宮台真司の思想 〈終わりなき日常〉編

  ■〈巨大なフィクションの繭〉を出よ

 社会学者の宮台真司は、自身が原発推進派であったことを公言している。しかし、日本の原発政策・行政のデタラメさを知って、日本には原発をマネージする能力がないことを痛感したという。

 「ぼくは原発の住民投票運動にかかわる中で『民主主義の本質は多数決ではなく、〈参加〉と〈包摂〉だ』と言い続けてきました。〈参加〉をパラフレーズすれば、〈任せて文句を言う〉ならぬ〈引き受けて考える〉作法。巨大システムに思考停止でお任せしていたら、福島第一原発事故のような災害が再来します。行政や企業による情報公開は大切ですが、引き受けて考える作法がない限りダメ。『原発絶対安全神話』『全量再処理神話』『原発安価神話』のような日本にしかない〈巨大なフィクションの繭〉に包まれてしまいます。〈巨大なフィクションの繭〉を破るには〈任せて文句を言う〉作法から〈引き受けて考える〉作法にシフトする必要があります。

 〈参加〉が〈巨大なフィクションの繭〉の克服だとすると、〈包摂〉は〈分断された地域共同体〉の克服です。一口で言えば、ポジティブな意味での『われわれ』意識を継続するために必要な営みをすること。ぼくが請求代理人としてかかわった『原発都民投票条例の制定を求める直接請求』の署名運動における条例案は、永住外国人や高校生も住民投票への参加資格を与えます。単なる権利配分の拡張じゃない。住民投票の本質は、投票に先立つ熟議、つまりワークショップや公開討論会にあります。間違っても政策人気投票じゃありません。参加資格を拡張する狙いは、世代や属性で分断されがちな住民が、『若者はダメかと思ったら、すごいヤツもいるな』『在日はダメかと思ったら、すごいヤツもいるな』という気づきを経て『われわれ』意識を抱けるようにするところにあります」。

 宮台は、「原発都民投票条例の住民直接請求」請求代理人や「みんなで決めよう『原発』国民投票」共同代表などとしての活動において、一貫して「熟議」の必要性を強調している。そのスローガン的なフレーズは「原発をやめられない社会をやめる」だ。原子力ムラの情報操作と宣伝によって作り出された〈巨大なフィクションの繭〉に対して、私たちは意識的にか無意識的にか強く抵抗してこなかった。ネットの発達により、積極的に関心を持てば、様々な情報を得られたはずなのに、だ。その状態では「原発をやめられない社会」のままである。「原発をやめられない社会をやめる」こと。そのための試みが住民投票であり、その中核が熟議である。宮台が熟議を語るとき、参照しているのは政治学者のジェイムズ・フィシュキンの議論だ。フィシュキンは熟議民主主義の権威で、「討論型世論調査(Deliberative Polling:DP、以下DP)」の考案者のひとりだ。DPとは「通常の世論調査とは異なり、一回限りの表面的な意見を調べる世論調査だけではなく、討論のための資料や専門家から十分な情報提供を受け、小グループと全体会議でじっくりと討論した後に、再度、調査を行って意見や態度の変化を見るという社会実験」である(慶應義塾大学DP研究センター)。このDPにおいて、重要な役割を担っているのが、DPの趣旨を理解し十分に訓練されたモデレーターで、小グループでの討論の司会をする。宮台は、このDP同様熟議のひとつの方法であるコンセンサス会議のファシリテーター(モデレーター)を務めたことがある。コンセンサス会議とは、1985年にデンマークで生まれた市民参加のテクノロジー・アセスメントの方式だ。医療や農業における遺伝子操作技術など、高度な科学的知見が社会に及ぼす影響を人々が市民参加的に議論し、合意(コンセンサス)を生み出すための会議である。専門家と一般市民が意見を交換し合い、最終的には市民が合意を形成する。

 宮台は言う。民主主義とは自治であり、自治とは〈参加〉と〈包摂〉であり、〈参加〉と〈包摂〉は熟議を不可欠とする。これが民主主義の本義なのだ、と。〈巨大なフィクションの繭〉は、民主主義の本義に立ち返るとき脱出可能となる。そして「原発をやめられない社会をやめる」日が訪れる。

  ■沖縄問題の責任の半分は沖縄の人たちにある

 宮台が大学で最初に書いた社会学のレポートは「八重山諸島の祖霊崇拝」がテーマだったという。1999年に激しい鬱状態に陥って以降、沖縄に何度も足を運ぶようになったらしい。「内地の人が沖縄に来た時に持つイメージには二種類あると思うんです。ひとつはリゾート的な『明るい沖縄』のイメージ。もうひとつは何かわからないけれど『暗い沖縄』のイメージ。その時にぼくが沖縄に抱いたイメージは、後者でした。それは、ぼくが沖縄の歴史や現実について詳しく知っていたからというわけではなく――どちらかというと当時はあまり知らなかったんですけど――自分の心象風景と強くシンクロしたこともあって、そういう印象を持ったのかもしれません」。

 宮台は、単なる米軍基地反対は思考停止だと言う。基地返還を現実化したいなら、「三つの柱」が必要だと提言する。第一は、立地地域の町村レベルから、県レベルに到るまで、住民投票を積み重ねること。アメリカが民主主義を外交の武器としている以上、民主的な住民投票は強力だからだ。第二は、沖縄にある全米軍基地について現実的な跡地利用計画を立てること。そのことで基地が沖縄からどんな未来の機会を奪っているのかを内外に明示しながら、沖縄県が日本政府や米国政府と交渉にあたる。第三は、沖縄の頭越しでなされる日米政府の交渉事を原則として認めないこと。たとえ沖縄にとって有利な協定合意であっても、必ず事前の沖縄への打診を要求する。そのことによって、沖縄が、中央へのぶら下がりではなく、圧倒的な共同体自治への要求を持つことを、内外に示せる。

