宮台真司の思想 〈ミメーシス〉編

  ■余は如何にしてミヤダイストとなりし乎

 1995年、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こり、教祖、麻原彰晃は逮捕された。それから程なくして、コンビニである本を見かけた。それが『終わりなき日常を生きろ』だった。著者は宮台真司というひとらしい。変なタイトルの本だな、と思って気にはなったが、手に取ることはなかった。それから少しして、解剖学者の養老孟司とともに、宮台真司がニュース番組でオウム真理教について語っているのを観た。「麻原は水中に長時間潜っていられる、と学生が言うんですけど、虚血になって死にますよね。それを知っているはずなのに、どういうことなんだ、と思うわけです」と養老が言った後、宮台は「終わりなき日常」と「さまよえる良心」というキーワードを掲げ、微笑みながら見ている養老の横で、滔々と自説を展開し始めた。これが宮台真司という社会学者を印象に刻んだ最初だった。ブルセラ・援助交際を擁護するブルセラ論戦のさ中、通っていた大学の校門に「ブルセラの宮台真司氏来る」という講演会の看板を見たのが、その年の秋だった。授業があって参加できなかったが、この辺りから、宮台の言説を意識するようになった。

 漫画雑誌『ガロ』のマンガ評論新人賞に応募するため、参考文献として初めて読んだのが『サブカルチャー神話解体』だった。統計分析や機能分析によって、サブカルの内容ではなく、その受容形式を焦点化する方法論に当惑した。それは「目から鱗」体験だった。

 宮台は、毎年年末になると、自己のあまりの不自由さを思って鬱状態になるという。僕もこれまで、重い鬱状態に陥ったことが3度あった。1度目は、大学を中退して地元に戻ってきた1997年。抑鬱状態にあったとき、島田雅彦の小説を読んでいて、文章中の「死」の文字が目に飛び込んできて、発作的に睡眠薬を大量服用した。親が僕の異状に気づき、救急車を呼んで助かった。この後、初めて目に止めた『終わりなき日常を生きろ』や『まぼろしの郊外』を読むようになった。2度目は、1999年。ひきこもりになったが、R・D・レイン『ひき裂かれた自己』を読んだことをきっかけに、何とか立ち上がった。 

 2000年、書店でアルバイトをしていたとき、休憩時間に何となく読んでいた雑誌『ダ・ヴィンチ』に、宮台の映画評論「オン・ザ・ブリッジ」を見つけた。塚本晋也監督『バレット・バレエ』を論じた連載第2回目で、「自己確証が(意外にも)自己破壊を帰結することで(意外にも)癒される」というモチーフを剔抉していた。映画好きの僕は、その批評に打ちのめされた。

 2001年、鈍行列車で日本縦断ひとり旅を決行した。旅行に出発する前に、アメリカ同時多発テロが起こった。旅行から戻った後、『制服少女たちの選択』を初め、『サイファ 覚醒せよ!』『自由な新世紀・不自由なあなた』などを読み進んだ。そして、2003年、アメリカを主体とした有志連合によるイラク戦争が始まった。テレビで米英軍のバグダッド空爆を見た。僕はずっとアメリカに対して、何だかんだ言っても自浄作用が働く「いい国」だというイメージを持っていた。しかし、事ここに至って、ようやくアメリカに幻滅した。何十冊かのアメリカ関連の本などを読み、自分なりにアメリカ論をまとめた。書き終えた翌年、2004年の初め、あまり眠れずに目を覚ましたある日の早朝、歩こうとして意識が朦朧となり、倒れた。何とか自分で救急車を呼んだ。医者には不安神経症だと言われた。これが3度目の鬱状態だった。心療内科に通いながら、静養する日々が続いた。そんな中、図書館でふと『ダ・ヴィンチ』のバックナンバーを見つけ、宮台の映画評論を読んだ。過去の連載すべてが読みたくなり、バックナンバーを漁って読み耽った。僕は宮台の映画批評にのめり込んだ。あるときなどは、右翼青年が北一輝を夢に見るがごとく、宮台の白昼夢を見た。精神的にかなりヤバい時期だったと思うが、しかし、宮台の映画批評に文字通り救われた。

 その後、僕は時々、映画の寸評や出会い系サイトの体験記などを宮台にメールで送るようになった。「同感でした」「面白いですよ」といった返事をもらう度に、僕は小踊りした。

  ■宮台ファン、S君の自殺

 宮台真司の著書の中で、意識的に避けていた本があった。ノンフィクションライター、藤井誠二との共著『美しき少年の理由なき自殺』だ。先日、もう自分もある程度年を取ったから、そろそろ大丈夫かな、と思い読んだ。読後、やはり年を取ってからにしてよかった、と思った。若い頃に読んでいたら、ショックが大きかっただろう。

