2018/06/30

パッションがない時期も必要かな。 入学試験が終わってから3ヶ月が経って、試験までは制作まみれだったのが今はのんびりエアリアルシルク寄り。体つくりも大事だしね。
試験のフィードバックで自分の抽象画のワンパターンさが勝ってしまってつまらない印象を作ったのもあって、しばらく平面は辞めているところ。立体に関しては、部屋で制作する欲望よりも汚れとか片付けの方が先行して気にしてしまって結局作らず。
美術のコミュニティが閉鎖的と感じていたので表現を人生の選択にしていない人たちとも関わろうと思って、バイトを始めた。

自分の美的感覚のヒントにもなるかと思って日本の古典芸能の舞台をやるレストランに面接に行って、幸いにもそこで働けることになって、もちろん逃げたくてこっそり裏に逃げて泣いたり、大遅刻したりは当たり前なんだけど、3ヶ月そこにいてもやっぱり能とか浄瑠璃とかお囃子とか引き込まれない。船弁慶はたくさん色んな流派の作品を見たから感動できたりはするんだけど、総体的に勉強できる器がやっぱりなかったな。 ただ、自分の知的好奇心の低さと余裕と解釈できる教養の低さを感じれたのと、やっぱり時間をお金に換算する仕組みはじれったい。そのお金に価値とか魅力が感じれない。

今までは全て両親にまかなっていてもらっていたけどこの3ヶ月は自分の時間を変換したお金でご飯を食べて、シルクのスタジオ代も払った。(いうても最初の1ヶ月は助けてもらったし2ヶ月目はnot自腹で半分オランダにいたんだけど)
結論、今のわたしは何にも生産できないわけです。

東京という物質が豊かすぎる場所に救われているだけで、病んでるわけじゃないけど正直今のわたしがここにいる必要も理由もない。 生活において使命感が欲しい、とまではいかないけど最低限のわたしがそこにいる需要と供給の相互関係はあって欲しい。

この期間が渡航までの空白になる想像はついてたから、いかに充実させようか企んでいたけどやっぱこんなもんかも。大事なのは目の前の実像と虚像を正確に見極めることなんじゃないかなー。
にしても何にも感触がないこの期間はつまらない。本当に面白くない。
まあ9月から確実にこんなこと言っていられる余裕はなくなるとは思うから、こう受け止められるのかもしれないね。 英語のスキルアップとチューニングをしないと,,,