 宮台はこんなエピソードを語る。「国交省の官僚たちと話していてよくわかったことがあります。それも衝撃でした。沖縄のことをそれなりによく知り、その重要性もわかったうえで、いや、わかっているからこそ、徹底的にバカにしている役人が少なくないことです。今回も仲井眞知事の辺野古埋め立て承認をめぐって、新聞で基地に対する反対世論の盛り上がりが大きく扱われています(※2013年12月27日、仲井眞弘多知事《当時》は、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた国の公有水面埋め立て申請を承認する記者会見を行った)。しかし、そういう流れの中で出てくる独立論なども含めて、彼らは『あれはすべて隠れバーゲニング(交渉・取引)なんだ。全部カネで片がつく』と言います。ぼくが反論を試みても、彼らに言わせれば『結局はカネで片がつくという帰結を、どこよりも沖縄自身が全部わかっているはずだ。だから、沖縄がそういう風に物取りバーゲニングをしている以上、こちらも沖縄の主張をまともに取り合う必要はなく、カネの算段をすればいいだけ』ということになるわけです。それを聞いて、ぼくは『ああ、沖縄の基地反対運動は、霞が関からはこのように見えているんだ』と思いました」。

 仲井眞元知事のような世代に共通しているのは「ヤマトへの復讐」として「いまのうちに内地から土木でカネをふんだくる」という発想だ。しかし、これがなぜまずいか。〈復讐〉のつもりでいるのが、霞が関の役人や永田町の政治家の一部が「どのみちカネが目当て」と徹底的に〈軽蔑〉を向ける。この〈軽蔑〉が本質的なのは、〈復讐〉の意図に基づく敢えてする土木依存が、やがて必ず、余儀なくされた土木依存へと変質し、それゆえ「米軍基地返還も話半分」という〈軽蔑〉が永続する事態を、自業自得的にもたらしてしまうからだ。役人の一部も、「基地返還もどうせ話半分」という面だけでなく、「シャブ漬け地獄を自ら招き寄せている」という面を強く意識しているということだ。これを宮台は「自律的依存から他律的依存への頽落」だと指摘する。「『基地がなければアレもできるしコレもできる。なのに基地が立ち去らない。ならば相応な対価を払ってもらおう。機会費用(失われた機会ゆえの損失)の補塡をさせようじゃないか』と『敢えてする依存=自律的依存』から出発します。ところが、やがて必ず、基地がないと経済が回らないという『余儀なくされた依存=他律的依存』に凋落してしまいます」。

 ところで、『これが沖縄の生きる道』での宮台の対談相手の共著者、仲村清司は、きちんと事実を説明している。「県民総所得に占める基地関連収入は復帰当時は15.5パーセントでしたが、1987年以降5パーセント前後で推移し、現在もその水準です。つまり、基地で食うどころか、基地では食っていけないのが実情なんですね。でも、『沖縄は基地で食っている』という〝迷信〟があまりに喧伝されているせいか、内地にはなかなかその〝事実〟が伝わりません」。

 1995年の米兵による少女暴行事件をきっかけとして県民集会が開催され、そこで当時の女子高校生が「軍隊のない、悲劇のない、平和な島を返してください」と訴えて話題になった。仲村はこの訴えについて、県民の受け止め方にズレが生じているような気がするという。「人権と生存権を獲得する運動が、いつのまにか、より多くの交付金をひねり出す交渉にすり替わってしまっている」と。これに応じて、宮台は語る。「歴史的経緯があって、いまの沖縄は、交付金をふくめれば、基地依存がたしかに大きい。でも歴史的経緯が別なら、基地に依存しなかったはず。基地に依存しなかったなら、本来どんな沖縄であり得たか。『いずれは平和な島を取り戻したい』というのは、単なる基地撤去じゃなく、〈本来あり得た沖縄を取り戻す〉ということ。〈本来あり得た沖縄を取り戻す〉ために何が必要なのか。(中略)〈本来あり得た沖縄を取り戻す〉には、基地の撤去では足りない。基地がなかったら沖縄の人たちはどんな経済活動によってどんな生活を支えたか。それを思い描き、それに近づく活動を、沖縄の人たち自身が責任を持ってするしかない。そうした具体的ヴィジョンを思い描かないと、内地から『本気じゃない』と思われます。主観的には本気でも、助けになりません」。

  ■「自分に関心を寄せるほど自分の価値が減っていく」という摂理

 宮台はつねに、政治を語りながら性愛を語り、社会を語りながら実存を語ってきた。そんな彼は近年、「日本全体の救国はほぼ不可能」だと公言している。「全体」は諦める代わりに「部分」に働きかける活動。それが原発をめぐる住民投票運動における熟議の試みであり、性愛を語るイベント「男女素敵化計画・愛のキャラバン」だと僕は思っている。

 「愛のキャラバン」ではナンパについて語られるが、一般的なナンパの指南が「番ゲ(電話番号ゲット)からセックスまで」に集中するのに対して、このイベントではその後の関係性に注目する。「実りのある性愛関係」をつくり維持するにはどうすればいいか。そこを焦点化する。

 宮台は、性的に過剰な女子がイタくなったと指摘し、その背景をこう分析する。「93年に始まった援助交際ブームのピークが96年。これを境に、僕が〈援交第一世代〉と呼ぶリーダー層(イノベーター層&アーリーアダプタ層)が退却。代わりにフォロワー層が参入します。折しも『エヴァンゲリオン』ブームと共振したアダルトチルドレン・ブームもあり、援助交際が自傷ツールだと見なされます。僕の観察では、マスコミのフィーバーを背景に援交に多数のフォロワー層が参入した結果、それまではトンガリキッズ(中森明夫)の自己提示ツール(かっこいいでしょ!)だったのが、フォロワーの自傷ツールだという格好悪いイメージが広がったので、リーダー層が一挙に『足抜け』したという経緯だと思われます。(中略)援交から離脱したリーダー層の〈男たちの性的視線を拒絶する〉ガングロ化にシンクロして、〈性的に過剰であることはイタイ〉という意識が日本全国に同時に広がります」。そしてこの援交ブームは、男子の側にも変化をもたらした。「96年に僕はゼミの男子学生と以下のようなやりとりをしました。ゼミ男子の7割近くがギャルゲーマニアだと知った僕が、『生身の子とやれないからって、逃げてんじゃねえよ』と言ったところ、今は優秀な数理社会学者となっている教え子が『先生、それは古い見方ですね』と答えました。彼は続けます。『僕らは女の子とセックスできないからギャルゲーをしてるんじゃありません。セックスなんかいくらでもできます。そういう時代じゃないんです。でも僕らにして見れば、「リアルな女の子が、ゲームの中の子と同じように振る舞ってくれたら、セックスしてやってもいい」という感覚なんですよ』と。前述したとおり、この96年が援交ブームの頂点。97年からリーダー層女子の退却が生じ、女子の間で性的過剰が自意識のイタさを示すものだとされ始めます。そう。援交に女子の得体の知れなさを見た男子が、セックスできてもリアル女子を忌避し、援交に自意識のイタさを見た女子が、性的過剰を忌避し始めたわけです。繰り返すと、援交ブームの過剰さは、結果として、女子の〈性的過剰さを忌避する営み〉と、男子の〈リアル女子を忌避する営み〉に繋がりました。それぞれの〈性的退却〉は出発点も経緯もまったく異なるのですが、しかし共通して、セックスができないから〈性的退却〉に向かったのではないという点が、ポイントです。出発点も経緯も違うと言いましたが、〈リアル女子を忌避する営み〉を示す男子も、ゼミ生が僕に語ったように〈リアルに過剰にこだわるのはイタイ〉という意識を伴いました。その意味で〈性的に過剰であることはイタイ〉という意識を示した女子と、〈過剰さというイタサの忌避〉という面でシンクロしていました」。しかし、ここに逆説がある。「〈過剰なこだわり〉を放棄することは、〈島宇宙〉の過剰細分化を抱えた社会システムに適応するという意味で、合理的です。でも、社会への適応によって、性愛の実りから見放されます。逆に言えば、性愛の実りを獲得したいなら、多少なりとも社会への適応を遮断しなければならないのです」。