 宮台ファンのS君は、1998年3月に自殺した。彼は、宮台に影響されて実施したフィールドワークの結果や、様々な思索を大学ノート7冊に詳細に記録していた。彼が死の直前に残した恋人宛の文章「予測される誤認や誤解に対する反論」を一読した宮台は、「これは……昔のおれじゃないか」と呟いた。僕もまさしく、昔の自分をS君に重ねた。

 S君には渡辺君という親友がいた。渡辺君は世界や人生に対して「確かに無意味だ。でもそこそこ楽しい」という構えだ。対してS君は「そこそこ楽しい。でも無意味だ」という構えだ、と宮台は考えた。この分析で、僕は即座に宮台の「世界の構造化」に関する知見を思い出した。世界を有意味だ、と捉えるのも、世界を無意味だ、と捉えるのも、主体を安定させるという意味で機能的に等価だ、というものだ。僕はこの知見に安堵したものだった。しかし、「無意味だ」から「そこそこ楽しい」までが地獄の道のりなのだ。

 宮台は、ニーチェ=ハイデッガー=フランス現代哲学の対概念「意味/強度」を用いる。渡辺君には「意味がなくても強度(濃密さ)がある」が、S君にはその「強度(濃密さ)」がない。そこそこ楽しい状況でも「強度」を獲得できれば、「意味」を手放しても生きていける。しかし、「強度」から見放されると、「意味」と「強度」の間で宙吊りになってしまう。そこに生死を分ける差異があるのでは、と宮台は考えた。

 終章の藤井との対談で、現代を生きる理想主義者にとって、単純な理想主義などもはやあり得ず、何かを根拠なく信頼して危険な跳躍をしてみせるために必要な工夫がますます希少化している、と宮台は言う。そしてこう語る。「単純に何かを信頼することはできない。女(男)も信頼できないし、国も信頼できないし、地域も会社も信頼できない。家族も信頼できない。自分だって信頼できない。愛も信頼できない。思想やイデオロギーも信頼できない。そんなときに何かを信頼して、いっぺんに跳躍するなんて、普通に考えればもうバカげている。それでも、クスリで、電極で、脳を刺激するのを別にして、危険な跳躍をするために何かを信頼することは可能なのか。こういうふうに抽象的に図式化してみた場合、生きる濃密さを獲得するための条件というのは、まだ十分に探索されているとは思えないんです」。宮台がS君に向けたメッセージだ。

  ■宗教は何のためにあるか

 19世紀末の近代社会学誕生以降、宗教定義はおよそ二種類あった。第一は、聖俗二元図式を用いて、聖なるものや聖なる体験を宗教と呼ぶ定義。しかし、聖なるものとは何かをめぐって、この定義は困難に陥る。第二は、究極性や最高性を宗教的なものと見なす定義。様々な価値には前提-被前提関係があるが、前提とされるものを遡及し続ければ、究極価値や最高価値が見つかるので、それを宗教と呼ぶ。しかし、この定義だと、ケルゼン流の概念法学で把握された憲法や、俗に言う「科学万能主義」の世界観も定義に合致してしまう。社会システム理論では、第三の定義を行う。すなわち「前提を欠いた偶発性を無害なものとして受け入れ可能にする機能」を宗教的だと見なす。偶発性とは可能だが必然ではないこと。別様でありえたのにそうなっていることだ。「なぜ、他の誰でもなく自分が事故に巻き込まれたのか」「なぜ、その法則、その道徳があるのか」など、前提を欠いた偶発性は予期外れの衝撃を収拾不能にし、意味あるものには意味がないという形で「世界」解釈を不安定にする。前提を欠いた偶発性は、何らかの形で受け入れ可能なものに意味加工される必要がある。その機能を果たす社会的装置が宗教だ。「前提を欠いた偶発性(根源的偶発性)を無害なものとして受け入れ可能にする機能(を持つ装置の総体)」が宗教システムであり、近代社会における宗教システムは、「信仰」というメディアが、一般化されたコード「超越/内在」という二項図式を前提として、超越へと向けた動機形成と期待形成を成すことを通じてコミュニケーションを触媒することによる、コミュニケーションの閉じだと見なせる。

