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私の〜恋愛暗黒時代〜⑩これがジゴロというやつか

今回は、ある意味、私の人生を大きく変える
きっかけを与えてくれた、ある一人のバリ島
ビーチジゴロ?との失恋ストーリーです。
ここ、バリ島のビーチで繰り広げられる、
ワールドワイドな恋愛模様や、人間模様に
ついては、すんごいネタの宝庫なので、また、
改めて別のトピックとして、綴っていきたい
なと思います。
それでは、前置きはここまでとして。
良い歳して、まんまとジゴロにだまされた
イタイワタクシの失恋話、はじまりはじまり。



この頃、すでにアラフォーですよ。なのに、
不毛な恋愛ばかりを選んで、無駄に傷ついて
しまう自分に、疲れてしまったのでしょう。
36歳からしばらくの間、私は恋愛をお休み
しました。でも、元気だけはあり余っている
から、なんか新しいことでも始めてみるか!
と、まさにそんなモードでした。
しかし!まさかまさか、この時に出会った
“二つの新しいこと”が、ここまで大胆に
自分の未来を変えるだなんて、予想もして
いなかったのですが…。



その“新しいこと”ひとつ目は、筋トレ。
30代半ばからの体型崩れを懸念して、
近所に住む友人からのすすめと、家から
最寄りだからという理由だけで入会した
ゴールドジム。それまでは、男ウケがよい
だろうと、色白ふんわりモチモチ女子体型
をかたくなにキープしていた私でしたが、
マッチョマン達に圧倒されたのも束の間。
いつしか自分自身も、育てた筋肉をうっとりと
愛でる、立派なマッチョ姐さんになっていま
した。コンテストにも出場するようになり、
減量を経験したり、日サロにも通ったりなんか
しちゃったりして。
そして、もう一つの“新しいこと”というのが、
サーフィン。筋トレを通して新たに知り合った
友人の影響を受け、その年、久しぶりに訪れた
バリ島で人生初のサーフィンレッスンを受講。
これがまた楽しすぎて、すっかりドハマり。
こうやって、親から受け継いだ自慢の白玉肌を
脱ぎ捨て、すっかり焦げコゲコッペパン肌に。
容姿も中身も、まるで別人かのように見違える
変身をすることになりました。
この変容っぷりには、それまでの私を知る
誰もが、とても驚いていました。もちろん、
本人であるワタクシ自身も、びっくりでしたが。



そんなこんなで、自慢のマッスルボディを
ひっさげ、すっかりビーチかぶれした私は、
38歳になる年の秋に、再びサーフィン目的で、
ひとりバリ島を訪問しました。といっても、
私は一向に上達する気配のないポンコツ初心者
サーファー。そんな私が、ジゴロ達でも有名な
クタビーチを、一人ノコノコと散歩していた
時のこと。なかなかナイスな大胸筋&三角筋を
たずさえた現地のサーファーのお兄さんが、
サーフィンレッスンするよと、声をかけてきた
のです。他にも、たくさん客引きのお兄さん達
がいたのですが、この兄さんの筋肉の美しさに
ハッとしたのと、スクールで受けるレッスン料
よりも格段に安いという理由で、翌日、試しに
このお兄さんから、サーフィンを教わる約束を
しました。



太陽燦々。青い空の下、青い海でサーフィン。
海から上がり、浜辺でただのんびりと過ごす
何とも贅沢な時間。当時、仕事のストレスや
プレッシャーを沢山抱えていた私にとって、
最っ高の癒し&デトックスタイムでした。
ということで、滞在中のほぼ毎日、お兄さん
の場所に通い詰めたのでした。
その間、何となく口説いてこられているのが
分かりましたが、面倒なことになるのがイヤ
だったので、上手くかわしていました。
ですが、それでも、めげずに好意を示される
ので、普段からストレートな愛情表現に慣れて
いない日本人の私にとって、少なからず女心を
くすぐられるものがありましたが、結局、何事
もなく、私は帰国の途に就きました。



その頃、10月下旬。日本は、すっかり冬支度。
肌寒いし、、陽が沈むのも早いし、、早速、
常夏のバリ島シックにかかってしまった私に、
お兄さんは毎日せっせと、ラブメッセージを
送ってきてくれたり、電話をしてくれたり、
バリ島の風景の画像を送ってきてくれました。
そんなマメなアプローチに、だんだんと心が
ほっこりするようになり、ある日、付き合い
たいなと言われたので、YESと答えたのでした。
そして、毎日ビデオコールで会話したりして、
超遠距離で会うことはできないけど、それなり
に楽しいひと時を過ごしていました。
と、そんなある日。「12月の下旬から、3カ月間
オーストラリアに行くんだ。だから、その間は
今のように君と連絡が取れなくなってしまう。」
と、彼が言い出しました。その話は、バリに
いた時にも、一度聞いていたので、あっ!
そうだったねっていう感じだったのですが、
一体、3カ月も何をしに行くのか疑問です。
彼は、「たまに、こうやってオーストラリア
の友人達が、僕のことを招いてくれるんだ。
だから、行ってくるんだよ。」と答えます。
はぁ〜、国が違えば文化も違う。この世の中
には、友人を自国に招いて、3ヶ月間もお世話
をしてくれるような心優しい人達がいるのか。
世界は広いなぁ。と、感心したものでした。
そして、彼は、ものすごく深妙な面持ちで、
「だから、僕がオーストラリアに行く前に、
また会いに来て欲しい。」と言うのです。
時はすでに11月下旬。販売職の私にとって、
これからの時期は、一年の内でも最も忙しい
書き入れ時。まさか、バリ島になんて行ける
はずがないでしょ。と、初めは断っていたの
ですが、、、オトコのためなら全てを捧げる
オンナ。それがマユコだったので、超超超
タイトスケジュールで、再び彼に会うために
バリ島に赴き、彼のことを、ますます好きに
なって帰ってきたのでした。