 ナンパにおいて重要なマインドセットとして、宮台は〈変性意識状態〉に言及する。〈変性意識状態〉とは、催眠状態の前段階にあたる催眠誘導状態や、薬理成分によってトリップした状態や、激しい身体挙動を伴う祭りの中でのトランス状態や、時間感覚が狂った状態などを指す。しかし、複雑化した近代社会では、こうした〈変性意識状態〉に開かれた身体はノイジーだとして、抑圧されがちになる。〈変性意識状態〉は「近代の敵」の如き扱いになる。だが、性愛の実りをもたらす〈変性意識状態≒トランス状態〉は〈性への過剰なこだわり〉〈リアルへの過剰なこだわり〉抜きに不可能なのだ。そこで〈社会への適応が性愛への絶望をもたらす〉ような社会を変革することが主題化されることになる。

 「人を入れ替え不能な人格としてより、まるで入れ替え可能な道具のように扱うこと」を宮台は〈物格化〉と呼ぶ。「ナンパできない自分から、ナンパできる自分へのワンランクアップ」による自己肯定度の上昇を目的とした「自己啓発」的な振る舞いで数を稼ぐ男のナンパ。親に様々な選択肢を閉ざされたという意識から〈親への恨み〉を抱き、性において「知ることができたはずの世界」を求める女。こうした男女は互いに〈物格化〉し合う。そんな貧しい振る舞いではなく、たとえば「あり得たかもしれない究極の恋愛を、二度と会えない相手と、ただこの一回の瞬間に、想像的に具現する」ような〈瞬間恋愛〉(東ノボル)を目指せ、と宮台は言う。「相手の世界にダイブせよ」と。

 イベントの登壇者のひとり、高石宏輔は問う。「宮台さんの本を読んでいるときに思うのは、宮台さんにはこういう子たち(自己防衛的な宮台チルドレン)がすがりつけるんですよ。『ミメーシス(感染)』というような、魅力的な言葉がありますよね。僕も読んでいて『この言葉いいな』とか『なるほどな』と思うような、使いやすい言葉が並べられているんですよね。でも、そういう言葉が与えられることで、彼らに『自分は内省できている』と勘違いさせてしまうんじゃないかとも思ったりします。(中略)宮台さんはその檻に入れようとは思ってないじゃないですか? 彼らを檻から出すために書いているのに、それが逆に檻をつくり上げている結果になっている。僕は宮台さんの本を数冊だけなんですが読ませていただいて、こういうことを思ったんですがどうなんでしょう?」。宮台は答える。「まったく……。僕は〈世界〉や〈社会〉を観察するときに役立つ知恵を、哲学史や社会学史から拾い出してお見せしているんだけど、読者が専ら〈自分〉を観察するために流用するので、〈世界〉や〈社会〉がどこかに飛んじゃう」。

 「自分に関心を寄せるほど自分の価値が減っていく」という摂理がある。なぜか。他人にとって意味がある存在になれないからだ。〈物格化〉は相手の人格ではなくスペックのみを見ている。自己関与の延長なのだ。

 ちなみに、宮台は女子に対して、男性と付き合う前に以下の3つの基準でスクリーニングするように、とアドバイスしている。第一に、過去の男体験を話そうとすると耳を塞いだりキレる男を、切り捨てる。究極の一体化に向かえないからだ。第二に、キミにその服は似合わない、髪型が似合わないと文句をつける男を、切り捨てる。こういう男は、自分に似合いのアクセサリーとして、女を見るからだ。第三に、何かというと母親を持ち出す男を、切り捨てる。多くは、母親による肯定がなければ女性を肯定できない男だからだ。付き合いが進むと、今度は、相手の女性を母親代わりに利用し始める。昨今では、これら3つの基準を併用すると、女性は自分に近づく男の8割を切り捨てられるそうだ。さらに蛇足だが「マザコン男はAKB48が好き」。

  ■「安保村」と「原子力村」の誕生――「基地」と「原発」を覆う「アメリカの影」

 宮台も推薦している矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を参照しながら、米軍基地と原発政策が同じような構造の問題であることを明らかにしていきたい。

 日本の法体系では、〈下位法〉日本の法律(憲法以外の国内法)→条約→日本国憲法〈上位法〉、という関係になっている。「もともと日米安保条約などの条約は、日本の航空法など、一般の国内法よりも強い。上位にあるそうです。(中略)これは憲法98条2項にもとづく解釈で、『日本国が締結した条約は、これを誠実に遵守する』ということが憲法で定められているからです。この点に関しては、ほぼすべての法学者の見解が一致しているそうです。その結果、どうなるか。条約が結ばれると、必要に応じて日本の法律(憲法以外の国内法)が書きかえられたり、『特別法』や『特例法』がつくられることになります。つまり下位の法律が、新しい上位の法律に合わせて内容を変えるわけですね」。

