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【895/1096】自分の中に安心を育む

自分の中に安心がないと、外に安心を求めることになる。
と言ってみても、自分の中に安心って???と思う人も多いかもしれない。

自分の中の安心とは、子どもの安全基地のようなものである。
小さな子どもは、
遊んでいて、お友達とケンカして、親の元に来て、ひとしきり泣いて抱っこしてもらい優しく声をかけてもらって、しばらくするとまた遊ぶほうに戻る、
というようなことを繰り返す。
そして、だんだん、親の元に駆けよって泣いて抱っこしてもらわなくても、自分でコントロールできるようになっていく。
このとき、自分をコントロールするものが、安全基地である。自分の中に内在化している。優しく声を掛け、慰め、宥め、励ましている。
これがある人は、安心が自分の中にあるということだ。
何かあったとしても、なんとかなる。大丈夫。
やり直しできる。など前向きに切り替えることができたり、次にできることを考えて行動を変えてみたりすることができる。

ところが、この安全基地がない人たちがいる。
自分の中に内在化されているはずの安全基地が安全基地ではなく、厳しく叱咤し、否定され、ダメ出ししている。
自分の中に安心がないので、常に危険アラートがなりっぱなしになる。
ちょっとしたことにも危険!警報!とビービーなっている。周りに合わせて、環境に合わせて、どうにか安全なところを見つけるし、自分を奮い立たせてなんとか頑張る、ということでどうにかしようとして、疲れていたり、こんな風になるのは周りや環境のせいだと怒っていたり、自分はダメだとあきらめていたりする。

大人になって自分の中に安心がない場合、赤ちゃんに戻って抱っこしてもらうところからやり直すわけにはいかない。
過去に戻ることはできないのであるから、仕方ない。
だから、自分で自分の安心を育んでいくのである。

では、自分の安心を育むには何をすればいいか?
自分を知り、自分の状態に気づくことである。
自分で自分を認め、自分で自分を大切にすることができて、初めて人を認め、人を大切にすることができる。
でも、自分のなかに安心がない人は自分を大切にするがわからない。

自分を大切にするというのは、
自分勝手に自己中心的にふるまってよいことでも、
自分のすることを何でもかんでも正しいと判断することでも、
自分に大した実力も能力もないのに、「自分はすごい」「自分はえらい」と過大評価して褒めることではない。
いろんな能力が欠けていて、失敗もして、不完全な自分を、それでも、「自分は自分でいい」と思えることなのである。
そのために、自分を知る必要がある。

安心がない人が自分を知るには、まずは
「自分が何を感じ、何を思っているか、安心して話すことができる相手」を見つけることが大事である。
友だちでも、先輩でも、先生でも、誰でもいいのであるが、相手に自分の気持ちを否定せずに、「そうなんだ」と受け止めて聴いてもらうという体験が必要である。
そして、そう聴いてもらうことで、「自分の中に湧いてきた気持ちもこのように聴けばいいのか」とわかる。
そうすると、自分の状態に気づくことができるようになる。
自分の状態に気づけるようになると、自分のケアができるようになる。
ちなみに、セルフケアの方法はいくつも持っているといい。
自分で自分のケアができるようになれば、自分を大切にしているということである。
そうなれば、自分の中に安心が育まれている。

そして、もうひとつ大切なことが、自分の状態に気づくには、身体が必要だということだ。
感情に飲み込まれないで、自分の状態に気づくには、自分の身体をしっかり感じられるようになる必要がある。
安心感は身体感覚であるから、身体をととのえて安心感をしみこませるとより自分の中の安心が育まれる。

自分の中に安心があると、勇気が出せるようになる。
変わるには勇気が必要。
遊びという冒険をするにも勇気が必要。
一歩踏み出すのは勇気だから。

一歩踏み出せずにずっと同じところを踏みしめているなら、もしかしたら、自分の中の安心がないのかもしれない。
自分の中の安心を育んで、もっと自分の人生を謳歌したいと思う方は、セラピーセッションを受けてみるのもひとつの手です。

https://www.mayumiinaba.com/therapy-session


では、また。


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