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重すぎる”育てる責任”がひとりに乗っかるとき

参画する会社の役員のかたが旅立たれました。

どうも言葉にならなくて、ままならず、でもどうしても残しておきたくて。

その方との一番の思い出は、海外ビジネスインターンの最終発表の後のこと。帰り際、日本に向けた空港の搭乗口で、最終搭乗のアナウンス直前まで続いた面談でした。

「めいちゃんのチームは中間発表までは素晴らしかった。けれど、途中でばらけた。崩れるきっかけを、めいちゃんの持つ”しんどさ”が作ったような気がするんだよ。」

インターンの終盤にかけて、(せっかく行くんだから)と負荷をかけ「このプログラムが無事終わって、チームやみんなが喜びさえすればいいか。ボロボロになろうが、哀しかろうが嬉しかろうが、まぁ、なんでもいいや。」と思う時間が増えていた時。

「あなたは、ほんらいは。茶目っ気があってで大らかな人でしょう。その姿を、研修期間にまったく見なかったんだよ。
成果や人を優先して、自分を脇において。そのずれた”しんどさ”が、チームの力を出させなかったんじゃないか?」

帰国ギリギリで声をかけ、励ますでも批判するでもなく、時間いっぱいに諭してくれました。

わたしにとって故人は、そういうひとでした。

他の参加者の追悼のコメントを見ていても、誰もの親のようで。おそらく多くの人が人生で体験してこなかった深さと真剣さで対峙し続けていたようなのでした。

それなのになぜ、亡くなる必要があったんだろうか?

そのことを見つめると、故人の背景、つまり多くの大人が背負えなかった”育てる責任”の山が現れてきたのです。

多くの親や先生は、子どもに真剣に対峙する時間がない。日々の仕事や住宅ローン、報告業務が多く詰め込み型の学校教育、、様々なシステムの圧力に全ての人が飲み込まれ。中心にいるはずの子どもの”今”に、向き合いかかわり合う人がいないのです。

渦巻く感情や事情を飲み込んで耐え、成長不全の若者が大量にいるのです。

親が、先輩が、先生が、上司が、自分じゃないと投げ出してきた”見つめ・育てる役割”を。きた学生、全員分を一身に背負って、対峙してきたのが故人だったように思います。ひとりで抱えられるはずもない負荷が、かかっていたのです。

誰も負わなかった”育てる責任という負荷”が命の消耗を早くし、短くとも濃い人生にしたのではと思い至って。

社会システムが起こした死でもあり、一方で、巡り巡る構成要素としてのわたしが起こした小さな行動の積み重ねが原因を作っている、と思ったのです。

友達が喧嘩して悲しそうな時。就活で悩んでいる時。「私のせいじゃない」「自分の責任」と、関わりを持つことを避けてきた。

故人が必要以上に業務をしている時。協力をと声をかけてくれた時。「忙しいから」「本人がやりたがっているんだから」と向き合わなかった自分を見つけます。

苦しくて、やるせなくて、少し泣いて。自分のあれやこれやの言動を引っ張り出しては、どこにもいけないような気持ちで過ごして。

そうしているうちに、少しずつ希望や意思が。

コロナも、獣害も(最近山で困っている!笑)、全ては繋がってシステムの中で起きている。全部が全部の要因で、わたしも原因のひとつ。だけど、ひとりでは解決ができない。でも、影響を与えることができる。

「生きている人の責任」とよく言うけれど、押し付けてきた責任を一つひとつ引き受けていくことを言っているんだろうか?コツコツ、できることを重ねていくしかないんだよなぁ。

「和也さん、あなただってほんらいは。茶目っ気があってで大らかな人でしょう。その姿を、まったく見なかったんだよ。そちらでは、違うよね?これからは楽しく、自然に一緒にやろうね。協力してよね。」

わたしは、故人に声をかけたいな。

故人の軌跡を未来の子どもたちへの指針にする書籍のプロジェクトがある。事業がある、一緒にやるんだ!


いつもお読みいただいて、ありがとうございます。