 しかし、いくら条約(日米安保条約や日米地位協定)は守らなければいけないといっても、国民の人権が侵害される場合、憲法が歯止めをかけることになっている。「ところが1959年に在日米軍の存在が憲法違反かどうかをめぐって争われた砂川裁判で、田中耕太郎という最高裁長官が、とんでもない最高裁判決を出してしまった。簡単に言うと、日米安保条約のような高度な政治的問題については、最高裁は憲法判断をしないでよいという判決を出したわけです。(中略)つまり安保条約とそれに関する取り決めが、憲法をふくむ日本の国内法全体に優越する構造が、このとき法的に確定したわけです」。この判決の根拠が「統治行為論」と呼ばれるもので、「国家統治の基本に関する高度な政治性を有する国家の行為については、法律上の争訟として裁判所による法律判断が可能であっても、これゆえに司法審査の対象から除外すべきとする」理論である。

 さて、この砂川裁判だが、「全プロセスが、検察や日本政府の方針、最高裁の判決までふくめて、最初から最後まで、基地をどうしても日本に置きつづけたいアメリカ政府のシナリオのもとに、その指示と誘導によって進行したという」事実が、2008年、アメリカの公文書によって明らかになっている。

 ところで、福島第一原発事故以前、大気汚染防止法、土壌汚染対策法、水質汚濁防止法において、放射性物質は適用除外となっていた。そして、環境基本法第13条の中で、そうした放射性物質による各種汚染の防止については「原子力基本法その他の関係法律で定める」としていたが、実は何も定めていなかったのだ。事故後、環境基本法第13条は丸ごと削除された。同時に、大気汚染防止法と水質汚濁防止法における放射性物質の適用除外の規定も削除された(土壌汚染対策法の適用除外規定はそのまま残っている)。しかし、環境基本法第13条が削除された結果、放射能汚染については同基本法の中で、他の汚染物質と同じく「政府が基準を定め(16条)、国が防止のために必要な措置をとる(21条)」ことで規制するという形になったのだが、肝心のその基準が決められていない。

 環境基本法の改正とほぼ同時に、原子力基本法が改正され、原子力に関する安全性の確保については「我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする」という条項が、自民党の主張で第2条に追加された。「砂川裁判最高裁判決によって、安全保障に関する問題には法的なコントロールがおよばないことが確定しています。つまり簡単にいうと、大気や水の放射能汚染の問題は、震災前は『汚染防止法の適用除外』によって免罪され、震災後は『統治行為論』によって免罪されることになったわけです。このように現在の日本では、官僚たちがみずからのサジ加減ひとつで、国民への人権侵害を自由に合法化できる法的構造が存在しているのです」。

 アメリカから日本への核燃料の調達や再処理、資機材・技術の導入などについて取り決めている日米原子力協定というものがある。第12条4項は「どちらか一方の国がこの協定のもとでの協力を停止したり、協定を終了させたり、[核物質などの]返還を要求するための行動をとる前に、日米両政府は、是正措置をとるために協議しなければならない。そして要請された場合には他の適当な取り決めを結ぶことの必要性を考慮しつつ、その行動の経済的影響を慎重に検討しなければならない」となっている。つまり「アメリカの了承がないと、日本の意向だけでは絶対にやめられない」ような取り決めになっている。さらに第16条3項には「いかなる理由によるこの協定またはそのもとでの協力の停止または終了の後においても、第1条、第2条4項、第3条から第9条まで、第11条、第12条および第14条の規定は、適用可能なかぎり引きつづき効力を有する」とある。ほとんどすべてだ。矢部は慨嘆する。「問題は、こうした協定上の力関係を日本側からひっくり返す武器がなにもないということなのです。これまで説明してきたような法的構造のなかで、憲法の機能が停止している状態では。だから日本の政治家が『廃炉』とか『脱原発』とかの公約をかかげて、もし万一、選挙に勝って首相になったとしても、彼にはなにも決められない」。

 矢部は「反戦・護憲平和主義」は欺瞞だと指摘する。「歴史を調べていくと、憲法9条2項の戦力放棄と、沖縄の軍事基地化は、最初から完全にセットとして生まれたものだということがわかりました。つまり憲法9条を書いたマッカーサーは、沖縄を軍事要塞化して、嘉手納基地に強力な空軍を置いておけば、そしてそこに核兵器を配備しておけば、日本全土に軍事力はなくてもいいと考えたわけです(1948年3月3日/ジョージ・ケナン国務省政策企画室長との会談ほか)。だから日本の平和憲法、とくに9条2項の『戦力放棄』は、世界じゅうが軍備をやめて平和になりましょうというような話ではまったくない。沖縄の軍事要塞化、核武装化と完全にセット。いわゆる護憲論者の言っている美しい話とは、かなりちがったものだということがわかりました。戦後日本では、長らく『反戦・護憲平和主義』というのが一番気もちのいいポジションでした。私もずっとそうでした。もちろんこの立場から誠実に活動し、日本の右傾化をくいとめてきた方も多数いらっしゃいます。その功績は決して忘れてはならない。しかし深刻な反省とともによく考えてみると、自分もふくめ大多数の日本人にとってこの『反戦・護憲平和主義』という立場は、基本的になんの義務も負わず、しかも心理的には他者より高みにいられる非常に都合のいいポジションなのです。しかし現実の歴史的事実にもとづいていないから、やはり戦後の日本社会のなかで、きちんとした政治勢力にはなりえなかったということになります」。

 福島原発事故後、僕たちは「原子力村」という「インナーサークル」の存在を知るようになった。電力会社や原発メーカー、官僚、東大教授、マスコミなどが一体となってつくる「原発推進派」の利益共同体のことだ。矢部は「日米安保村」、略して「安保村」について語る。「それは『日米安保推進派』の利益共同体のことです。その基本構造は原子力村とまったく同じで、財界や官僚、学会や大手マスコミが一体となって、安保推進派にとって都合のいい情報だけを広め、反対派の意見は弾圧する言論カルテルとして機能しています。ちがうのはその規模です。原子力村の経済規模が年間2兆円とすれば、安保村の経済規模はなんと年間530兆円、つまり日本のGDPのすべてといっていい。なぜなら占領が終わって新たに独立を回復したとき、日本は日米安保体制を中心に国をつくった。安保村とは、戦後の日本社会そのものだからです」。

