オランダの美術館2018/03/21

悶々が止まらない。ハタチのストラグルショーみたいになってる。

オランダのコンテンポラリーアートで有名な美術館に行った。

飛行機に乗るときからそうだけど、アメリカとは違った人目の気にしなさがあって、私は17年間岐阜で生まれ育って割と自我が出来上がってから2年くらい東京で過ごした。その間に数回ニューヨーク、ボストン、ロサンゼルス、カリフォルニアに行っただけだけど、美術館(訪問者の雰囲気と置いてある作品)の印象と、その街の人の印象は割と比例する。

今回初めてヨーロッパにやってきて、何も下調べをしていないし、教養を全く身につけてこなかったので、小耳に聞いた話しか知らない。けど、ここで体験してることそれぞれがルーツの違いに共通してるんだなって。だから歴史知るとか、いわゆる教養って近道なんだなーと思います。
だから、大学行きたいんだけどね。
つくづく勉強してこなかったってこういうことなんだなあって。

で、超絶疑問が湧いてきた。

なんで日本の美大予備校って美術の座学がないだろう。
あそこではアートが学べる気がしない。
大学に行ってないからそれまでではあるけど、あのファウンデーションで数年過ごす人がいるのに関わらず、本当に美大に入る門だけを置いてるみたいな、なんていうかわからないけど、
日本の最近のアーティストのこともよく知らないけど。

でも、オランダの美術館に来たんです。で、思った。
相手に伝わった先のこと考えないんだなあ、と。自分がどう感じた、どうしたい、が作品に純粋に出てるような気がして、逆に言えば、見る側としては歩み寄りにエネルギーが必要だったり、なんのことやらさっぱりだったりなのでしんどいはしんどいんだけど、私の場合は特に、この意識が強まればもう少し呼吸がしやすいだろうなあって思った。
ちょうど、リキテンシュタインの特別展がやってたので比較参考になったけど、単色で塗り分けられたようなすぐ理解できるものって結果主義のアメリカと通ずるものがある気がして。 

自分の体を一枚の壁として、それに対しての中と外、どこに意識が向いてるか、でかなり物事の伝え方って変わる気がしてて。
ムカつく振る舞い方とか理解できない人とか、いつもうまくいく人とか、人間のその差はアート作品で表現できる。

私はこれから、その中の一つを作って、比較基準の中の一つになって行こうとしてるんだけど、総体的に捉えようとする視点は邪魔になるんじゃないかと思って。
自分が最もラクに生きれる道を選んでアートにたどり着いて、試験も終わったところだけど、私は何を表現してくんだろうね。

ずっと悶々とした人生になっていくんだろうけど、そのプログレスは記録していくしかないと思う。