  ■援交女子高生は「流動性サーファー」か

 「超越/内在」という思考枠組みは、スコラ神学以来の伝統に連なる千年以上の歴史を持つ図式だという。宮台は宗教を「行為系宗教」と「体験系宗教」に分ける。前者は「世俗的=利益祈願型」で「幸せになりたい!」に応える宗教。後者は「非世俗的=意味追求型」で「ここはどこ? 私は誰?」に応える宗教。前者が「内在」=「ブルセラ系」、後者が「超越」=「オウム系」である。現にブルセラ・援助交際女子高生が「内在」だけでやっていけるなら、「内在」と「超越」をめぐる教義学的論争の大半はキャンセルできると宮台は考えた。2004年のインタビューで、こう述べている。「95年に『終わりなき日常を生きろ』を書きました。これはオウムについての本ですが、実はあの中に『内在と超越』という問題系をちょこっと出していて、そこでは、今から見ると、むしろ逆のことを言っています。社会の流動性が高まってくると、流動性に耐えられる人間=『流動性サーファー』と、流動性に耐えられない人間が出て来る。前者はブルセラ・援交女子高生、今でいうと内在系、宗教的には占いおまじない系で、要は、御利益程度で幸せになれる人間です。ところが後者は、宗教のレベルでいうと内在に対して超越、つまり簡単には幸せになれない人間。飯が食えても、仕事がリスペクトされても、家族と一緒に暮らせても、幸せになれない。幸せになりたいというより『ここは何処? 私は誰?』という疑問を抱えて宗教に関わってくる。この人達は流動性に耐えられないのです。『ブルセラ的-オウム的』という関係を両者に対応させると、『流動性サーフィン』ができるブルセラ的な内在系の人間は人畜無害なのに対し、流動性に耐えられずに、入れ替え不可能性を求め、全体性にアクセスしようとするオウム的な超越系はアブナイと。それが主題だったんですよ」。しかし、現実の進展は予測を裏切った。「やっぱり『流動性サーファー』なんて、ほとんど居ない。居たとしても少ない。続かないんですよ。結局、援交女子高生達の多くも、メンヘル系、おクスリ系になっていくという事実があり、『不純異性交遊マニュアル』にも書いたように、最もアクティブな『流動性サーファー』に見える連中も実はトラウマ系だったりして、結構、痛々しいわけです。遅くとも、98、9年、酒鬼薔薇聖斗事件のあとに『脱社会』ということを書き始めた時点では、『終わりなき日常を生きろ』はマズかったなと思うようになりました。当たり前ですけれど、『内在だけで自足できない奴は病気だ』という言い方は、ある種の気づきへと向けた、価値の逆転としては意味があるけど、実際の処方箋にはならない。内在だけで生きられない人間が大半だからです」。宮台は別の場所で、本来ならあくまで希望的観測ないし反実仮想であるべきものだったが、迂闊にもフィールドワークのリアリティに圧倒されてしまい、現状分析には間違いがなかったと思うが、将来予測を大きく勘違いした、と吐露している。

  ■「あえて」超越志向を擁護する

 社会進化の段階は、環節社会(部族社会)―階層社会―(機能)分化社会である。社会システム理論に従えば、原初的共同体では、「世界」と「社会」は未分化で、アニミズムやトーテミズムに見られるように、山でも鳥でも死者でも、「世界」の中のありとあらゆるものがコミュニケーション可能なものとして体験される。しかし、社会が複雑化すると、コミュニケーション可能なもの(人)とコミュニケーション不可能なもの(モノ)の区別が導入され、「世界」から「社会」が分出する。つまり、「社会」に算入されない「世界」の余剰部分――いわば「社会」の外――があると理解され始める。よって、「世界」とはありとあらゆるものの全体、「社会」とはコミュニケーション可能なものの全体だと言える。

 かつての高度な社会では、「世界」内での位置が宗教によって明確化された「社会」の中に、人が世俗的な位置を占めた。だが、宗教とは無関連な社会生活が一般的となった今日、「世界」内での「社会」の位置が不明なままなので、たとえ「社会」内で世俗的位置を得ても、「世界」内の位置が不明なまま放置される。

 宮台は言う。「フランクフルト学派に限らず近代社会自体が、『世界』と『社会』が癒合する段階から、『社会』と『世界』を区別した上で『社会』を志向する段階への移行を、『健全な人格発達』だと見なす。『内在』系が健全で、『超越』系は発達障害的な『社会』化不全なのだ」。そしてこう続ける。「過剰に流動的な『社会』で、自らの入替え可能性しか経験できない主体が、自らの入替え不能性を担保するべく『世界』を志向するのは、『個人化』(各人に異なる心が―入替え不能な心が―宿るという認識の一般化)を経験した社会ではむしろ自然ではないか」。機能分化を遂げた近代社会は、閾値を超えた過剰な流動性によって、入替え不能性への信念を揺るがし、「社会」の実りのなさについての感覚を拡げつつある。そのことで、「個人化」の基礎が掘り崩され始めた人々は、再び「世界」を要求し始めている――。宮台はそう語る。

 そして宮台は、行為系宗教でも体験系宗教でもない第三の道の可能性を指し示す。その道とは「(1)『社会』から『世界』への橋を渡った上で、(2)体験系宗教が究極の意味へと吸収して無害化しようとしてきた〝『世界』の根源的な未規定性〟へと自らを開き、(3)究極の意味の全てを〝『世界』の根源的な未規定性〟へと差し戻す、ということだ」。『サイファ』では、(3)を敷衍して「『名状しがたい、すごいもの』への感染に対する理論的再解釈で、『名状しがたい、すごいもの』への感染を他者によるブレイン・ウォッシング(洗脳)やマインド・コントロールに利用されないよう防波堤を築くこと」という倫理に言及している。