  ■「第三の道」は余儀なくされる「他にはあり得ない道」である

 89年から91年にかけての冷戦体制終焉の後、90年代半ばから一挙に進んだグローバル化=資本移動自由化が、「大きな政府」をあり得ないものにした。宮台は説明する。「資本移動自由化は、新興国の隆盛を促す結果、先進国の輸出産業が、新興国と競争すべく、利潤率均等化則や生産要素価格均等化則通りに労働分配率を引き下げるので、勤労者所得の低下で、外需に加え内需までもが細り、法人税や所得税の税収が減少します。むろん増税は資本を国外に流出させます」。宮台は、アンソニー・ギデンズを参照しつつ語る。「第一の道は70年代に破綻した福祉国家政策=『大きな政府』であり、第二の道は80年代の英米を席巻した市場原理主義=『小さな政府』です。第三の道とは『小さな政府』を『大きな社会』で補完する政策で、民主主義をその本義である自治、すなわち〈参加〉と〈包摂〉に政策的に差し戻すものです。政策的に差し戻すとは、自治的共同体(社会)を破壊しかねない要素を、政府(国家)が補うことです」。ここでの国家の役割は「社会投資」である。宮台は続ける。「具体的には、自治的共同体を空洞化させるにもかかわらず自治的共同体だけでは手当てしがたい格差化や貧困化に、国家が手を差し伸べるのです。あるいは市場の働きに任せるだけだと社会から〈排除〉される、貧困家庭を含めた社会的弱者を、社会的に〈包摂〉されるよう、政策的にサポートすることです。政策的サポートと言いましたが、これは、素朴な再配分=〈弱者の手当て〉よりも、〈参加〉の支援=〈動機づけの手当て〉を、重視するということです」。

 さて、宮台は、冷戦終焉までは第一の道=左、第二の道=右だったが、冷戦終焉後はこうした陣営区分がどうでも良くなった、という。両方とも非現実的な道であり、それに対する支持がどのみち感情的満足を意味するようになった、と。それは第二の道(右)から第一の道(左)への〝転び〟の容易さに見て取れる。なぜなら両者とも機能的に等価だからだという。

 宮台は言う。「この機能的等価性を、北田暁大は『繫がりの社会性』(繫がれるのなら右でも左でも良い)だと説明します。でも、繫がりを作り出せるのは、第一の道=左も、第二の道=右も、所詮はノリや感情の問題に過ぎないからです。この前提的事実に注目せねばなりません。そうすれば、日本におけるネトウヨとプレカリアートの等価性だけでなく、アメリカでのティーパーティ運動とオキュパイ運動の等価性にも射程を拡げられます。この機能的等価性は、第二の道(右)をとると、格差&貧困で不安と鬱屈を抱えた人々が、一方で、プレカリアート運動に見られるように第一の道(左)を唱導するポピュリストに動員され、他方で、生活保護不正受給問題に見られるように第二の道(右)を唱導するポピュリストに動員されるところにも見て取れます。前者については『補助金行政から政策的市場へ』の流れは不可避で、アンチ市場化は頓珍漢です。後者については不正受給率は金額にして0.4%で、他先進国の倍の7割に及ぶ未捕捉率に比べれば鼻糞も同然。

 別角度からも第二の道(右)と第一の道(左)の等価性を理解できます。第二の道=市場原理主義をとると、不安と鬱屈を背景にむしろ様々な意味での社会的弱者の怒りが『何であんなヤツらに再配分するんだ!』と噴き上がりますが、所詮は社会的弱者なのでやがて孤独死問題や無縁死問題や高齢者所在不明問題の当事者となり、政府にすがります。要は第二の道(右)は『小さな政府』&『小さな社会』を要求すると見えて、持続不可能性ゆえにどのみち『大きな政府』(左)を要求し、『大きな政府』の持続不可能性に突き当るのです」。

  ■「デタラメ民主主義を排し、真の民主主義を招き寄せるための、全体主義」としての「二階の卓越主義」

 宮台は述べる。「民主主義の中軸は自治(自分たちのことは自分たちで決める)です。自治の中軸は〈参加〉と〈包摂〉です。〈参加〉と〈包摂〉は、単なる制度ではなく、行為態度とその帰結です。かかる〈参加〉と〈包摂〉を実現するのに最も有効な手段は、先進国で日本でだけ普及していない住民投票制度だ、と僕は考えています」。そしてこう吐露する。「これは〈心の習慣〉の涵養に向けた〈社会構造〉の設計です。いわばファシズムも顔負けの、強力なパターナリズムです」。

 宮台が住民投票運動における熟議の重要性を語るとき、念頭にあるのは政治学者のジェイムズ・フィシュキンと、もうひとり、法学者のキャス・サンスティーンだ。サンスティーンが提唱する概念に「二階の卓越主義」というものがある。意味は「コミュニケーションの〝内容選択〟において卓越性を示す代わりに、コミュニケーションの〝手続選択〟において卓越性を示す必要がある」ということ。

 フィシュキン=サンスティーンの議論が登場した背景は、やはりグローバル化である。「資本移動自由化(=グローバル化)によって格差化と貧困化が進む。中間層が分解し、共同体が空洞化して、個人が不安と鬱屈にさいなまれるようになる。そのぶん、多くの人々がカタルシスと承認を求めて右往左往しはじめる。かくして、ヘイトスピーカーやクレージークレーマーが溢れがちなポピュリズム社会になるのだ」。こうした状況においては、人々は不安を埋め合わせるために、極端な言動で他者の承認を得ようとする(ヘイトスピーカー)。また、その地域や社会の文脈から切断されたところで、理不尽な訴えをして溜飲を下げようとする(クレージークレーマー・新住民問題)。それがやがて「集合的な極端化」と呼ばれる民主主義の危機を呼び起こす。その危機への対応策が「二階の卓越主義」であり、例えば一部の卓越したエリートが、あらかじめ「集合的な極端化」を防ぐような熟議の制度設計を構想する、といったことが考えられる。それは通常の熟議(一階)において発揮される卓越性ではなく、それを見下ろすメタレベルの制度設計における卓越性である。

 さて、「二階の卓越主義」は、お気づきの通りエリート主義的なパターナリズムの一種である。従って、それは必然的に全体主義の色合いを帯びざるを得ない。

 宮台は語る。「熟議の『設計』に関わるパターナリズムは、社会全体という観点から個人を非自己決定的に誘導する点で、多少なりとも全体主義的だ。それが『パターナリズム』と言い換えられ、さらに『二階の卓越主義』と言い換えられていても、結局は同じことだ。今日では、民主主義保全のための全体主義的方向付けが、条件付きではあれ肯定されるようになってきているのである。要約しよう。〈グローバル化と民主主義の両立不可能性〉に抗うべく、〈民主主義を補完する非民主主義的装置〉として、[二階の卓越主義⊂パターナリズム⊂全体主義的方向]が必要であることが、アカデミズム領域で理解されるようになってきた。『民主主義単独では、民主主義の前提を調達・維持できない』と見立てられるようになった、ということである。外部性とは経済学の概念で、『市場自身が調達できない、しかし市場に不可欠な前提(に市場の営みが与える正負の影響)』だ。同じ理路に従えば、民主主義にも当然ながら外部性がある。すなわち、『民主主義自身が調達できない、しかし民主主義に不可欠な前提(に民主主義の営みが与える正負の影響)』があるのだ。これは完全に一般的な命題だ。

