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実家にて

今日は実家で、正月の挨拶。
年に一回、孫たちが一同に集まる日となっている。
うちは二人姉妹だが、妹に5人子どもがいて、さらに甥っ子が結婚してその子どもも生まれているので、結構な大人数が集まるようになった。

うちの子どもたちは、従兄弟のお兄ちゃんたちが大好きなので(滅多に会わないのに、一番好きだと言っていて懐いている)、一緒に遊べてすごく楽しそうだった。
あの、好きな人に会うと、ちょっと照れて恥ずかしそうなの顔は、なんとも言えずに可愛いなと思う。

ところで、わたしは今、10代の人たちに向けて、自分たちが生きて体験したことの智慧で、もっと早く知っていたらよかったと思うようなことを書いて出版しようというプロジェクトに参画している。

今、まさに原稿を書いている追い込み時期である。

でも普段10代の人たちと会話したりする機会はあまりない。
自分の子たちは10代にはまだ少し時間があるし。

そんななか、今日会う甥っ子たちは、今まさに10代ど真ん中の高校生である!!
おお、なんと貴重な機会だ!と、わたしは密かに色めき立っていたのだった。

わたしは、親との関係性がいまいちよくなかったので、今まで、実家に帰るとき、それ相当の防御を張って帰るようにしていた。
必要最低限しか帰らないし、必要最低限の会話で、子どもたちのことを話す、みたいな感じでやり過ごすと言うのが、わたしの実家での過ごし方で、帰るときはホッとする、みたいな感じだった。

だけど、それって、過去の遺物をいつまでも大事にしていて、過去の体験を再現しないように防御しているだけだなと気づいたし、そう言うのはもうほんといいや、と思っている。

だから、「わたしのそのまんまで、今にいられるか?まんまの私で楽しめるか?」と言うのが今のテーマだし、今のわたしで今の家族たちと関わってみると言うのをやってみようと思っていた。

それで、そんな感じで、甥っ子たちと話をしてみたところ、めっちゃいろいろ盛り上がった。
かつてないほどに楽しかった。
10代の本音トーク、めっちゃおもろい。
(いろいろ個人情報が満載で、ここには書けない・・・のが惜しい)
やばい、わたし、10代とこんなに盛り上がれるの?!とちょっと途中で自分に驚いたくらいだ。

甥っ子だから、過去をたくさん共有していると言うアドバンテージはあるんだけど、それにしても、今までもったいなかったなーと思った。
防御していると、こんなに楽しいことを楽しめないのだと思って。

妹とも、なんか今までは壁を感じていたが(自分で作ってるからだけど)、今日はすごく打ち解けていて、自分たちが10代の頃に阿吽の呼吸でやり取りできた頃を思い出した。

そうかー、わたし、そんなに防衛していたんだなあ、と言うことにも改めて気づいた。そして、その壁、取っ払ったんだなあ。

18歳になった甥っ子は、小さい背中に、すごくすごくいろいろ背負っていて、それを背負うのをいとも簡単にやっているかのようにしてみせている子だった。

彼は、もうなんか一皮も二皮も向けて、おとなになっていた。
優しくて、思いやりがあって、素敵な男子になっていた。
うーん、もう、ものすごい感慨深い。
生まれた時からずっと見てきた子が、青年になるってすごいなあと思った。
いや、この上に二人いるので、すでに青年になっている甥っ子を見てきたのだけど、なんと言うか、わたしが心から、肚から交流できてなかったんだなーと思う。
自分が開いてみたら、すごくいろんなことが交流した。

去年、財布を三回も落として、だけど、毎回ちゃんと戻ってくる話を楽しそうにしているのを聴きながら、ちょっと泣きそうになった。
これからが本当にたのしみだな。
ずっとずっと応援しているよ。

ああ、10代って、応援したくなるよね。ほんとうに。

そして、自分の男性嫌悪とか男性不信を、ムスコが払拭しにきてくれたんだなあと感じていたんだけど、
もっと前に、この子たちもたくさんわたしに与えてくれていたことを思い出した。
そうだ、そうだった。
なんかいろいろ、わたしは守られている。
そんなことを感じた日。


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