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【597/1096】怒りの変遷~身体感覚を取り戻そう

怒りの表現が、年代とともに変遷しているという話を聞いた。

怒りを表す表現は、

腹が立つ (1980年以前)
  ↓
頭にくる(トサカにくる)(1980~1990年代)
  ↓
ムカつく(2000年代)
  ↓
キレる (2000年代以降)

になって、その後、怒りを表出するのに
「キモイ」「うざい」などが使われるようになっている。

キモイ(気持ち悪い)、うざい(うざったい)に関していえば、自分が気持ち悪い、自分がうざったいと感じる、というだけでもはや相手は関係ないのに、それを相手に対する怒りの表出として使っている、という解説に唸った。
その表出の仕方は、自分のことなのに、相手のことのように言うということで、自分の内的な感覚が受容できていない。

頭にくる辺りまでは、「身体性」を伴っていて、怒りが外側に表出されていたが、ムカつくあたりから、身体性がかなり薄まってきて、内向的な表現になっている。

時代の変遷とともに、身体感覚が欠如していることのあらわれではないか?という仮説なのだが、とても的を得ているなと思った。

ムカつく辺りの時代から「心身症」という言葉が出てきていて、そもそも、心と体は一体のものなのに、別々に扱われるようになったゆえの症状の表出ということなのかもしれない。

キレるのあとに、怒りを表す主だった表現がなく、それゆえ怒りを抑圧して身体に症状を出す傾向が増えている。

これは神経系の使い方に違いが出てきているということで、
交感神経の「闘う、逃げる」から、副交感神経の防衛反応(背側迷走神経群)を使って「凍り付く」という使い方に変わっていることだ。

暴走族や、校内暴力、不良から、いじめ、引きこもり、不登校に変わっているのとも変遷が一致しているので、本当に時代がそのように変わってきていることがわかる。

これは日本だけではなくて、いわゆる先進国と呼ばれている国で起きている事象でもある。

そのような時代になって、情報や知性ばかりが優位になりすぎると、身体感覚が欠落する。
身体感覚が欠落すると、
「気持ちいい」
「心地よい」
ということもわからなくなり、
「これが気持ちいいということであっているか?」という確認を、他人に求めるというわけのわからないことが始まる。

気持ちいいかどうかは、その個体をもつ人にしかわからない。それを正しいかどうか、ほかの人にわかるものではない。

自分にしかわからず、自分にしかできないことは、
自分に取り戻すしかない。

自分に取り戻すのに、「よし、感じよう!」とやっても戻ってこない。

身体の声を聴くには、自分の身体に耳を澄ませる時間を持つことから始める必要がある。
そして、そういう人には、どうやって身体の声を聴くか?の手順がいるよね、と思う。私がそうだったので。

しかし、なんと、それ、すでにあるのだ!!!
手順通りやると、感覚が得られるようになっているワークが!
私のやっている呼吸・整体の身体調整法や呼吸ワークはそれそのものなのですよ!

身体でなにを感じているか?
それをキャッチできているか?
それが、これからますます重要になっていく。
身体をととのえて、キャッチできるようにしておくこと。
身体感覚を取り戻しましょう。

では、また。


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