 「究極の意味」「名状しがたい、すごいもの」に関して、宮台はこう説明する。「『世界の未規定性』を、いわば一ヵ所に寄せ集めて、『世界』の中の特異点(特別な部分)として表象する。この特異点を社会システム理論では『サイファ』(暗号)と言います。これは、典型的には、『世界』の創造者としての『神』といった形をとりますが、その結果『神』だけが未規定性を一身に体現する代わりに――いわば毒を吸収する代わりに――、『世界』の残余(残りの部分)は未規定性を免れることになるわけです」。

  ■内発性は「世界の根源的未規定性」から湧き上る

 宮台はプラトンに言及して、こう述べる。「プラトン時代は急速に文字が大衆化した。ノリの悪かったプラトンは――贔屓目に言えばスパルタに負けて堕落するアテネを目にして統合的関心が強かった彼は――舞踊や朗誦へのシンクロのごとき文脈依存性を嫌い、文脈中立的なものを追求してイデア概念に至った。だが、そのプラトンが『ファイドロス』で引用する師匠ソクラテスは言う。《エジプト人は、書いたものを信頼して、ものを思い出すのに自分以外のものに彫りつけられた印によって外から思い出すようになる。自分で自分の力によって内から思い出すことをしなくなる》。ここでソクラテスはギリシア人(無文字人間)とエジプト人(文字人間)を対比している。前者は、自分の内から湧き出るものを信頼する『内発性ベース』の人間。後者は、自分の魂だけでは不安なので、外にある不変の真理を参照したがる『不安ベース』の人間である」。そして、初期ギリシア思想を語る。「強迫的な固執を拒絶し、ノリのよさを重視する初期ギリシア思想。神経質を拒絶し、何でもありを肯定する初期ギリシア思想。不安ベースを拒絶し、内発性ベースを重視する初期ギリシア思想。初期ギリシアでは、強迫的で神経質な不安ベースをもたらすエジプト的なもの(一神教的なもの)が意識的に拒絶され、出鱈目な神々が織りなすパンテオン(多神教的なもの)が肯定された。ギリシア人にとって前者が『依存』を意味し、後者が『自立』を意味したからである。自立こそはギリシア人の最高価値だ。真に自立したときにこそ、人は他なるものによって貫かれ得るとされた。人呼んで「伝統」や「共同性」に服するのでなく、むしろ自己決定的に振舞うときにこそ、伝統や共同性が――即ち他律が――顕現するのである」。

 超越神のごとき仮構された「特異点」に「依存」するのではなく、「世界の根源的未規定性」に開かれて「自立」すること。内発性はそこにおいて湧き上る。

  ■宮台真司は、雨宮処凛である他ない

 パンク右翼、雨宮処凛を追った、土屋豊監督のドキュメンタリー映画『新しい神様』には、雨宮の欠落感と過剰さがありありと映されている。この映画に対する各界人たちの「非政治的」な「自分探し」だという評に、宮台は異を唱える。「民族派右翼としての政治的『表現』活動が、自分探し――正確には自分消し(散華!)――に向けた『表出』行動であることを正確に『表現』する雨宮の語りは、むしろそのことで日本的政治性のアイロニーを、批評的に浮き彫りにするのだ」。「表出」は、表出主体のカタルシス(感情浄化)を引き起こしたかどうかで、成功したかどうかが判断される。他方、「表現」は、受け手が存在して、受け手が理解したかどうか、理解によって動機づけられたかどうかで、成功したかどうかが判断される。さて、日本的政治性のアイロニーとは何か。宮台は語る。「共同体的伝統が残る土壌では例外なく、政治行動は『表現』(イデオロギー)よりも『表出』(情念)が優位しがちになる。例えば日本では、左右のイデオロギーを超え、『意気に感じる』形でテロの連鎖が起こりがちだ」。宮台は、民族派右翼の一水会元代表、鈴木邦男の「真の右翼とは『情念の連鎖』(を支えるプラットフォームの護持)に連なる者だ」との言に触れ、こう言う。「鈴木さんは、よど号ハイジャック事件(70)で『意気に感じた』三島由紀夫が自決事件を起こし、それで『意気に感じた』党派に属さぬ個人の集団が三菱重工爆破事件(天皇御用列車爆破未遂事件)を起こし、それで『意気に感じた』野村秋介が経団連会館襲撃事件(77)を起こしたことに、『情念の連鎖』を見出します」。宮台は、雨宮が体現する日本的政治性を語る。「《何でこんなに洗脳されやすいんだろう。洗脳されたがっているんだ、私は》と語る雨宮処凛は、天皇主義イデオロギーという『表現』の次元でなく、イデオロギーとは無関係に次々とスゴイものに感染するという『表出』の次元において、日本性を見事に証している。『表出の根』に身を委ねるものこそ、保守主義者と区別される真正右翼だ。してみれば、イデオロギー(表現次元)よりも個人的実存(表出次元)が優位する雨宮処凛を描くがゆえにこの映画を『非政治的』な『青春映画』だとするのは、日本的政治性への無知を晒す。《私はからっぽで、何もなくて》と語る雨宮処凛が、《自分にそんな資格はない》(保田與重郎的に言えば『恥ずかしき存在』だ)と自己を告発しつつ、『政治的メッセージを絶叫するスゴイ者たち』に連なり、自らも『政治的メッセージを絶叫するスゴイ者』となる。しかも雨宮処凛は、自分が連なろうとする『政治的メッセージを絶叫するスゴイ者たち』もまた、自分と瓜二つの『恥ずかしき存在』たることを知っている。『恥ずかしき者』が『恥ずかしき者』に連なる『表出の玉突き』を徹底して自覚する」。そして宮台は、ひるがえって自分を語る。「学部時代にテロリスト的『極左』思想家・廣松渉に憑依され、大学院時代にテロリスト的『極右』思想家・小室直樹に憑依された、単なるテレクラマニア・スワッピングマニアに過ぎない宮台真司が、雨宮処凛である他ないことは、徹底的に確認された」。

