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ヨルダン レンタカー旅(11-1):砂漠の民ベドウィンは、現代の吟遊詩人

死海やペトラに大感動したこちらもぜひご覧ください。

2日目のペトラ探検ということもあり、ちょっと余裕のある私たち。エル・ハズネに見惚れながら休憩をしていた私たちに声をかけてきたのは、ロバを連れたベドウィンのサトさん。
完全に「ロバ乗せてあげるからチップちょうだい」営業だと思って、ちょっと身構える。

「キミたち昨日も来てたでしょ。顔覚えてる」
「そうそう。昨日も来てたよ(ロバさんは乗らないよ)」
「クーフィーヤがずれてる。貸して、巻きなおしてあげるよ」
「やったー!ありがとう(でもロバさんは乗らないよ)」

しかしさすが本物のベドウィンは巻き方がお上手で。しっかりきっちり、ずれないけれど締め付けすぎもしない絶妙な巻き加減。やっぱりプロは違う。
ちょっと話しをていたら、サトさんのお友達も合流。

「ロバでペトラを案内してあげるよ」

せっかくだしちょっとくらいならお金払ってもいっか、と「じゃ、ちょっとだけ乗ってみよう」と旅友ちゃんとロバさんライド。

まず連れて行ってくれたのは、エル・ハズネを見下ろせる、遺跡の向かいにそびえる岩の上。

11-あ
足元にエル・ハズネを見下ろす不思議な感覚。

そしてロバさんで岩を上るには、体幹をしっかり持っていないとグラグラ落ちそう。そうね、原理は乗馬トレーニングと一緒だもんね。
岩山を上っている途中で、私たちと同じく2人組の日本人ツーリストとすれ違いました。私たちは上りだけど、彼女たちは下り。

「あ、こんにちは~」
「下り怖いですよ!気を付けてください!!」

いっぱいいっぱいそうな中、めっちゃ早口ですれ違いざまに教えてくれた。
臨場感あふれるアドバイス、ありがとう!

到着した岩場の上は、確かにこりゃ観光客だけじゃこれないわ、という高さの場所。さらに「カメラ貸して。写真撮ってきてあげる」と、私たちのカメラを持って、断崖絶壁をひょいひょい降りていくサトさん。

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サトさんが撮ってくれた写真。本当に掘り出してあるんだな。

「私たちがあっちに行くのはムリ?」
「たぶんムリ。僕たちはここで生まれ育って慣れてるから行けるけど」
「そうなの?」
「そう。今はこの岩の裏のケイブに住んでる。隣のケイブはこのロバの部屋」
「マジか!!」
「子どものころからペトラで遊んでるよ。エド・ディルは行った?」
「今日行ってきたよ」
「あそこのてっぺんの岩まで上って、岩の上を走って競争したりしてた」
「マジか!!!!!」

いやもう、マジか!!!!!!

私たちとかけ離れすぎた生活に、開いた口がふさがらないとは正にこのこと。またしても語彙力とは!って思うけど、こんなん「マジか!」しか言えないよ。

サトさん写真。シークも撮影してくれていた。

でも本当にこの遺跡に住んでる人もいるんだなぁ(本当は1985年に世界遺産に決まった直後から遺跡内に住むベドウィンたちも近くの村に移ることを促していたらしい。いま彼らはどこに住んでるんだろう)。
日本だと、屋久島とか知床で生まれ育つ、みたいな感じなのかな。でもほぼ遺跡の中で生活してきたってことなんだろうしなぁ……。
わたしの想像、追いつかず。

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サトさん的撮影ポイントから私たちを撮影。一瞬でこんなに降りれるとかプロだわ。

ペトラでは収入源として観光客をロバさんやラクダさんで案内するのは動物虐待だ、チップで観光客と言い争いになるから気をつけよ、という記事を読んだことがあるし、確かにロバさんに乗っていても「苦労させてごめんよー!」という気分になったけど、彼らにとってはそれが生きるための収入源。
確かに収入を得るためにロバさんたちに過酷労働を強いている人もいるかもしれないけど、案内してくれたふたりは「最近一番うれしかったことは、ロバの子どもが無事に生まれたこと」と言っていたり、ロバさんも大事なパートナーと考えているように見えた。

こういう問題って誰もが納得する正解はないと思うし、部外者が表面だけを見て口出しをするべきことでもないのかな、とも感じる。
それに、彼らはきっとずっと昔からロバさんやラクダさんをパートナーにして生活をしてきたはずだし、「時代が違う」のひと言で片づけてしまうべきではないんじゃないかな。
難しい問題。

サトさん撮影のエル・ハズネ 第2段。

ちなみにふたりとも「観光客相手に仕事しているから自然と英語も覚えた」と私より英語に堪能。
そして「なんでお前はちゃんと勉強してるはずなのにそんなにつたない英語なんだ」的なことを言われました。

いや、ごもっとも。耳が痛いです。
でも一言だけ言わせてほしい。
ほっといてよ!!!!!

いっぱい撮影してくれた。サービス精神旺盛。


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