「超越系」的、宮台的  プロフィールに代えて

 僕の経歴を書くといっても、特に受賞歴などはありません。一応書いてみると、以下の通りです。

 1993年、明治学院大学文学部入学。在学中、評論家の浅羽通明氏・プロデュース、思想家の呉智英氏が講師を務める、孔子『論語』を講読する私塾「以費塾」に半年ほど通う。
 様々な大学の学生が集まり、テーマ別に分かれてディベートを行う「国際学生シンポジウム」に参加、社会学者の橋爪大三郎氏がアドバイザーを務める分科会「自由について考える」で討論する。
 明治学院大学中退後、いくつかの仕事を経験。社会的に問題化した「ひきこもり」の当事者支援を行っているNPOの講座に参加、心理学に興味を持つ。
 2007年、放送大学教養学部入学。2012年、同大学同学部「心理と教育」コース卒業。日本心理学会認定心理士資格取得。
 ホームヘルパー2級、介護職員基礎研修課程修了。デイケア、特別養護老人ホームでケアワーカーとして通算1年半ほど勤務。

 だいたい以上です。でも、これでは、あまり伝わらない気がします。だから、プロフィールに代えて、以前書いた「宮台真司の思想 〈ミメーシス〉編」の冒頭部分を再掲することにします。
 これで僕のことが少しわかってもらえる……かな?


  ■余は如何にしてミヤダイストとなりし乎
 1995年、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こり、教祖、麻原彰晃は逮捕された。それから程なくして、コンビニである本を見かけた。それが『終わりなき日常を生きろ』だった。著者は宮台真司というひとらしい。変なタイトルの本だな、と思って気にはなったが、手に取ることはなかった。それから少しして、解剖学者の養老孟司とともに、宮台真司がニュース番組でオウム真理教について語っているのを観た。「麻原は水中に長時間潜っていられる、と学生が言うんですけど、虚血になって死にますよね。それを知っているはずなのに、どういうことなんだ、と思うわけです」と養老が言った後、宮台は「終わりなき日常」と「さまよえる良心」というキーワードを掲げ、微笑みながら見ている養老の横で、滔々と自説を展開し始めた。これが宮台真司という社会学者を印象に刻んだ最初だった。ブルセラ・援助交際を擁護するブルセラ論戦のさ中、通っていた大学の校門に「ブルセラの宮台真司氏来る」という講演会の看板を見たのが、その年の秋だった。授業があって参加できなかったが、この辺りから、宮台の言説を意識するようになった。
 漫画雑誌『ガロ』のマンガ評論新人賞に応募するため、参考文献として初めて読んだのが『サブカルチャー神話解体』だった。統計分析や機能分析によって、サブカルの内容ではなく、その受容形式を焦点化する方法論に当惑した。それは「目から鱗」体験だった。
 宮台は、毎年年末になると、自己のあまりの不自由さを思って鬱状態になるという。僕もこれまで、重い鬱状態に陥ったことが3度あった。1度目は、大学を中退して地元に戻ってきた1997年。抑鬱状態にあったとき、島田雅彦の小説を読んでいて、文章中の「死」の文字が目に飛び込んできて、発作的に睡眠薬を大量服用した。親が僕の異状に気づき、救急車を呼んで助かった。この後、初めて目に止めた『終わりなき日常を生きろ』や『まぼろしの郊外』を読むようになった。2度目は、1999年。ひきこもりになったが、R・D・レイン『ひき裂かれた自己』を読んだことをきっかけに、何とか立ち上がった。 
 2000年、書店でアルバイトをしていたとき、休憩時間に何となく読んでいた雑誌『ダ・ヴィンチ』に、宮台の映画評論「オン・ザ・ブリッジ」を見つけた。塚本晋也監督『バレット・バレエ』を論じた連載第2回目で、「自己確証が(意外にも)自己破壊を帰結することで(意外にも)癒される」というモチーフを剔抉していた。映画好きの僕は、その批評に打ちのめされた。
 2001年、鈍行列車で日本縦断ひとり旅を決行した。旅行に出発する前に、アメリカ同時多発テロが起こった。旅行から戻った後、『制服少女たちの選択』を初め、『サイファ 覚醒せよ!』『自由な新世紀・不自由なあなた』などを読み進んだ。そして、2003年、アメリカを主体とした有志連合によるイラク戦争が始まった。テレビで米英軍のバグダッド空爆を見た。僕はずっとアメリカに対して、何だかんだ言っても自浄作用が働く「いい国」だというイメージを持っていた。しかし、事ここに至って、ようやくアメリカに幻滅した。何十冊かのアメリカ関連の本などを読み、自分なりにアメリカ論をまとめた。書き終えた翌年、2004年の初め、あまり眠れずに目を覚ましたある日の早朝、歩こうとして意識が朦朧となり、倒れた。何とか自分で救急車を呼んだ。医者には不安神経症だと言われた。これが3度目の鬱状態だった。心療内科に通いながら、静養する日々が続いた。そんな中、図書館でふと『ダ・ヴィンチ』のバックナンバーを見つけ、宮台の映画評論を読んだ。過去の連載すべてが読みたくなり、バックナンバーを漁って読み耽った。僕は宮台の映画批評にのめり込んだ。あるときなどは、右翼青年が北一輝を夢に見るがごとく、宮台の白昼夢を見た。精神的にかなりヤバい時期だったと思うが、しかし、宮台の映画批評に文字通り救われた。
 その後、僕は時々、映画の寸評や出会い系サイトの体験記などを宮台にメールで送るようになった。「同感でした」「面白いですよ」といった返事をもらう度に、僕は小踊りした。


 少しでも興味を持って頂けたら、評論や作品をどうぞ。
 感想を頂けること、建設的批判をされること、有料作品を買って頂けること、すべて励みになります。
 ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

                              倉沢繭樹

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?