかけの巨大マシュマロを、いや、もう巨ではない大マシュマロを火に翳した。
マシュマロをゆるやかに焼いていく。焦がさないように慎重に、全身の神経を使いマシュマロを見つめる。
表面はウォールナットのような暖かい色合いになり、なかなかよく出来た仕上がりだ。
さあ、早速一口いただこう。
前歯にマシュマロの表面の硬さがダイレクトに伝わった刹那、口の中に広がる独特の柔らかさ。あの夏の入道雲を食用にしたらこんな食感だろう。
炭火の煙はキャンプファイヤーを思い出させ、マシュマロの香りと相まってまるで自然と一体化しているようだ。贅沢ながらもシンプルな味わいは、味覚だけでなく五感全ての感覚を暖かく包み込んでくれる。
ふと空を見上げる。雲ひとつない快晴だ。私の手元に集まっているのだから当然か。今日という日に相応しい青だ。
どこかでシンバルが響いたような気がした。
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