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ものがたり) 夢路にて#2

 ガス燈が照らす街路は、もう人影もまばらだった。深夜に近い大通りには、汐見と冬月とうげつを乗せた車のほかに、走っている車はほとんどない。
 後部座席で汐見はさきほど終わったばかりの夜会のことを、というよりは、冬月の舞台のことを思い返していた。
 汐見家の客館で行われた今夜の舞台は成功だった。
 叔母の千津子をはじめ、女性客たちは冬月の姿を見ただけで狂喜していたし、芝居好きの財界人はもちろんのこと、さして興味のなさそうだったお歴々も、気がつけば冬月の優美な所作に釘づけになっていた。すべての演目が終わった時には割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こり、「冬月!」「太夫!」と興奮した掛け声までかかって、まるで篠乃井ささのい座にいるかのような錯覚を抱いたほどだった。
 今日の夜会は、この春、数年ぶりに帝都へ戻ってきた汐見の叔父・滋良しげよしの帰京祝いであった。
 先代の汐見子爵が思いがけない若さで世を去ったあと、甥である幼い当主を後見して一族を支えてきた滋良は、世間からは事実上の汐見”子爵“として遇され、自身もそのように振る舞ってきたのだったが、先代に比べれば政財界や中央官界とのつながりは薄かった。軍事氏族である汐見の人間としては当然のことながら、軍隊優先の日常を送っていたからであり、また、この数年は帝国内全師団の巡察で帝都を留守にしていたためでもあった。
 「大乱」と呼ばれる皇統統一の内戦が天珠院てんしゅいん系の皇統の勝利をもって終わったのは、先代や滋良が生まれたか生まれないかのころ、汐見の祖父がまだ20代の若者だったころのことだった。統一が成ったとはいえ、数百年にわたって相争ってきた天珠院・静寧院じょうねいいん龍源院りょうげんいんの鼎立状態が一朝一夕に収まるはずもなく、乱の終結後も静寧院・龍源院両系の残存勢力による策動は続いた。それを完全に葬り去ったのが十年前の掃討戦だった。
 今上帝の命を奉じて行われた今回の全国巡察は、掃討戦以降、着実に増強されてきた国軍整備の総仕上げであり、滋良は軍監長として、静寧院・龍源院の旧領に置かれた師団では特に念入りに、時間をかけて訓練を行った。いまでは静寧院・龍源院両系のことは噂にも聞かれなくなったが、もしいまだに旧勢力がどこかに存在していたとしても、もはや敵たり得ないと言えるだろう。
 そのような中での帝都への帰還である。そして、帰京と同時に、滋良は帝都を管轄する第一師団長に親補された。
 掃討戦の当時、部隊を率いて各地を転戦し続け、静寧院・龍源院両軍との激しい戦闘を生き抜いてきた滋良にとって、この夜会はある意味、遅ればせながらの凱旋祝いでもあり、改めて帝都の政財界に人脈を得るためのお披露目の場でもあった。師団長の軍装をした滋良の胸元には、巡察の功を労って今上帝が手ずから下賜した勲章が誇らしげに輝いていた。
 しかしあの分では、滋良の存在はだいぶ霞んでしまったに違いない。
 目論見どおりだ。冬月の舞台の間じゅうずっと、眉を寄せて杯を重ねていた叔父の様子を思い出しながら、汐見は窓の外に目をやった。


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