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『Re』”Recall”編。今となっては不思議。なぜ学校では片づけが出来る事がデフォルトなの?

12月に入りだいぶ冬らしくなってきました。
今年も残りわずか。日々を大事に過ごしていかなければいけませんね。

さて今回のRe活は"Recall"(思い出す、思い当たる、思い起こす、など)編です。

普段生活をするにあたりどうしても避けて通れない;

・掃除
・料理
・洗濯
・片づけ

などに関しては昨今それらを代行してくれるという便利な業者さんがたくさん生まれ、忙しい人たちにとっては心強い存存在となっています。

そしてこれはあくまで私の個人的な考えではありますが、掃除や料理など日々の家事は代行をうまく使って1人で抱え込まないよう工夫するのは大いにありだと思っています。

ただ「片づけ」だけはできれば自分でやったほうがいいかなと。これに関しても『どんな汚部屋も1日で素スッキリ!』などと謳い、何人かの作業員が一気に片づけをしてくれるサービスもありますが、余程の状況でない限りは「自分でやる」ということに大きな意味があると私は感じています。決して片づけのコンサルタントをやっているから、というわけではありません。

では、なぜでしょう?


少し遡って小学校の頃を思い出してみてください。

入学してすぐの「持ち物」の一つに「雑巾」がありました。そして初めてのホームルーム後に、担任の先生からその雑巾の搾り方含めて丁寧に掃除の手順を教えてもらったという記憶、ありますよね?

雑巾の出番はハタキとホウキの後。誇りとチリ、ゴミを取り除いたあとに綺麗に雑巾を使って水拭きをすればカンペキです。その後雑巾はしっかりと水洗いされ、干されて次の出番を待つのです。

こんなに丁寧に小学1年生から掃除をやる国って日本だけじゃない?なとど思うことがあり、海外の方々から見た日本が”amazingly clean!!(半端なく綺麗だ!)"と絶賛されるのは、こういう躾が成長過程における義務教育で徹底してなされることで培われる”美意識”にあるのではないかと思っています。

いずれにせよ私の記憶では6年間教室はいつもピカピカでした。

「掃除は学校で教えてもらうものでした」。

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次に家庭科を思い出してみてください。買い物の仕方から始まり包丁の使い方、火加減、献立の作り方、皿の洗い方、ゴミの分別まで...と、ただ「作る」だけではなく料理に関わる一連の作業がしっかりとできるように教育されましたよね。

「料理も学校で教えてもらえるものでした」。

ちなみにお裁縫にしてもしかり。学校で一括購入されるキットなどを利用し、しっかりと縫い方の基本を教えてもらうことができました。そのため洋服の少しの綻びなどは自分で直すことが容易です。

このように掃除や料理(裁縫も含めて)などは学校で教えてもらったおかげで、得て不得手こそあれど、誰でもがやろうと思えばある程度はできるようしてもらえました。

それでも代行サービスを使う理由は、忙殺された日々の中でいわゆる時間をお金で買うのが目的です。

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では『片づけ』はどうでしょうか。

学校で教えてもらえましたか?

そこでしばし思い出していただきたいのですが、例えば小学校の各自の机の中に入れていたお道具箱。そこには学習に必要な個人の道具を入れていたと思います。その中身の様子にものすごく個人差がありませんでしたか?

めちゃくちゃきれいにしている子がいると思えば、道具に混ざって本来椅子の下に干さなければいけない雑巾だのお母さんに渡さなければいけないプリント類、チューブのキャップが外れカピカピになったままの絵の具などをごちゃごちゃに入れている子がいたり。

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私の子供時代は給食も完食を「強いられた」ので、食べきれなかった小食の子が先生に「見つからないように」とこっそりとお道具箱に忍ばせたパンを、これまた「見つからないように」していたせいか、いつしかラスクのようになり、しまいにはカビを生やしていたのを見たこともあります。

つまりそれだけ個人差が生じるものなのに、お道具箱に関しては掃除のように丁寧に教えてもらうでもなくひたすら自己管理が強いられました。それがたまに行われる「お道具箱の抜き打ちチェック」というさらしもの大会の憂き目にあうと、片づけが苦手な子は皆の前で先生から大目玉を喰らうのです。まるで”悪人”のように扱われる子たちにとっては地獄だったと思います。

誤解がないように申し添えると、もしかしてお片づけを丁寧に教えていた先生も中にはいらしたのかもしれません。ただ私の記憶の中では本当にこんな感でした。

ただし片づけ以外、先生たちは子供たちの苦手を克服するプロでした。

・かけっこ
・絵を描くこと
・大勢の前で発表すること

こういったことに関しては往々にして先生が寄り添ってくれることで解決していたという記憶があるのです。

かけっこが苦手な子には正しい腕の振り方を、絵が苦手な子には筆使いや色使いを、発表が苦手な子には大人数の前からではなくまずは少人数のグループで発表させてみるなどして...先生にもよりますが、それぞれ工夫された指導を通し「それぞれの苦手」を克服してもらうことができました。そして克服できるとたくさん褒めてももらえました。