 敗戦後の日本に対するGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の構えを見れば明らかなように、民主主義の外部性に関わる、場合によっては検閲さえをも伴う全体主義的な注入は、かねて全体主義的な後発国、すなわち枢軸諸国にのみ専ら必要なことだと考えられてきた。それが昨今では民主主義の先進諸国においてすら必要だと考えられるようになってきたということだ」。

  ■〈終わりなき日常〉の三つのレイヤー

 2011年3月11日の東日本大震災と、それに続いた大津波被害、原発事故。宮台は1995年、オウム真理教事件を受けて刊行した『終わりなき日常を生きろ』で、男の子的な終末観(ハルマゲドン幻想)の敗北と、女の子的な終末観(〈終わりなき日常〉)の勝利を論じた。もはやこの社会に革命など起きず、劇的な変化は訪れない。だから〈終わりなき日常〉をまったり生きるだけだ。

 3・11後、東浩紀や猪瀬直樹が「終わりなき日常は終わった」と発言した。これに対して、宮台は答える。「〈終わりなき日常〉は終わっていない。概念的に言って、終わるはずがない。〈終わりなき日常〉には三つのレイヤーがあり、どのレイヤーでも3・11が何の影響も与えていないことを、簡単に証明できる」。

 一般に先進社会の多くでは、社会システムの意味論は三つの段階で進展していく。宮台は、社会学者の見田宗介が終戦からバブル期までを「理想」「夢」「虚構」の時代として三区分したことを修正して、「秩序」「未来」「自己」の時代とした。「第一段階は『〈秩序〉の時代』です。そこでは現在の社会秩序が理想的なものと考えられ、秩序の攪乱は悪なる他者――秩序外部的存在――に起因すると見做されます。『〈秩序〉の時代』は日本では1945年から60年代まで続きます。(中略)ところが60年代に入ると――特にオリンピック以降――物語が変わります。それを『〈未来〉の時代』と呼びます。そこには打って変わって『人間たちの秩序自体が悪』というモチーフが展開します。(中略)『〈未来〉の時代』のサブカルチャーには、『現在の秩序はダメだが、遠い未来になれば良くなる』との想いが込められていることが分かります。でも『〈未来〉の時代』も70年代の半ばには終わり、『〈自己〉の時代』が始まります」。

 「〈未来〉の時代」は〈ここではないどこか〉追求の時代だった。最初はキューバや北朝鮮など現実世界に〈ここではないどこか〉が探られ、60年代末期に挫折すると、今度は観念世界に〈ここではないどこか〉が探られた。それが政治の季節からアングラの季節へのシフトだ。〈ここではないどこか〉追求の背景に〈こんなはずじゃなかった感〉があった。輝きや眩暈を約束した戦後復興や高度経済成長や郊外化がもたらした期待外れだ。そして政治の季節やアングラの季節は〈ここではないどこか〉を求めて挫折した。その後、〈ここを読み替える〉シャレとしてカタログ文化が盛り上がるが、それが後続世代に受け渡されるとオシャレへと変化する。マニュアル文化=「性と舞台装置の季節」の始まりだ。〈ここではないどこか〉の記憶覚めやらぬ年長世代にとっては「あえてする読み替え」だったものが、記憶なき後続世代にとって「記号的戯れ」へと変異した。しかしこの戯れが性的コミュニケーションと結びついていたことが、多くの若者たちにとってハードルになった。そこにオルタナティブ・ウェイを提供したのが(後の)オタク的メディアだった。〈ここを読み替え〉て現実をシャレる営みが、下世代に受け渡される際に「ナンパ系文化」に変異したように、現実をシャレる営みが、性愛コミュニケーションが苦手な下世代に受け渡される際に「オタク系文化」に変異した。新人類世代においては、ナンパ的な営みもオタク的な営みも〈ここを読み替え〉るための等価な選択肢だったが、後続世代では二つの方向に分岐した。

 宮台は語る。「こうした生成の経緯が、77年以降が『〈自己〉の時代』である理由を説明してくれます(※カタログ雑誌『ポパイ』が77年10月に突然方針転換し、デートマニュアルとタウンマップを結びつけた雑誌になった)。〈ここではないどこか〉探しの頓挫を埋め合わせる代替的営みが〈ここの読み替え〉でした。この代替を要求したのは〈自己のホメオスタシス(恒常性維持)〉です。後続世代になるとそこからナンパ系とオタク系が分化していきました。この分岐は、セルフイメージの維持に使えるツールが、対人的能力によって異なるためにもたらされたものです。パーソンシステムのキャパシティ(能力)には限りがあります。キャパシティの範囲内で多かれ少なかれ慣れ親しんだ自明性を構築して『自己』を維持する必要があります。そのことはいつの時代でも同じです。ところが〈ここではないどこか〉から〈ここの読み替え〉へのシフトは、読み替えツールの分岐を通じて世代的共通前提を希薄にし、やがて『自己』維持のための自明性構築の達成が簡単にはありそうもないことが、意識されるようになります。こうして、〈自己のホメオスタシス〉のために、現実や虚構から、自明ではないサブカルチャー的なリソースを総動員する、『〈自己〉の時代』が始まります。ナンパ系にせよオタク系にせよ、一定の島宇宙内で定型化されたコミュニケーションの作法に淫することで環境複雑性を縮減し、〈自己のホメオスタシス〉のために必要な負担を軽減しようとする点で、共通の地平上にあります」。

 「ネトウヨ」と呼ばれる人たちは、自分たちは愛国の営みをしていると思っているが、周囲の多くは、抑鬱的な思いを抱えた人たちがカタルシスを得るために情緒的に噴き上がっているだけの滑稽な営みだと感じる。米国のティーパーティー運動は、表明するイデオロギーは米国における草の根右翼のトラディショナルなものだが、実態は失業率上昇で鬱屈を抱えた若者たちの感情的ハケ口として政治活動が機能しているのではないかと、当の本国で言われている。2011年のウォール街占拠運動も、イデオロギー自体は富裕層優遇打倒という左翼トラディショナルなものだが、実態はやはり失業率上昇で鬱屈を抱えた若い世代の感情的ハケ口なのだと本国で評されている。