そして、やってきた彼のオーストラリアへの
出発の日。私達は、飛行機搭乗時刻ギリギリ
まで、ビデオチャットをしました。
というのも、これからの3カ月の間、WiFiが
ある場所からは連絡することができるけど、
もし無ければ連絡が取れないから…とのこと。
最後まで、しばしの別れを惜しんだのです。
そして、「連絡が取れる時には、僕の方から
必ず連絡をするから、君は待っていてね。」
そう言い残し、彼はオーストラリアへと飛び
立ちました。毎日欠かさずに連絡を取り合う
ことが、すっかり日課になっていたので、
彼と連絡が取れない日々のスタートは、少し
心さびしいものでしたが、きっと、そのうち、
彼から連絡が来るだろうと、その日が来るのを
楽しみに待っていました。
再び、“The待つ女・忠犬マユ公”モードが、
完全に発動しました。



そして、クリスマスを迎え、気心の知れた
友人達とパーティーを開き、ほろ酔い気分に
なった私は、久しぶりに彼にLINEメッセージ
を送ってみたのです。すると、速攻で既読
マークがつきました。んん??
どういうこと?!既読になるってことは、
通信可能な状況ってことだよね。んん??
で、次に電話を掛けてみたものの、電話には
応答してくれず。再度、メッセージを送って
みると、やっぱりすぐに既読になる。んん??
じゃあ、何で返信してくれないんだろ。んん?
なんだか、また、イヤ〜な予感がする。でも、
いっさい彼の置かれている状況が分からないし、それを確かめるすべもない。一気に、酔いが
覚めました。そして、その瞬間から、またまた、ネガティブ思考の負のスパイラルにハマる日々
が始まったのです。



『あの日は、たまたまWiFiがあるところにいた
けど、彼もパーティー中だったから、私に連絡
できなかったんだわ。必ず連絡するって言って
たし、大丈夫よ。』
『いや、待てよ。彼を招いた友人というのは、
まさかオンナの人ではないのか?いやいや、
彼は、あれだけ私にぞっこんだったのだから、
そんなハズはない。えっ!?てことは、ゲイ?
もしかして、彼と一緒にいるのはゲイなの?』
『オーストラリアって、全然WiFiが普及して
ないのかもしれない。ましてや、田舎の方だと
なおさら普及してないんだ、きっと。だから、
彼は私に連絡したくても、出来ないのかもしれ
ないな。』
『インスタグラムで彼の名前を検索したら、
何か手掛かりが出てくるかもしれない。よし、
調べてみよう。』など。
いま、振り返ると、吹き出してしまいそうな
妄想を、毎日毎日、繰り返していました。
これまでの恋愛と同様、ネガティブな妄想で、
自分自身をがんじがらめにしながら、いつ連絡
が来るやもしれないと、いつも携帯ばかりに
気を奪われて過ごす、何とも苦しくも虚しい
時間を過ごしたのでした。
しかし、待てど暮らせど、彼から連絡が来る
ことはないまま、3カ月以上が経過しました。



「待て!」と言われていたけど、さすがに、
もう、こちらから連絡してみてもいいだろう。
なぜか、緊張し震える手で、彼にメッセージ
を送ってみました。数時間後、待ちに待った
返信が届きました。はぁ、、それだけで安心
しました。
「もうバリ島に帰ったの?あなたに何か起きた
んじゃないかと、ずっと心配してたんだよ」
とメッセージを伝えると、
「バリ島に帰ってきたんだけど、誤って携帯の
データを全てクリアしてしまったから、君の
連絡先も、分からなくなってしまったんだ。」
ですって。
何はともあれ、再び、彼とコンタクトが取れた
ことで、とても舞い上がってしまった私は、
彼に会うために長期休暇を取り、またバリ島へ
向かったのでした。



