見出し画像

因果は(わりとはやく)めぐる

今日は自分の底の浅さというか、年がいのなさが露呈する、恥ずかしい話をひとつ。(なので、後日この記事は消してしまうかもしれません)

さて今日の午後は、金曜土曜と早寝をして体力が回復したこともあり、天気も良いので神田明神へお参りに行ってきました。
一年ちょっとぶりの参拝でしたので、とても楽しみな気持ちで神社へ向かいました。

神社でのお参りのとき、私はけっこう長々と手を合わせるほうです。
柏手を打ってから神拝詞を小声で呟き、住所と名前を心の中で名乗り、それからこれまでのお礼とお祈り… となると、どうしても長くなりがちです。

なので、後ろの人が私を追い越してお参りできるように、いつも賽銭箱の端のあたりに立つことにしています。

端に立っていても、自宅近くの神社のようにお参りの人数が少ないところではみなさん律儀に並んで待ってくださるので気が引けますが、神田明神のように参拝者の多いところだと適当に追い越してもらえるので、安心して(?)お参りしています。

しかし今日は違いました。
いつものように手を合わせていたら「長えな」という呟きが聞こえます。
ん? と思いながらも、お参りを続けていると、「長えな、いつまでやってんだよ」と。
あ、やっぱり私のことか…
とたんに気が気ではなくなり、途中でお参りを切り上げました。 
二礼をしてその場を離れるとき、うしろを振り向いて「失礼しました」といちおう声をかけると、その男性はダメ押しのように「長いんだよ」と。

………

さすがにショックでした。
このようにまともに苛立ちをぶつけられたことは初めてです。
しかも自分の好きな神社で、一年ぶりの参拝で。
おかげでそのあとはすべて上の空になってしまいました。(それでもちゃんとお守りも買いましたし、甘酒も飲みましたが)

胸筋が立派な、迫力ある狛犬

拝殿前のベンチに座り込んで、やたらと逞しい狛犬を眺めながら「なんでこんなことが起きたのかな」と落ち込んでいると…

思い当たりました。

つい最近、似たようなことを自分自身が仕事でやらかしていたのです。


海外の支店に、毎年この年度末の時期だけ、やりとりの発生する相手がいます。
先週のこと、彼は予定よりひと月以上も早く、私たちへの事前連絡もなしに案件を進めてしまいました。おかげで、東京側では受け入れ作業に予定外の労力を要しました。

海外支店の彼はこの案件を何年も担当していて勝手がわかっているはずだし、いつものように事前に段取りもすりあわせてありました。
今年も無事に進むものと安心しきっていたので、急いで処理しなければいけないという焦りの中、私は怒りも覚えていました。

なんのためにスケジュールを決めてあるのか、
早く実行するならするで、どうしてひと言連絡をくれないのか。

東京側での処理を完了させるため、彼に追加書類を依頼したメールで、私は「事前連絡なしで進めることは厳に慎んでほしい」と注意しました。
これ自体は正当な要求だったと思っていますが、
しかしおそらく言葉がきつかった…
彼からは金曜日の夜になっても、なんの返事も来ませんでした。

苦手な英語でのメールだから、ということを差し引いても、いえ、苦手な英語だからこそ、私はもっと落ち着いて丁寧に書くべきだった。

もしかしたら彼自身は「はやめに処理してあげよう」と善意でやったのかもしれない。
それなのに、私からガコガコの英語で厳しく注意されるなんて、彼のほうも驚いて、きっと腹が立ったことでしょう…


神さまは人の口を借りて、私たちに気づきを促すと言います。

であるならば、私は今日、見ず知らずの人から苛立ちをぶつけられることで、この間、自分が「はやく処理を完了させないと」という焦りのままに彼に苛立ちをぶつけた、その未熟な行いを反省するようにと、神さまから指摘されたのでしょう。

自分の好きな神社で起きたのも、意味のあることだったと思っています。
これがたまに行くだけの神社などで起きたとしたら「ここの神さまと相性悪いのかも」と流してしまって、自分の行いを深く省みもしなかったでしょう。

ということで、先週の自分の無配慮の報いを、同じ週のうちに受けたという話でした。因果のめぐりのはやさにびっくりです。

ほんとうに、言葉の使い方には気をつけないといけませんね。
あまりに基本的なことですが、改めて胸に刻むことにします。
この週末の間に、私が彼の心につけてしまった傷が和らいでいることを祈るばかりです。

拝殿の裏手では、白木蓮が咲いていました。
(辛夷じゃないですよね? 見分けがつかない。笑)

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?