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誕生日は母の受難日

 母が亡くなってから、よく母のことを思い出す。何かにつけて自分の中に母を探す。
 鏡をながめて、自分の顔をじっと見る。何となく母の面影があるような気がする。口元は割とよく似ている。目元も似てるかな。鼻は父に似て、だんごっ鼻で、格好悪いな。
 母は鼻筋が通っていて、鼻が高く、とても美人だった。
 母は祖父似だった。祖父は、ほりが深く、目鼻立ちがはっきりしていて、なかなかハンサムだった。俳優の草刈正雄さんにちょっと似ていた。ただ、記憶の中の祖父は、お坊さんのようにつるつるの丸坊主だ。早くから髪が少なかったようで、ずっと坊主にしていたようだ。
 祖母は愛想良さそうな顔つきで、とても陽気で優しい人だったが、あまり美人ではなかった。
 私は母方の祖母に似ている気がする。体型も、記憶の中の祖母のぽっちゃりした体型に似ていると思う。  
 祖母は体が柔らかくて、幼い頃、なんでそういう話になったかは覚えていないが、立ったまま両手を床にぺったりつけて見せてくれたことがあった。
 母は祖母同様、小柄だったが、痩せていて、とても上品な雰囲気がある人だった。

 さて、母の受難日の話。
 台湾では、仏教の教えから、自分の誕生日のことを「母難日(ムーナンリー)」、つまり母の受難日というそうだ。
 なるほど、確かに母が産みの苦しみを受けてはじめて、私たちはこの世に生を受ける。かつては出産で命を失う人も決して少なくなかったのだから、母親というのは、実に偉大だと思う。
 今日、3月1日はわたしの誕生日だ。若い頃は、誕生日には、友だちと集まってパーティーしたり、カラオケで騒いだりと、浮かれて過ごしたが、もうそういう歳でもない。
 これからは人生も後半、歳をとる一方で、身体も記憶力も老朽化し、誕生日といっても、若い頃のように単純に喜ばしい気分にはなれない。
 ならば、これからは自分の誕生日には、母を思い出し、この世に産んでくれたことを感謝して祈る日にしようかなと思っている。痛みに耐えて私をこの世に産んでくれた母の勇気を讃え、祝杯をあげたいよう。
 でも、それだけじゃ寂しいから、自分用にケーキでも買って、食べようかな。誕生日を理由に、何か欲しいものを買うとか、いつもとは違うことをするのもいいよな。
 わたし自身も母親として、自分の役割を果たしてきたのだから、自分の誕生日をささやかに祝ってもいいだろう。

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