  ■三島由紀夫はマッドかクレバーか

 宮台はその三島由紀夫論「おかしさに色彩られた悲しくも崇高なバラード」で、三島の時代批評はあまりに陳腐で滑稽だ、と言う。「三島の時代批評は全て例外なく『AでなくB』という図式で書かれていて、それを意識すると異様に分かりやすい。そうした分かりやす過ぎる(=陳腐な)思考によって一流の作家が自死に至るとはどういうことか、と同時代人たちは考えてしまうわけです。宗教学の言葉では、その否定の図式は『内在でなく超越』と纏められます。分かりやすい実存のレベルでは、『女でなく男』『迷いでなく決断』『どう生きるかでなく死ぬか』『単なる生でなくどんな生』『福祉でなく精神』『無意味な生でなく意味ある死』『文でなく文武(死を賭けた物言い)』となる。抽象度を上げると『政治でなく文化』『強制でなく自発』『制度でなく実存』『客観でなく主観』『論理でなく情念』『合理でなく不合理』『可能性でなく不可能性』『古典主義でなくロマン主義』『効果でなく無効』『表現でなく表出』『破壊でなく護持』『革命でなく維新』といった具合になる。最も抽象的な水準では『部分でなく全体』『切断でなく連続』『忘却でなく気づき』『相対でなく絶対』『単なる相対主義でなく絶対を求める者の相対主義(唯識)』『文化主義でなく文化』『入替え可能性でなく入替え不能性』といった具合です。とりわけ天皇がらみになると、『天皇制でなく天皇』『天皇個人でなく天皇が示す連続性(全体性)』『人格でなく非人格としての天皇』『人間宣言以降でなく人間宣言以前の天皇』『明治以降でなく明治以前の(国学的な)天皇』といった具合になっています」。宮台は、三島の戦後日本社会への苛立ちは「文化的形象の全てが『内在』――便利さや快適さといった入替え可能な属性(実数性)――へと堕落し、『超越』――モノの属性には還元できない入替え不可能な全体性(虚数性)を失ったこと」へと向けられていた、と指摘する。しかし、それは三島の戦後日本社会への不適応の問題ではないのか。また、三島の単なる全体性への個人的妄想ではないのか。心理システムの問題を社会システムに無自覚に投射するがごとき三島の振る舞いに、宮台はこう述べる。「『オレの思い込みと同じようにオマエらも思い込め』と叫んだ途端、近代的他害原則違反という以前に、政治感覚や社会感覚のどうしようもない欠如を感じさせます」。

