見出し画像

どうしてあの頃私はいけばなにあんなにも怒りを感じていたのか

いけばなを始めたのは1997年頃。5年ぐらいやめていた時期があるので、20年ぐらいいけばなをやってきたことになります。

この数ヶ月、その20年を振り返る時間を時々持っているのですが、とりわけある時期のいけばなと自分のことを振り返ると、怒りと焦りとどうしようもなさがごっちゃになった感情がどろどろと出てくることに気づきました。感情が体の上で再現されて呼吸も浅くなる。

無心になってエゴを手放して花と向き合ういけばな、花をいけることで心が落ち着き整うはずなのに、なんで私はあの時あんなに怒っていたんだろう。なんであんなに焦っていらいらしていたのだろう。

しかも、今はもうすっかり達観してそんなどろどろの感情とは無縁かというと、そんなことはありません。まだ心の奥底にその感情がゆっくり渦巻いていて、時折ひょいっと顔を出します。そのことを自覚しているので、感情がさらなる感情を引き起こす前に、ふーっと落ち着けるようになった、という違いはありますが。

あの頃、というのは、大学を卒業してマッキンゼーで働いていたぐらいの20代前半の時のことです。

頭でっかちに思いっきり働いていた

会社の大原則はclient interest first. いかに自分がクライアントに対してバリューを出せるかを、一枚のスライドの書き方から一回のミーティングでの発言まであらゆる場で問われ続けました。朝から晩まで自分の頭を限界までストレッチして考え抜く。

また、コンサルタントが頭を使って考えることにすべての時間とエネルギーを使えるように、会社からの手厚いサポートもありました。移動手段はほぼタクシー、文房具など必要なものは全部揃っていて、優秀なリサーチチームにはいつでもアクセス可能で、ぐちゃぐちゃの手書きスライドが次の日の朝にはきれいなパワポになって戻ってくる。自分のデスクの引越し・片付けすら業者がやってくれました。

どんどん体を動かさなくなり、頭でっかちになっていきました。そして頭でっかちであることをどこか誇るようになっていきます。頭を動かす仕事こそが最もバリューがあると勘違いをして。

同時に、マッキンゼーは、困った時は助けを求めればどんなえらい人でも必ず時間をとってくれるあたたかな組織でもありました。同僚はみんな人として面白すぎるし、全てが渾然一体としていていろんなことが起こっていて。学部を出てそのまま会社に入った私には、とにかく全てが刺激的で、ほとんどの時間を会社で会社の人たちと過ごしていました。

いけばなでのいらいらが大きくなっていく

いけばなでのいらいら、怒りが大きくなっていったのは、この時期です。

まず、週に一度、土曜日午後のいけばなのお稽古に行くのすらつらくなっていきます。平日は早朝から深夜まで働き、そのテンションのバランスを取るため金曜日は深夜から明け方まで飲む、土曜日はほぼ寝て過ごして、日曜日の午後から仕事して月曜日からに備える、みたいな一週間を繰り返しているので、土曜日午後は眠いし体もきついし寝てたい、となる。別に他に予定があるわけではないけれど行かない、という頻度が増えていきました。

なんとか這うようにお稽古に行けたとしても、今度は花の前で静かに座る、ということができません。日々猛烈に回転している脳のCPUは、花の前にいても動き続けている。花の声を聞こうと思っても、自分の頭がぶんぶんうるさすぎて、全然聞こえない。

花の声が聞こえないので、どうやっていけたらいいかもわからない。そして、自分がいけられないことに、ものすごい腹が立ってくる。あんなに難しい仕事をちゃんとこなせているのに、なんでいけばなができないの!

そうした自分への怒りがまた頭の声の拡大につながり、ますます花の声を打ち消す。花の声が聞こえていないので、自分のいけている作品も、流れはどことなく濁り、バランスもどこか崩れたものになる。それを見てますますいらいらする。典型的な悪循環です。そのまま作品を床に打ち付けて壊したいと思うぐらい、激しい怒りが湧いてきたこともあります。それを思い出したら、今の自分も体がかーっと熱くなるぐらい。

そしてその時の自分の決断は、もういけばなはやめる、でした。こんなにハードに仕事している自分が、どうして週末の趣味でこんな思いをしなくちゃいけないのか、と、いけばなのせいにして。

心と体がそこになかった

今、冷静に振り返ると、どうして自分があんなに怒っていたのか、腑に落ちます。

無心になることで花の声が聞こえ、その声に従って花をいかすのがいけばな。そして「無心」というのは心の状態であると同時に非常に身体的なものでもあります。花の声を本当に聞けている時というのは、直接体で花の声を受け止め、そのまま体が勝手に動いて花をいけている、という感覚があります。頭の回路を通らずに。いけばなとは心と体の実践です。

あの頃の私は、頭至上主義にすっかり酔いしれていて、頭に全部の意識を向けて生きており、ろくに体も動かすこともしていませんでした。体がそこにないと、自ずと心も礎を失い、頭の支配下に入る。

心と体がなく頭だけで状態で花と向き合うということは、自分のエゴで花と向き合うということ。自分の思うように花を使ってきれいにいけるというのはできるかもしれませんが、花の声を聞いてそれに従って花をいかす、といういけばなはできなくなる。

さらに、頭でっかちでいると、自分が感じた怒りや焦りの感情がそのまま増幅していきやすくなります。体と心がそこにあれば、感情が自分の中に起きていることに気づき一度立ち止まることができますが、頭だけだと、感情が坂道を転がる雪だるまのようにただただ膨らんでいく。

心と体を置き去りにして頭だけで生きていた、だから心と体の実践であるいけばなができなくなって、それについて頭で怒り頭の中で怒りを増幅させていたんだな、と。

あの頃、自分の生き方は正しいと信じていました。調子に乗っていました。でも本当はそうじゃないよ、といけばなが教えてくれていた。だからこそ「いや、私の方が正しい」とムキになっていらついていた、というのもあるのかもしれません。

怒りもサイン

とはいえ、あれだけの怒りを感じた、ということ自体が、私にとっていけばなが特別で大切な実践であることを示していた、と今では思います。自分の中に渦巻くどろどろした感情、醜いところに、いけばながあったからこそアクセスできた。いけばながなければ、知り得なかった自分の内側の世界です。

フラメンコはいけばなと同じぐらい長く続けていて自分にとってはとても大切なものです。これまでそれなりに苦しさややるせなさを経験しましたが、いけばなほどの激しい感情を持ったことはありません。動きとしては圧倒的に激しいのに。南スペインの人々と風土と深く結びついたフラメンコは、私にとっては何十年続けようと絶対に掴み切れないforeignなもの。自分とフラメンコの間に心理的距離があるので、細く長く付き合い続けている。

あれだけの怒りを感じたものだったからこそ、あれだけ内側から揺さぶられるものだったからこそ、きっと今、いけばなのことをこれほどしつこく考えたり伝えたり場を創ったりしているんだろうな、と思います。

もちろん怒ってやめたあの頃は、その後いけばなと人生がこんなに深く重なっていくなんて、夢にも思っていませんでしたが。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?