こんなふうに「苦手」が「自信」変わっていった子達を何人も見てきました。実際私も小学校5年生の時に歴史があまり好きでなかったためか、似たような子たちで構成されたグループに入れられ笑、学級図書として用意してもらった「漫画で学ぶ歴史」を読み先生と共にディスカッションする、というきっかけからそれが楽しくてどんどん苦手を克服していった、という経験があります。

ではなぜ「片づけ」だけは違ったんだろう。

今まであまり考えたことがなかったのですが、あらためてそこに焦点を当てると不思議でなりません。

なぜ「できることがデフォルト」だったのだろう。

片づけが教育課程にないから?

そのあたりの事情はよくわかりませんが、片づけのコンサルタントになってお客様のお話をお伺いすると、皆さん本当に子供時代にとてつもなく嫌な経験をされていて、心が痛みます。

私が思うに片づけられないのは「不便なこと」ではあるかもしれませんが決して「悪いこと」ではありません。そして「苦手」には必ず原因があるのです。

それを学校では「できることが当たり前でできないことは悪いこと」とされてしまう。

かくいう私も子供時代は片づけはみんなが普通にできることで、それができなくて先生に叱られる子達は悪い子たち、そんなふうに思わされていましたし、それがいじめの引き金になるのを見たこともありました。

でも...片づけられないのは本人に悪意があったり、わざとやっていたりする訳ではありません。手順がわからなかったり、生まれつき向いていなかったりと必ず何か理由があるのです。かけっこが苦手と全く変わらないと思うのです。

だから私が声を大にして言いたいのが「片づけが苦手な子にはちゃんとやり方を学校で教えてあげて」ということ。できて当たり前にしないでほしいのです。

もしかしたらかけっこは苦手だけれど片づけは得意、という子とその逆の子同士がお互いの得て不得手を受け入れて理解し、ノウハウを交換し合うことで「それぞれの違いを受け入れる」今日日の言葉で表すならば"inclusion"となりえるのではないでしょうか。いじめ回避の一つに繋がるのではないでしょうか。

片づけられないのは悪いことではないが不便なこと


さてそんな環境で育ってきた私たち今の大人で片づけが苦手な方は、そのノウハウをよくご存知ないままところどころで生活に不便さを抱えながら暮らしていらっしゃるかと思います。

例えば片づいていない住居や職場においては常に探しもので時間が奪われたり、探せなかったことで新たに買い足しをしなければならなかったり、また他の人を待たせたり大事なものを失くしたりする事で結果的に自分が追い詰められます。

また不思議なもので、片づけられない環境はさらに片付いていない環境を引き寄せていくものです。探して見つからないモノは買う、そしてさらにモノが増える、となると掃除もしずらくなってきます。

代行より片づけを習ってみてほしい

片づけ代行は一気に部屋がきれいになるので大変便利だとは思います。決して否定をしている訳ではありません。でもそもそも片付けは学校で教えてもらっていないことなので人にやってもらうだけでは一時凌ぎで根本の解決にはなりません。いずれまた再発することは目に見えています。

それならしっかりとしたノウハウが書かれている本を読み、その通りにやってみるか、あるいは1人でやるのが不安ならコンサルタントなど片づけを教えるプロを利用して「習う」方がいい。コンサルタントを呼ぶメリットはそれが「片づけ代行」ではなく、一種のお稽古だからです。例えばいくら家庭科でお料理を学んだからといっても難しいフレンチに挑戦するなら独学よりもお教室に行った方が早く習得できるのと同じです。

そして一度習得すると自分の力となって身についていくのです。代行とは全く違うので未来が変わってきます。

ここで自分のことについて少し触れさせていただくと、私の場合は結婚して環境が代わり...今でこそ許せるし愛情も感じる姑ではありますが...かつての彼女の支配下に置かれた時に心がおかしくなりました。
そしてモノに逃げ、買うことで満足したモノたちが増え続け、結果的に片づけに全く手がつけられなくなりました。掃除がしずらくなり風通しも悪くなった結果、家中にカビが生えて清潔からも無縁となり、暮らしづらくなりました。

子供の頃から片づけで苦労したという経験もなく、若かりし頃のホームステイ先のアメリカ人宅を片づけてたくさん喜んでもらえたりしたあの頃とは別人の私になっていたのです。

その経験から、片づけられないことにはそれぞれのちゃんとした理由がある、ということを身をもって学びました。

その流れで今があるならば本当に人生に無駄な経験など一つもない、ということなのでしょうが、その渦中にいた時は辛いだけでしたね笑。

私は片づけが苦手な方の味方でいたいのです。

おうちがどんな状態でも基本的には大丈夫です。
一緒にきれいにしていきましょう。

今日はちょっと想いをぶつけてしまいました。

ここまでお読みくださり、本当にありがとうございました。

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