 だが、三島の滑稽さを笑うだけでは済まない問題がある。三島は東大全共闘との討論集会で「天皇と諸君が一言、言ってくれれば、私は喜んで諸君と手をつなぐ」と言った。近代化により、日本が何とでも入替え可能な透明な場所になることに抗って、「天皇」を持ち出す三島。『サイファ』で、宮台が語る「天皇ロマン主義」について、対談相手の速水由紀子は「天皇じゃなくてもいいんじゃないですか」と反論する。三島=宮台の答えは「イエス・アンド・ノー」だ。「(三島の)『文化概念としての天皇』などという言い方そのものが極めて近代主義的=機能主義的で、ハナから不敬な響きがあることに皆さんお気づきでしょう。でも、三島がこの概念を持ち出したのは、僕たちが近代主義=機能主義に従っているだけでは喩えて言うなら『透明な存在』になってしまうからです。近代主義=機能主義を徹底することで『透明な存在』とならないためには、一定の機能的な装置が必要で、それが文化概念としての天皇だと言う。でも、これは機能的な装置ですから、『僕たちの入れ替え不可能性を担保するものなら、天皇でも何でもいい』というニュアンスになる。この言い方は、罠です。言い方を額面通りに受け取って、『そうか、天皇的な文化装置が必要なんだな』と考えた時点で、やはり入れ替え可能性という意味で、天皇を『透明な存在』にしてしまうからです。これは論理的な問題ですよ。すると、ほら、もうお分かりでしょう。まさしく論理的に言って、文化概念あるいは機能的装置としての天皇制うんぬんという話を超えて、どこかで『暴力的な具体』が出て来る必要があるんです。三島の場合はそれが現に出てきたわけ。で、みんな引いてしまったわけですよ。でも、この飛躍というか暴力性は、彼の頭の悪さではなく、頭の良さの表れという他はない。すなわち、三島が、一方でモダニスト(近代主義者)でありつつ、他方で行動主義という形で昭和天皇という具体への帰依を示すのは、僕から見ると、完全に論理的に一貫している。つまり、飛躍こそが論理的必然なんです」。

 宮台の師匠、小室直樹は「宮台君、天皇はスゴイと思いませんか?」と訊いたことがあった。宮台は「いいえ、思いません」と答えた。小室は、天皇がどうスゴイのか理由を説明しようとはしなかった。論理的必然だ。

  ■近代には近代で抗う

 亜細亜主義の大御所、岡倉天心は、アメリカでも一貫して羽織袴で通した。しかし、彼を真似しようとする弟子たちに、こう一喝するのが常だった。すなわち、英語に完璧に堪能となり、アメリカの文物に誰よりも詳しくなった後、そうするならばよい。さもなくば、近代を理解しえぬ者の劣等感の表れと見なされるだろうと。近代を徹底して理解しうる者のみが、正々堂々自らのスタイルを主張できるのだと。

 冷戦体制の終焉で起こったアメリカン・グローバライゼーションには、三つの側面がある、と宮台は言う。第一は「軍事力一極集中化」、第二は「高度情報社会化」、第三は「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフの浸透」。帝国主義的侵略に基づく経済覇権の追求としてのグローバリズムとは異なり、90年代以降のグローバリズム=グローバライゼーションは自発的服従をもたらす、と宮台は指摘する。「私たちは便利な生活を送りたいと願います。衛生的で合理的な生活を送りたいと思います。すると、自ら進んでアメリカン・ウェイ・オブ・ライフの枠組を受け入れるようになります。地元にはマクドができ、ケンタができ、セブンができ、気が付くと街並みからはローカリティが失われ、どことも入れ替え可能な風景が出来上がり、私たちは愕然とします。第三の生活のコンビニエンス(便利さ)を追求すると、第二の高度情報社会化は必然です。アメリカは冷戦体制崩壊前からそれを見据え、高度情報社会化の中核的ライセンスの大半を獲得した。この優位性が、第一の軍事力一極集中化と結びつきます。コンビニエントな生活は、どこの国の民衆も望んでいます。高度情報社会化は、どこの国の政府も社会的効率性の要として待望しています。軍事力一極集中化を背景にしたアメリカの政治力は、印パ紛争においてもパレスチナ紛争においても、むしろ当事者たちからこそ待望される状況になっています」。

 亜細亜主義には三つの本義があると宮台は言う。第一が、徹底的に近代化しないと欧米列強に屠られてしまう(解放の義)。第二が、単に近代化するのみでは列強に服従し且つ入替え可能な場所となる(護持の義)。第三が、そうならないように軍事・経済・文化的なブロック化を図れ(阻止の義)。これをシンプルにパラフレーズすると、(一)近代化徹底の必要を主張し、(二)単に近代化するのみでは問題が生じることを主張し、(三)問題回避のための各国連携を主張する、となる。

 宮台は亜細亜主義について語る。「亜細亜主義とは簡単に言うと、『近代を反近代によって否定するような愚劣な営みをやめ、近代の力を使って近代の限界を克服する』発想です。そして、近代の限界の克服とは、近代の過剰な流動性――何もかも入替え可能にしてしまうような流動性――に抗って、近代の道具を使ってコミュナルな多様性を護持せんとすることを意味します。近代のもたらしうる過剰流動性の不利益を、近代の思想と技術を用いて防遏せんとする思想。これこそが亜細亜主義の本義です」。グローバライゼーションというアメリカ的近代主義の徹底に対して、亜細亜主義という日本的近代主義の徹底をもって抗う。アイロニカルな戦略である。

 ただし、宮台は、不合理性を温存する非流動性と、合理性を温存する非流動性があるので、それを峻別するべきだと言う。既得権益を不合理に温存する規制は、これを撤廃しなければならない。しかし、地域共同体を守るような規制は合理性があるので、これを護持しなければならない、と主張する。

