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私の「星空体験」は何だったんだろう...藤田一照さんとの対話

DHBR Fireside Chatが2021年5月にスタートします。毎回ゲストをお呼びし、焚き火を前にしているかのようにゆったりと、ゲストの方の人生、考え方、感じ方を聞いていくインタビューPodcast番組です。私はDHBR編集部のみなさんと一緒にホスト(という名の、単にしみじみ聞き入っている人)を務めます。

第一回のゲストは禅僧の藤田一照さんでした。深さと軽さの両方をとんでもないレベルで持ち合わせている方。自分の人生をはしょらずに生きていったら、一照さんのありようにちょっとは近づけるのかなあ、という意味において、ロールモデルだと一方的に慕わせていただいています。一照さんを第一回ゲストとしてお呼びでき、本当に本当にうれしく光栄でした。

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藤田一照さん

インタビュー中は、一照さんのお話に体も頭も心もどっぷり浸かりこみ、ホストとしてはほぼ役立たずなため息とうなづきばかりを繰り返していました。終わった後も、何日もその余韻が身体のあちこちで響いているような。とても身体的なインタビューでした。

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10歳の「星空体験」

10歳の少年は、夜道、自転車を漕いでどこかへ向かっていた。ふと空を見上げると、そこにはたくさんの星があった。星が好きで毎晩のように眺めていたが、その夜の星空は、少年に圧倒的な存在感で迫ってきた。少年はその時、全身でこう感じた。「誰の目の前にも星空はある。でも、この瞬間、この星空をこういうふうに見ているのは、広い宇宙で自分しかいない。」

これは藤田一照さんが10歳の時の「星空体験」のお話です。

生きていることの神秘、不思議さ。人生の謎。わけのわからなさ。そしてそれは、どこか遠くに、何かを突き詰めた先にあるのではなく、今ここ、足元にあるという感覚。

この場でこの感じで星を見ているのは自分「しか」いない。一般化も普遍化も数値化もできない、この「しかなさ」。

10歳で星空から受け取った自分の人生への問い。これが、東大の大学院で発達心理学の研究をしていた時に禅に出会い、29歳で出家、その後40年近く禅僧として生きていらっしゃる、その根底に常にあったそうです。

誰もが、問いの種類はかたちは違えど、その人の人生の問いを投げかけられるような丸ごとの原体験を持っているのかもしれません。それをなかったことにして、社会に自分を合わせながら生きていくこともできる。しばらく忘れていたけれど、いろんな人生の経験を積んで初めてそれが問いだったことに気づき、だいぶ時間が経ってから改めて向き合う、ということもあると思います。

どんな生き方だって尊い。でも、ほがらかな一照さんのお顔、ひょいひょいと動く身体を見ていると、やっぱり、自分だけの答えのない問いを大切にする生き方って素敵だなあ、と思います。

私にとっての星空体験って、何だったんだろう...

学問への違和感、からの出家

そこから、一照さんは、大きな仕組みの中の取り替えがきく一部となって働くサラリーマンは自分には向いていないと思うようになり、ならば学問の道に行ってみようということで、大学卒業後は大学院に進み、心理学の研究を始めます。でも、まもなく学問の世界にも違和感を感じるようになります。

病気もしていずれは死んでいく身体もあっての人間なのに、そこから「心理」というものだけを取り出して研究する「心理学」。それぞれの人はそれぞれユニークなのに、数値化して誰にでも通用することを導き出すのが学問だとする考え方。

行き詰まりを感じていた時に、知人の紹介で、鎌倉のお寺で数日の座禅の修行に参加。その時に、禅というのは、10歳の星空体験で受け取った人生の問いに向き合うものだ、と直感されたそうです。

しばらくは研究を続けながら修行する在野の道を模索されていましたが、四国のお遍路を歩くうちに、他の選択肢が全部消えて、出家をして修行の人生を生きる、という道だけが自然と残り、29歳で出家、「藤田一照」となられました。

一照さんがやったお遍路は、まさに正真正銘のお遍路さん。お金も何も持たず、計画を立てず、ただひたすら歩く。人からいただいたものだけを食べる。野宿、お風呂なし。その日何が起きるのか、全くわからない。

地位や能力、持っているものは何も関係ない。どうそこに存在しているかだけ、の日々。

その間、これからの人生をどうしようか考えていたわけではなく、ただただ何が起きるかわからないその日その日を生きていた。そして気づけば、お坊さんになるという答えだけが目の前にあったそうです。また、お遍路さんの日々が本当に楽しく、もう一回やりたいと思ったほどで、「これだけ楽しめるならお坊さんとして生きていけるな」という自信のようなものの生まれたとか。