が、再会を果たしてから帰国後、うっすらと
彼の様子が変だなぁと思うことが出てきました。
なぜだか、いつもテンション低めだし、以前に
比べると、連絡の頻度も確実に減ってるし。
そして案の定、初めは数日間、そして、徐々に
数週間と、ウンともスンとも連絡が取れなく
なる事態が発生してきたのです。はたまた、
理由が分からないまま、また、私は、彼から
の連絡を待ち続けました。
そして、とうとう「どうして無視するの?」と
メッセージを送り、やっと彼と話すことが
できたのですが…。
「君は、僕のことを彼氏だと思っているけど、
僕には世界各国に恋人がいるんだ。例えば、
ロシアとかオーストラリアとか。そう、僕は
悪い男なんだ。グッドバイ。」
オーマイガァ!!ワッツハプン?!でした。
そそくさと、電話を切られてしまったので、
あとは、先程の会話を振り返り、要約して、
解釈しなければなりませんでしたが、これは
要するに、お熱を上げていたのは私だけで、
見事に振られたのですね。と、理解できました。
すぐさま、友人に電話して泣く泣く失恋報告。
こうして、ジゴロさんとの儚い恋愛は終わりを
告げたのでした。



そして、なんと、それから1カ月くらい経った
ある日の休日。あまり開くことが無くなった
Facebookを久しぶりに開いてみたところ、
このジゴロ兄さんと知り合いではありませんか?
と、わざわざご丁寧に提案してくれたのです。
ハッとして、彼のアカウントを覗いてみると、
そこには、超巨大な肉体を持つ金髪の女性と、
推定2歳くらいの可愛い女の子と、まだ1歳に
満たない、これまた可愛い男の子の写真が、
これでもかと、投稿されているのです。
そう!彼は、オーストラリアに嫁子供がいる
立派なパパだったのです。
あの、悩みに悩み、待ちに待ちまくった3ヶ月。
彼は、家族と過ごすために、オーストラリアに
いたのか。やられた…。
また、すぐに友人達に連絡し、不運続きの
アラフォーおばさんを慰めてもらいました。
この時、自分から自然と発せられた泣き言を、
今でも覚えています。
「私、なんにも悪いことしてないのに、何で
いつも、こんなに酷い目ばかり遭っちゃうの。
なんでいつも上手くいかないの。泣。」です。
本当にその通りでした。自分は、特段、悪人と
言う訳でもないのに、どうしても、いつも上手
くいかなくて、自分ばかりが、傷ついてしまう
のだろうか。心の底から湧き出る、シンプルだ
けど、ずっと解決できないでいる疑問でした。
そして、この謎に答えを導き出すべく、最後の
失恋ストーリーへと続くのでした。
それでは、今回は、踏んだり蹴ったりの追い
失恋まで経験した、日本国内最後の失恋を飾る
にふさわしい、イタイ失恋談でございました。
おしまい。



ちなみに、彼がオーストラリアにいる間に
迎えた、この年の正月。その一年を、どの
ように過ごそうかと、考えていたのですが、
年内に15年以上勤めた会社を辞め、そして、
単身バリ島に移住することを決心しました。
その決意のきっかけを、与えてくれた一因は、
このお兄さんでもあります。
彼と一緒に、クタの海に浮かびながら、波を
待っていた時、砂浜の方で黒煙がモクモクと
立ち昇ってゆくのが見えました。後で何を
しているのか見に行こうと言われ、私達は、
海から上がった後、その現場に向かいました。
結構大きなものが燃やされてるけど、何なの?
彼に尋ねたところ、バリヒンドゥー教式の火葬
だよと教えてくれました。人の体が、露わに
燃えていく様子に、何とも深い衝撃を受けま
した。でも、これを観たからこそ、自分だって
いつ死ぬか分からない。ならば、先のことを
心配する生き方よりも、叶えたいことを、思い
切りやってみる人生を送ってみてもいいんじゃ
ないか。心底、そう思ったのです。
それと、もう一つ。彼と過ごす時間、観光では
垣間見ることのできなかった、現地の暮らしの
一部を体験することが出来ました。お世辞にも、きれいとは言えない食堂で頂くごはん。手掴み
スタイルで食べる食事法。水瓶と手桶だけが
置いてあるトイレと水シャワー。ジュースで
ベタ甘く割ったお酒を、すごい人数で平等に
ショットグラスで回し飲みするスタイル。
などなど。日本とは、一風変わった生活様式
にも、意外と馴染めることを実証できたのです。
だから、今は、この彼にとても感謝しています。
余談ですが、私がこちらに住み始めて数ヶ月が
経ったある日、友達に誘われたバトミントンに
この彼も来ていて、すごい緊張した面持ちで、
「あの時は、ごめんなさい。」と、謝ってくれ
ました。それから、何度か、彼が家族と一緒に
いるところを目にしましたが、とっても人柄の
良さそうな大きな体の奥様と、お子様達と、
とても幸せそうに過ごしていて、素敵だなと
思いました。



それでは、長編、お読みくださり、ありがとう
ございました。
いよいよ、次回は、23年間の失恋シリーズ最後
を飾る男子の登場です。はあ、長かった。
あと少し、お付き合いくださいませね。



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