 「女子高生擁護」から「グローバライゼーション批判」へのシフト、それに伴う「流動性推奨」から「流動性批判」へのシフトの意味が、ここにおいて明らかとなる。

 ちなみに、宮台は2004年のインタビューで、「天皇」「亜細亜主義」を持ち出す意図について「一回、誤解してもらって、それもかなり激しい誤解をしてもらって、打ち消すという振る舞いを通じて学んでもらうのが良いんじゃないかと、僕は今、思ってます」と答えている。

 僕はこの発言で、ドラマ『探偵物語』の工藤俊作のセリフを思い出す。「人間ってのはさ、冗談なんだか本気なんだか分かんない、ギリギリのところで生きてるんじゃないかしら」。宮台の繰り出す「ネタ/ベタ」のあわいを行きたいと思う。

  ■ミメーシス

 マイケル・ウィンターボトム監督『ウェルカム・トゥ・サラエボ』は、戦下のサラエボを取材するイギリス人ジャーナリストが、たまたま、雨あられと砲弾の降る下で死体処理をする年端もゆかぬ少年司祭を目撃したのをきっかけに、孤児を集めてイギリス本国に送り、命を助けようとする、という映画だ。日本の評論のほとんどが「激烈な状況で苦しむ子供達を見たジャーナリストがヒューマニズムに目覚めて」と書いているが、それは違うと宮台は言う。「ヒューマニズムというものがあり、それに従って人々が動くということがあるとしましょう。でも、ヒューマニズムが重要だという価値判断そのものは、ヒューマニズムの中には書き込めないのです。ヒューマニズムは重要だというある価値的な選択はいつも超越的なんです。超越的な支えなしに、ヒューマニズムなるものを安定させるとか、社会に拡げることが出来るなどと考えるのは、私に言わせればただのバカです。それは論理的にありえない」。死体処理をする少年司祭という「名状しがたい、すごいもの」に触れたイギリス人ジャーナリストに未規定な「世界」が開け、「ミメーシス(感染的模倣)」が生じた。それを宮台は「宗教の発生」と呼ぶ。

 宮台との対談で、「ミメーシス」をめぐって社会学者の大澤真幸は、イエスが語った「善きサマリア人の喩え」を持ち出す。「イエスを面白く思っていない律法学者が、イエスをやり込めようとして問います。あなたは隣人を愛せよと言うが、隣人とは誰のことか、と。これに対して有名な喩え話でイエスは答えます。エルサレムからエリコへ向かう道の途中に、ある人が、強盗に遭い半殺しの目にあって路端に倒れている。そこへまずユダヤ人の祭司が通りかかります。彼は道の反対側へよけてとおる。次にユダヤ社会ではかなり高い地位にいた集団であるレビ人が通りかかります。彼も道をよけて通る。最後にサマリア人が通りかかる。サマリア人というのはユダヤ社会の中で差別を受け冷遇されている階層です。このサマリア人は、倒れている人を介抱し、宿屋へ連れて行って、宿代も支払ってあげます。そしてそこを発つときには宿の主人にお金を渡して、この人を世話してやって欲しい、もしこのお金で足りなかったら帰りに寄ったときに必ず不足分を支払うからと言う。イエスは言います。このなかで隣人とは誰のことか、と。強盗に襲われた人にとっての隣人とは誰か、と。答えははっきりしています。この善きサマリア人です」。宮台はこれに対し、日常というよりは非日常的な時空で「感染」が起こることは間違いなく、非日常的な時空にはフックとして機能する何がしかの現前性(ライブリネス)がつきもので、サマリア人が行き倒れた人に「感染」したのではなく、行き倒れた人を現前的なフックとして非日常的な時空(場合によって変性意識状態)が開かれることを述べている、と答える。

 宮台はイエスの「復活」に言及して語る。「神学者の八木誠一氏は、実存神学ないし実存論的神学理解の流れを汲み、『復活』の概念はいったんは逃亡離散した十二使徒らが、とりわけイエス磔刑の過程で目撃したイエスの振舞いの不可能性をリマインドし、感染したことを意味すると述べます。一度は逃亡した保身的だったはずの弟子たちが帰還した。その帰還理由を与えるのが『復活』だというのです。具体的には『共同体を超えた不可能な存在を目の当たりにして、感染し、翻身したのだ』ということです。それが八木さんの主張ですね。あり得ないほど共同体的な存在がミメーシス(感染的模倣)を起こすのと同様、あり得ないほど脱共同体的な存在もミメーシスを起こすのです。イエスが『復活』を通じて切り開くコスモポリタニズム(世界宗教!)はストア派のそれと全く違います。ここでは近接性の引力を脱するためにこそ近接性が要求されています。思索ではありません。『神とは違って』イエスを近くに感じること、存在不可能な人間が隣に現に存在することが、人をして、ありそうもない脱共同体的存在へと成長させます」。