あと一歩で東大の博士が取れるところで出家、という、外から見ればとんでもない意思決定に見えて、一照さんにとっては、いたって自然な道だった、ということかと思います。

私個人の経験からもこの感じは少しだけですがわかります。大きなジャンプ、勇気のいる決断に見えても、「もったいない」と言われる決定であっても、本人としては「いやー、そうするより他になかったんだよねー」みたいな感じです。もはや決断、意思決定ですらない、というか。

どんどん自由になる

出家され兵庫の安泰寺で修行を続けていた一照さん。師匠から「ボストンの林の中にある小屋みたいな禅堂」の僧侶として行ってみないかと言われ、渡米されました。結局、その後17年間、アメリカで過ごすことになります。

最初の3年ぐらいは、理想の坐禅というものがある、でも禅堂にやってくる方々の坐禅、現実はそこから遠いので、なんとか励ましながらみんなを理想に近づけよう。そのためにも自分が一番がんばろう、という感じでやっていらっしゃいました。でもそれだと自分もしんどいし、みんなもしんどい。

そもそも修行って、しんどいものなのか?

それから、未来・理想を目指して今を変えようとするのではなく、今起きていることを受信する・気づくというのが坐禅なのではないか、と一照さんご自身の坐禅の考え方が変わっていきました。それと同時に、伝え方も、これまで習ってきたものを伝えるのではなく、アメリカの人たちとやりとりしながら、そこから立ち現れる自分なりのやり方で禅を伝えていく形に変わっていきます。

どんどん自由になる。こうでなければいけない、という縄がほどけていく。

ちなみに一照さん、禅堂では「No donation requested, no donation refused. (お布施は求めないけど、くれるなら受け取ります)」という看板を置きそれで集まるちょっとしたお布施と、近所の人の何でも屋さんによる、必要最低限のキャッシュでご家族での日々を過ごしていらっしゃいました。

お二人のお嬢さんに「統計的には僕らpoorなんだけど、うちはpoorだと思う?」と聞くと、お嬢さんたちは「うーん、あんまりpoorだとは感じないかな」と答える。最高すぎる。これこそ、自由、ですね。

さて、自分はどうか

こうした一照さんの人生の軌跡をしみじみと辿らせていただきながら、たくさんの知恵を教えていただきました。

その一つが、「有心」と「無心」。

ここにない何かや目標をつかみにいこうとする、わからないことを探求することでわかろうとする「有心」。自分の心と体に任せきる。そうすることで自ずとあちらから目標がやってくる「無心」。

例えばお遍路さんでいえば、「人生悩んでいるのでお遍路を歩くことでやることを見つけよう」と目的を設定し、歩いている際に「これからの人生どうしようか」と考えているとなると、それは「有心」になります。一照さんのお遍路のように、お金も持たず、その時に起きることをそのまま受け入れて、ただひたすら歩く。それは「無心」です。そうしたら自ずとこれからの道が目の前に現れていた。

これは、いけばなも同じです。いいお花、すごいお花をいけよう!と思って、そのためのテクニックも磨いて、ばっちりいけるとなるとそれは「有心」のお花。花とのその時だけの対話に没頭し、花の声に導かれて身体がいけていった結果、そこに作品が生まれた、となったら、それは「無心」のお花。

有心、無心、どちらが優れている、とかそういう話ではありません。両方ある。でも、社会としては、有心のことがほとんどだから、無心の時間を自分の人生の中に持つことが、きっとすごく、人間として大切なんだと思います。

無心のことを有心で進めようとしている自分の矛盾、自由になっているようでまだまだ自分で自分に縄をしめているところなど、一照さんのお話からいろんなことを気づかされ、だんだんと私の人生相談みたいになり、最後は一照さんに私が励まされて終わる、という第一回DHBR Fireside Chatとなりました。

ぜひ多くの方に、一照さんの声を直接聴いて(私のため息とうなずきが邪魔をしますが)、彼の人生の物語、深くあたたかな叡智に体を浸していただけたらと願っています。

DHBRのサイト、またAppleやSpotifyなどのPodcastのプラットフォームでDHBR Fireside Chatと検索いただけたら、そこからも聴けるようになっています。

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Issho Fujita
1954年、愛媛県生まれ。東京大学教育学部教育心理学科を経て、大学院で発達心理学を専攻。院生時代に坐禅に出会い深く傾倒。28歳で博士課程を中退し禅道場に入山、29歳で得度。33歳で渡米。以来17年半にわたってマサチューセッツ州ヴァレー禅堂で坐禅を指導する。2005年に帰国し現在も、坐禅の研究・指導にあたっている。2010年より2018年まで曹洞宗国際センター所長。Starbucks、Facebook、Salesforceなど、アメリカの大手企業でも坐禅を指導する。

著作に『現代坐禅講義 – 只管打坐への道』、『現代「只管打坐」講義』など、共著に『アップデートする仏教』、『安泰寺禅僧対談 』、『禅の教室』など、訳書に『禅への鍵』『法華経の省察』、『禅マインド ビギナーズ・マインド2』など。






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