元気なばばあになりたい
幸せとはなんぞやと
あっちいったり、こっちいったり、引き返したりしながら色々考えたりするんだけど、
結局のところ、
元気なばばあになったら、
私って幸せだったと言えるんじゃねーかと思ったのだ。
もちろん、ばばあになるまで生きれるかはわかんない。
明日死ぬかもしれないし。
しかし、元気なばばあになるために日々を積み重ねることは、結局、目の前の幸せを積み重ねていく、ということには…ならないかな?
元気なおばちゃんだと、もう未来が近過ぎるのだ。
元気なばばあくらいなら、まだ遠くて、そこまでにはなんとかなる気がするし、そこまでずっと残っているものなんてほとんどないだろうから、目の前のことに逆に集中できる気がする。
世間体も、小さな失敗も、大きな成功も、全部が今この時のものでしかなくて、でも、その積み重ねが遠い未来の自分に繋がっていく。
元気なばばあになることを目標にすることで、『今』の重みがちょうどよくなる。
私には。
今を生きろとか、後悔のない毎日をとか、『今』を大事にしすぎると、私は腰がどんどん重くなって、歩けなくなる。
かといって、軽くしすぎると、ずーっと走り続けてしまって、倒れる。私個人の傾向としては、シンプルに体を壊す。
だから、迷ったときは、
元気なばばあになれそうなほうを選ぼうと思う。
体も、心も。
30年後に、元気なばばあだな、と言われたい。
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