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儚く終わった最初の夢の話

 大きくなったら何になりたい?子供の頃、必ず聞かれる質問。
 子どもの頃はみんないろんな夢を見る。野球選手、幼稚園や学校の先生、警察官や消防士、コックさんやケーキ屋さん、歌手やアイドル、会社員や公務員。さらには女の子だったら、お嫁さん、優しいお母さんなんてのもあったな。(今はさすがにないだろうけど)
 夢は社会状況や家庭環境など、子どもをとり巻く環境を反映している。時代とともに、将来の夢の傾向は変わっているようで、興味深い。

 私の子どもの頃の最初の夢は、画家だった。
 小学一年の時、市の読書感想画コンクールで入選した。昔話『おむすびころりん』の絵を描いたようだ。入選した絵は、市立図書館の廊下に展示され、生まれて初めて賞状と盾をもらった。
 帰りの会の時に、みんなの前で盾と賞状をもらった時のこと、なんとなく覚えている。名前を呼ぶ前に、先生はわたしの方をチラリと見て、にっこりと笑った。そして私は名前を呼ばれて、みんなの前で賞を渡された。賞状はともかく、盾をもらったのが嬉しくてたまらなかった。
 長方形のきれいな板に金の王冠が付いていて、王冠にはキラキラ光るダイヤモンドがあしらわれている。もちろんダイヤは偽物だけど、子どもの私にとっては十分まぶしかった。
 うれしくてうれしくて、うちに帰った私は、母に将来は絵描きになりたいと話した。
 すると母は、絵描きなんて、生活していけないんだよ、そんなに簡単になれるものじゃないんだよと、小学生の私に延々と言い聞かせた。
 私は絵描きになりたいという夢が、母に喜ばれないのを知って、「じゃあ、やめる」と言った。
 そして、それっきり、画家になるという夢は消えた。
 自分で言うのも何だが、その頃の私は聞き分けのいい子だった。

 今思うと、母も母だ。小学生の子供相手に、大人の現実を真正面から語るなんて、真面目過ぎる。子供の戯言と捨て置いてくれれば、よかったのだ。どうせいずれ諦めるだろうと放っておけばよかったのに。
 画家になるという夢はすぐに消えたが、それで私が絵を描くのを嫌いになったり、絵を描くのをやめたりすることはなかった。美術の時間は大好きだったし、よく絵を描いて遊んだ。
 好きなものは好きなのだ。誰に何を言われても。好きでいいじゃないか。夢を見ればいいじゃないか。特に子どものうちは。それで他のことを全くしないなら考えものだが、そういうわけじゃないなら、自由にさせればいい。
 最初の夢を捨ててからも、私は大人が聞けば馬鹿馬鹿しい、叶うはずなんてないと思うような夢ばかり見てきた。
 子供の頃から、ちょっと人とは変わっていたのかもしれない。実際、そんな馬鹿げた思い込みばっかり信じて、今も夢ばかり見て生きている。

 画家になる夢は、私にとってはほんの一時の儚い夢だったが、私の息子は二人とも絵を描くのが好きで、実際、どちらも絵を描く職業に就きたいと、本気でがんばっている。
 不思議なものだ。絵を描くのが好きなのは、自分の中に遺伝子レベルで受け継がれたものだったのかもしれない。ご先祖様から伝えられてきた夢。母方の祖父は建具職人だったし、父も手先が器用で、よく木工細工をしたりしていた。絵ではないが、芸術的なものに惹かれるのは、やはり血筋なのではないか。
 人の人生はたった一度の限られた時間しかないが、子どもが自分の夢を受け継いでくれれば、成し遂げられることもある。世代を跨ぐ夢のリレーだ。
 もちろん子どもは自分とは別の存在だから、必ず継いでくれるとは限らないが、彼らは生物学的にわたしの中にあった遺伝子情報のコピーを受け継いでいる。血は争えないとはまさにこのことだと思う。彼らはあるいは自分ができなかったことを成し遂げてくれるかもしれない。
 一代一代、先代が夢見たこと、叶わなかったことに近づき、いつかは実現するかもしれないなんて、考えただけで、ワクワクするじゃないか。
 子供の夢を世間知らずと否定するよりもいいと私は思うのだ。

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