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辻村深月「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ」読後感


「息子と娘を育てていて、息子が泣きじゃくっていてもカワイイで済むのに、娘が泣いていると何となく腹が立つ。」
これは最近、子育て中の友人から聞いた言葉。
それくらい、「母親と娘」という関係性には、家族とは少し異なる感情が、どこの家にもあるのではないかと思う。

湊かなえ「母性」でも同じようなことを思った。
本作の、特にみずほと母の関係にも同じようなものを見たように思う。

そして私自身にも。
みずほの「ピアノの部屋」程ではないが、幼少期、母から特殊な嫌がらせ?八つ当たりを受けていた記憶はこびりついて離れない。
遠足や修学旅行、文化祭などの学校行事の前日。必ず何か理由をつけて長時間の説教をされる。何時間も何時間も、正座で責められ、世の中の理を説かれる時間があった。当時はそれを不満に思うこともなかった。大人になるにつれそれは反骨心に変わり、「この非合理的な時間を消費させる大人をいつか見返してやる」と心に決めていた。


ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。
暗証番号というのは、本人にとって特別な意味を持つ数字であることが多い。
以前訳あって、病に臥した兄の設定した暗証番号を紐解かねばならない事があり、いくつかの番号を試し兄の娘の誕生日を入力してロックが解除された時、涙が溢れた。

以下、目に留まったキーワード備忘。

「光はどこから差し始め、どこから奪われていくのか。生まれたときに既に平等でないのだというのは承知の上で、それでも疑問に思う。差がつくのは、どこからか。」

「離れた男の問題は、彼と無縁な人たちと過ごす時間の中でしか解決しない。誰かにないがしろにされた記憶、傷つけられた心は、それを知らない人たちが思いがけずに癒してくれることが多い。チエミはそれを、どの程度うまくできただろう。考えると、痛々しく、つらい時間だった。」

「自分自身の下腹部に手をあてる。数日後には処置される私の子供。また、宿ることがあるかどうかもわからない子供。それは、母との関係を見つめ直す機会にすらなり得たかもしれないのに、私は失う。」


何度でも言うが、辻村深月さんの作品には、いつも本当に心を揺さぶられる。
まるで自分の心を洞察されているかのような、沁み渡る表現。自分が一生をかけても気付かなかったり、表現できなかったであろうことが書き連ねてある。
毎回自己分析をさせてもらっているような感覚です。

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