 宮台は言う。「これらの評に共通するのは、イデオロギーを超越的場所から神の声を代行するように語ることはもはやできないとの感覚です。立場を問わず、あらゆる文化現象や政治現象が自己現象として受け取られてしまうという現実があるのです。サブカルを評すること自体がサブカルに含まれる。社会を語ること自体が社会に含まれる。世界を語ること自体が世界に含まれる。内容がかつてのようにベタに受け取られる時代はもう永久に戻らないということです。『そんなことはない。イラクで酷いことが起こってる。震災でも酷いことが起こってる』。その通り。酷いことが起こりまくっている。『エヴァ』の中と同様に。そう、実際に起こっているからこそ自己現象として利用されるのです。革命であれ社会運動であれ〈自己のホメオスタシス(恒常性維持)〉のツールとして使われるとの『自覚』から我々はもはや二度と自由になれないのです。我々が閉じ込められた鉄の檻には『出口がありません』」。

 さて、〈終わりなき日常〉の一つ目のレイヤーは「ポストモダン」だ。「〈終わりなき日常〉を『〈自己〉の時代』(であることによるアイロニカルな脱臼)に見出すなら、我々はポストモダンの構造的な本質に照準していることになります。ならば〈終わりなき日常〉が終わるということは、そもそも永久にあり得ないのです。全てはシステムの産出物に過ぎないという意味でのポストモダンが定義的に終わらないのと同じ意味で、〈終わりなき日常〉は終わらない。それは我々にとっての構造的な条件なのです」。

 宮台は続けて語る。「小林秀雄が1929年に『改造』で文壇デビューしたときの論文のタイトルは『様々なる意匠』です。『意匠』は『モード』とパラフレーズするのが適切です。『意匠』の力が日本では戦前からずっと支配的でした。『様々なる意匠』問題が、〈終わりなき日常〉の二つ目のレイヤーです」。

 2004年の六ヶ所村再処理事業が保守論壇でさえ問題視された際、原発にはコスト的にもリスク的にも環境的にも合理性が存在しないことが明白になった。原発の政策的合理性については既に結論が出たのだ。しかし事態は変わらなかった。以降、原子力ムラの内部で原発の政策的合理性についての議論はタブーになった。戦中の軍部中枢に似ている。

 宮台は述懐する。「原子力ムラにいた飯田哲也さんが証言するように、ムラは『今さらやめられない』『空気に抗えない』という雰囲気です。若手陸海軍将校らが構成する総力戦研究所が、日米開戦すれば日本が勝利する確率はゼロ%とのシミュレーション結果を陸軍参謀本部と海軍軍令部に上げたのに、短期決戦であれば勝機ありとの理屈で開戦したことが知られています。ところが、東京裁判では被告人全員が『今さらやめられないと思った』『空気に抗えなかった』と証言します。ことほどさように小林秀雄の『様々なる意匠』と山本七平の『空気の支配』は裏腹の関係です。そして『様々なる意匠』と『空気の支配』によって成り立つ体制に、『全体の利権』が依存しているのです。だから、経産省と電力会社が吹聴する『絶対安全神話』が明白な嘘で塗り固められたものなのに、地域社会は経済から文化に至るまでものの見事に原発浸けの体制のまま、誰も彼もが原発に利権的に依存しているような状態です」。宮台は言う。「そこでは、何が真理なのか、何が合理的なのか、何が妥当なのかを、どんなに議論しても意味をなしません。むしろ、そうした議論にコミットしようとすると、『空気(の支配)を読めないヤツ』という烙印を押されて、コミュニケーションから外される結果、一切の影響力を行使できなくなるのです。かくして〈知識を尊重する作法〉ならざる〈空気に縛られる作法〉がコミュニケーションを覆う〈悪い言説空間〉が、全てを支配します」。

 戦前の天皇主義も、戦後の民主主義も、震災後のボランティアブームも、すべて「意匠(モード)」に還元されるとして、宮台は断じる。「空気からの自立を処方箋とするか、空気への依存の利用を処方箋とするか、それを組み合わせるか。慎重な検討が必要です。僕は空気からの自立はあり得ないと思っています。いずれにせよ、何もかもが空気ベースの『様々なる意匠』でしかあり得ない〈悪い共同体〉が今後もかなりの期間続くだろうこと。これが〈終わりなき日常〉のもう一つのレイヤーです。この面でも今回の震災程度のことでは〈終わりなき日常〉は終わりません」。

 宮台は続ける。「〈終わりなき日常〉には第三のレイヤーがあります。このレイヤーが抱える問題は、僕が『終わりなき日常を生きろ』という言い方で、永久に続く『〈自己〉の時代』や『様々なる意匠』という意味での〈終わりなき日常〉を生き延びるための『解放区』的な処方箋を提示した後、それが頓挫してしまったことに関連します」。

 日本の戦後郊外化は60年代の〈団地化=地域空洞化×家族内閉化〉と80年代の〈ニュータウン化=家族空洞化×市場化行政化〉の二段階で進展する。〈ニュータウン化〉を象徴するコンビニ化&ファミレス化の動きと並行して、「法化社会」化の動きが83年から始まる。その一つに85年の風営法改正があったが、それへの供給側需要側両者の対処として直ちに生まれたのが、隙間や余白としてのテレクラと伝言ダイヤルだ。今風に言えば「オフラインの隙間が消去されたので、オンラインの隙間が開発された」ということ。こうしたオンラインの隙間を前提として92年から96年の間に、各大都市の盛り場周辺に、ストリートという「解放区」が出現する。その5年間に一貫して上昇したのが、第一にルーズソックスであり、第二にブルセラ&援助交際であり、第三にクラブブームだ。これらは全て96年にピークを迎えた後、一挙に萎む。つまり「解放区」が消える。

