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ものがたり) 夢路にて#4

 「今日も篠乃井ささのい座ですか」
 綜合企画院の正面玄関につけた車に乗り込むと、助手席から執事の奈倉が汐見に尋ねた。さりげなく聞いたつもりなのだろうが、運転席の鏡越しに、への字に曲がった口元が見える。
 夜に公用がある日は綜企院が車を用意するが、そうでない日は汐見家が迎えの車をよこすことになっている。予定はとうに伝えてあるのだ、今夜の行き先など、改めて確認するまでもない。
 「ああ、そうだ、篠乃井座に回してくれ」
 奈倉の不満には気づかないふりで告げるとはたして、奈倉は黒縁眼鏡の奥の目をすうっと細め、気持ちを落ち着けようというのか、細く長く息を吐いた。
 聞いても自分が不愉快になるだけの答えを、なぜわざわざ聞きたいのだろう。
 汐見は可笑しさを禁じ得ず、ふ、と息を漏らした。

 綜企院を出た車は重厚な洋風建築の庁舎が立ち並ぶ官庁街を抜けて、帝都一の繁華街・流星街りゅうせいがいにさしかかろうとしていた。
 篠乃井座へはここを通るのが近道ではあったが、宵の口には四方から集まる車でひどく混み合う。案の定、汐見の車も渋滞に巻き込まれ、動きを止めた。
 「この時間にこの道は使うなと、この間注意したばかりじゃないか」
 奈倉が運転手に小言を言う。
 汐見は窓枠に頬杖をついた。ひとつ、またひとつと街路燈に明かりが点り、夕暮れの街が華やかに変貌しはじめる。
 流星街を東西に貫く舗装道路は、前も後ろも向かいの車線も車で埋まっていた。近年は自家用車を持つ者が飛躍的に増えてきているが、この国ではまだ、車は贅沢な輸入品だ。乗っている者たちもそれなりに整った身なりをしているのが見てとれる。
 柳の揺れる歩道に目を転じれば瀟洒な店が軒を連ね、窓を大きく開け放った西洋料理店からはしっとりとした異国の音楽が聞こえ、舶来品を扱う店では飾り窓の中で最新流行の衣服や装飾品が眩しい照明にきらめいて、道ゆく人が時折り足を止めて見入っている。
 西欧の街角のような光景には、かつての掃討戦の影などどこにも見受けられない。
 ましてそれよりも昔の皇統統一の大乱など、どこか遠い国の物語のようにさえ感じられる。
 汐見は背もたれに深く体を沈めた。
 気配を察して奈倉が声をかけた。
 「おつかれのようですね」
 先ほどの不服そうな口調は消えていた。
 人に様子を探られるのは好きではない。汐見は黙って、ただ目を閉じた。


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