 宮台は『14歳からの社会学』で、学習動機を三つ挙げている。一つ目は「競争動機」(勝つ喜び)。二つ目は「理解動機」(わかる喜び)。そして三つ目が「感染動機」だ。「直感で『スゴイ』と思う人がいて、その人のそばに行くと『感染』してしまい、身ぶりや手ぶりやしゃべり方までまねしてしまう――そうやって学んだことが一番身になるとぼくは思う」。

 「スゴイもの」とは一体何であるのか。それは「世界」の訪れの中で感得される。

  ■僕からS君へ

 宮台の「三人の師匠」のうちのひとり、見田宗介は、実存やアイデンティティに関わる「ソフトな問題」を語るための前提として、社会や環境に関わる「ハードな問題」を語る『現代社会の理論』を書いた。宮台ファン、S君の「そこそこ楽しい。でも無意味だ」という「生きづらさ」に向けて、総論として『サイファ』があり、そこから「ソフトな問題」を語る映画批評集『絶望 断念 福音 映画』『〈世界〉はそもそもデタラメである』のラインと、「ハードな問題」を語る『亜細亜主義の顛末に学べ』のラインに分岐した。しかし、「ソフトな問題/ハードな問題」という区分は便宜的で、緊密に絡まった問題系の異なる表出なのだ。僕はそう思う。宮台はつねに、政治を語りながら性愛を語り、社会を語りながら実存を語るからだ。

 それにしても、僕は残念でならない。同じ宮台真司に感染したファンとして、是非ともS君と話をしたかった。宮台ネタで盛り上がれただろうし、スクールカウンセラーに興味があったようだから、僕も心理学を学んでいるので、臨床心理学やカウンセリング心理学の話で盛り上がれたかもしれない。

 そして、強く思うのは、S君がいなくなった後の宮台の言説や活動を、S君が知ったらどう思うだろうか、ということだ。そして、それについて徹底的に語り合った後、僕たちはどうするのか、だ。

「(1)誰かに『感染』して乗り移られたあと、(2)徹底的にその人の視点から理解し、(3)やがて卒業して今度は別の誰かに『感染』する――。(1)→(2)→(3)を数回くり返せば、そのときにはすでに君自身が、誰かから『感染』してもらえる価値を持つようになっているだろう」。


  (引用・参考文献、HP等)

 宮台真司、石原英樹、大塚明子『サブカルチャー神話解体 少女・音楽・マンガ・性の30年とコミュニケーションの現在』PARCO出版局、1993年。

 宮台真司『制服少女たちの選択』講談社、1994年。『まぼろしの郊外 成熟社会を生きる若者たちの行方』朝日新聞社、1997年。『終わりなき日常を生きろ オウム完全克服マニュアル』ちくま文庫、1998年。『野獣系でいこう!!』朝日新聞社、1999年a。

 藤井誠二、宮台真司『美しき少年の理由なき自殺』メディアファクトリー、1999年b。

 宮台真司『世紀末の作法 終ワリナキ日常ヲ生キル知恵』角川文庫、2000年a。『自由な新世紀・不自由なあなた』メディアファクトリー、2000年b。

 宮台真司、速水由紀子『サイファ覚醒せよ! 世界の新解読バイブル』筑摩書房、2000年c。

 宮台真司インタビュー「歴史を忘却する装置としての象徴天皇制」、『新現実 Vol.2』角川書店、2003年。

 宮台真司『絶望 断念 福音 映画――「社会」から「世界」への架け橋(オン・ザ・ブリッジ)』メディアファクトリー、2004年a。『亜細亜主義の顛末に学べ 宮台真司の反グローバライゼーション・ガイダンス』実践社、2004年b。『宮台真司interviews』世界書院、2005年。『宮台真司ダイアローグズⅠ』イプシロン出版企画、2006年。『14歳からの社会学 これからの社会を生きる君に』世界文化社、2008年a。『〈世界〉はそもそもデタラメである』メディアファクトリー、2008年b。

 『大澤真幸 THINKING「O」』第8号、特集「『正義』について論じます」左右社、2010年。

「おかしさに色彩られた悲しくも崇高なバラード」(前・後編)、『MIYADAI.com Blog』:http://www.miyadai.com/index.php?itemid=83 http://www.miyadai.com/index.php?itemid=84

「連載・社会学入門 第一八、一九回:宗教システムとは何か」(上・下):http://www.miyadai.com/index.php?itemid=177&catid=7 http://www.miyadai.com/index.php?itemid=189&catid=7

  (映画)

 土屋豊監督『新しい神様』日本、1999年。

 マイケル・ウィンターボトム監督『ウェルカム・トゥ・サラエボ』イギリス・アメリカ、1997年。

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