 お門違いの意味追求に駆り立て、緊張を強いる家・学校・地域(非日常)とは別の〈第四空間〉=ストリート(日常)で演技をやめて脱力する。その「盛り場」ならぬ「癒し場」が、96年を境に「死んで」いく。宮台は語る。「僕は同時期の『SPA!』に『地元化/お部屋族化』と記しました。社交的な子がセンター街には行かずに、首都圏だと町田・柏・西船橋・浦和・立川に滞留するようになる(地元化)と同時に、北海道から沖縄まで同時多発的に、24時間出入り自由な『若衆宿』的な友達の部屋にタムロするようになります(お部屋族化)」。その背景のひとつに、クラスでリーダー的存在だった「援交第一世代」の女子高生のフォロワー「第二世代」に自傷系の子が多く、援交がダサいと見なされるようになり、世代が交代したという事情があった。「かつては『渋谷的風景』と、僕がAVギャルや援交ギャルの量産地として頻繁に言及した『16号線的風景』(※スーパー、パチンコ屋、家電量販店、消費者金融等々のチェーン店で埋め尽くされた風景の喩え。東京郊外を走る国道16号線がその典型である)は、明確に異なりました。風景のみならず人の風体も異なりました。それが同じになりました。全てが『渋谷的』になったのではない。全てが『16号線的』になりました。これは一般にグローバル化が帰結したデフレ経済の結果だとされますが、『地元化/お部屋族化』という文化現象の変化が大きいのです」。

 宮台は沈痛に語る。「『盛り場』も『癒し場』も欠いた〈スーパーフラット〉な『16号線的風景』の全国化こそが、〈終わりなき日常〉の第三レイヤーです。第一レイヤーが『〈自己〉の時代』の永続。第二レイヤーが『様々なる意匠』の永続。これらから逃れるべく、僕は〈まったり革命〉的な『癒し場』としてのホットスポットに希望を託したのですが、それが消えた挙げ句に、前面に出てきた第三レイヤーが〈スーパーフラット〉の永続というわけです」。

 77年から始まる「〈自己〉の時代」以降、ナンパ系とオタク系の間には優劣関係があると思われてきた。ところが96年から援交を含めた性愛への過剰コミットがイタいと感じられはじめる。そこから出てきたのが、異性(オヤジ)の性的視線を遮断するツールとしてのガングロだ。こうしたナンパ系の地位低下と同時期にオタクの地位上昇が生じる。単にナンパ系の低下による相対的上昇ではない。90年代半ばまでに一部オタクのオシャレ化が生じ、それとは別にパソコン通信やインターネットの拡がりで、薀蓄を競う〈オタクの階級闘争〉に代わって〈オタクネタの戯れ〉が拡がる。ナンパ系がイタくなり、オタク系がコミュニカティブになった結果、96年以降ナンパ系とオタク系の間に優劣関係を想定するコミュニケーションが一挙に廃れる。

 宮台は言う。「〈場所のスーパーフラット化〉に続いて、ナンパ系とオタク系の優劣関係消滅という〈人のスーパーフラット化〉が生じましたが、これは愛の絆(をはじめとする人間的紐帯)に期待しないという〈心のスーパーフラット化〉と相即している可能性があります。とすれば、〈終わりなき日常〉の第三フェーズである〈スーパーフラット化〉は、想像を絶した深さと拡がりを持った問題なのかもしれません」。

 「結論。〈終わりなき日常〉は永久に終わらない」。

  ■それでも「クソ社会」を生きる

 「愛のキャラバン」の登壇者のひとりである公家シンジは、『「絶望の時代」の希望の恋愛学』中のコラムでこう書いている。「ぼくたちがいるこの社会はクソである。(中略)これは宮台真司氏の感覚に根ざした強固な価値観なのだ。ぼくは彼が吐き捨てるようにこういった台詞を言い放つ姿を何度も目にしている。彼は現代社会に強い不快感を持っている」。

 僕は、かつて宮台が、江戸時代から380年も続く人形芝居の結城座によるアングラ劇『アンチェイン・マイ・ハート』を観劇した際のコメントがとても印象に残っている。「この芝居は、『私たちはなぜ、生が殺伐とした事実性でしかないような、砂を噛むがごとき毎日を送っているのか』という問いに、概念的にも体感的にも、感動的なほど明確な答えを提示しています。答えは『縦の力』を失ったからというもの」。「縦の力」とは宮台の造語で、非日常的事態に対処し得るカリスマのような存在に宿る力のことで、社会に還元できない。対して「横の力」とは、通常の恒常的な人間関係や社会関係を維持する力。宮台のコメントを僕なりにパラフレーズすると、「私たちの社会は、『非日常性』を上手に導入してきた過去から遥か遠ざかってしまい、その結果、殺伐とした『日常』だけが延々と続く砂漠と化した」となる。たとえば、これが「クソ社会」の実相だ。だが、宮台は、素朴な伝統回帰などあり得ないと強く主張してきている。共同体が空洞化したときにこそ、その埋め合わせとして「伝統」が呼び出されるが、それは「反省された伝統主義」であり、再帰的であるほかない。『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』でも、汎システム化に抗うためにも、システム化による「設計」を行うしかないのだとの認識が示されている。そう。僕たちの社会はもはや「ベタ」に生きられない。

 『終わりなき日常を生きろ』から20年。宮台はラジオで、「ひたすら日本社会の劣化を見てきた20年だった」と語っていた。しかし、宮台はしばしば、師匠である小室直樹のこの言葉を引用する。「宮台君、社会がダメになると人が輝く。昔からそうだから安心したまえ」。宮台の「もう日本社会はダメですね」との言葉に答えたものだ。

 〈終わりなき日常〉の中で、この「クソ社会」で、僕たちはこの小室の言葉を、宮台真司と共に噛みしめねばならない。

 

  (引用・参考文献、HP等)

 神保哲生、宮台真司他『地震と原発 今からの危機』扶桑社、2011年a。

 宮台真司、飯田哲也『原発社会からの離脱 自然エネルギーと共同体自治に向けて』講談社現代新書、2011年b。

 宮台真司編著『「絶望の時代」の希望の恋愛学』KADOKAWA/中経出版、2013年。

 宮台真司『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』幻冬舎、2014年a。

 仲村清司、宮台真司『これが沖縄の生きる道』亜紀書房、2014年b。

 吉岡斉、寿楽浩太、宮台真司、杉田敦『原発 決めるのは誰か』岩波ブックレット、2015年。

 ジェイムズ・S・フィシュキン/曽根泰教監修、岩木貴子訳『人々の声が響き合うとき 熟議空間と民主主義』早川書房、2011年。

 キャス・サンスティーン/那須耕介監訳『熟議が壊れるとき 民主政と憲法解釈の統治理論』勁草書房、2012年。

 矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』集英社インターナショナル、2014年。

 慶應義塾大学DP研究センター:http://keiodp.sfc.keio.ac.jp/

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