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ものがたり) 夢路にて#5

 汐見が先代子爵の遺言に従って留学に出立したのは、士官学校を卒業して間もない夏のことだった。
 三年ほど前に勃発した掃討戦は終わる兆しもなく、帝都はまだおおかた無事であったが、攻撃を受けて焼け落ちた建物があちこちで目につくようになってきていた。
 士官学校生は、卒業すれば見習士官として各地の部隊に配属されるものと決まっている。在学中も演習と称して後方支援に駆り出され、さらには実戦にまで投入されてきた。士官候補生ともなれば、今の戦況では前線への配属は確実だ。
 まして汐見は帝室ー天珠院てんしゅいん系の皇統を守る武門の家の当主である。先頭に立って戦うどころか留学だなど、いくら先代の遺言とはいえ本来なら許されることではない。敵前逃亡ではないのかと、一族の中からさえも批判の声が上がった。
 だが今上帝からは特別の御沙汰があった。最新の兵制を学んでくるようにとの仰せとともに、国外総追討使の印綬と節刀まで授かったのだった。  
 総追討使は武門に与えられる由緒ある官職だが、「国外」総追討使など、これまで存在したこともない。汐見の祖父・元帥侯爵が帝を言いくるめたのだろうことは明らかだった。それでも、総追討使の肩書は軍事氏族の長たるに相応しく、一族の面目もどうにか保つことができた。
 やがて龍源院りょうげんいん系が帝室に取り込まれ、抵抗を続けていた静寧院じょうねいいん系の拠点も次第次第に制圧されて国内全土が平穏を取り戻した頃、呼び返されて帰朝した汐見は、内務省への出仕を願い出た。
 帰国後は今度こそ軍務に就くもの、と思っていた一族からはまた激しい反発が巻き起こったが、汐見は意に介さなかった。
 軍人であろうとなかろうと。
 汐見の当主である以上、誰にも負けることなくこの人生を生ききらねばならない。
 そのための留学、そのための官職なのだ。
 留学の御礼言上に参内する前日、今後は内務省に職を得たいと告げたとき、叔父・滋良しげよしは汐見を怒鳴りつけた。祖父は表情を変えることなく、黙ってなにごとか考え続けていたが、最後には頷いた。
 汐見一族の重要事項の最終的な決定権は祖父にある。
 長年、汐見を後見してきた叔父であっても、祖父の決断を覆すことはできない。滋良は苦虫を噛みつぶしたような顔で引き下がり、一族の者たちも元帥侯爵が承諾したと聞いて不承不承従った。
 以来何年かが過ぎだが、汐見はまだやっと綜合企画院という箱を創り出したばかりだった。
 祖父が生きている間に自分はどこまでいけるだろう。
 元帥侯爵ー汐見誉滋たかしげ
 先帝の絶大な信頼と厚い庇護とを一身に集めた、先々代の汐見子爵。
 先帝は祖父に、元帥の称号を与えた。皇族のみに許される称号で、臣下で元帥となった者はこの国の歴史上、祖父のほかにはいない。そればかりでなく、先帝は次々と屋敷地や邸宅を与え贅沢な品を下賜し、特別に侯爵位も授け、御名の一字まで賜った。
 元帥侯爵の権威には、先帝亡き今でも誰も逆らえない。
 だがその威光もいつかはかげる。
 御代がわりして世代が移り時が過ぎれば、人の心も変わっていくのだ。
 元帥侯爵の存在に守られてきた汐見一族に、自分に、いつどんなこと起きるとも知れない。
 けれど。
 この先なにが起きても。どのような闘いのなかに身を置くことになったとしても。
 勝ち抜いていくだけだ。
 願わくば、淡々と軽やかに。風のように。


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