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「インド修行。後、シェアハウスへ。 」めいちゃんち退居者インタビュー #2

今から7年前の大学院生の時に、めいちゃんちに入った陽次さん。卒業後は、クックパッドの新規事業部に配属され、その後スタートアップに転職。マネージャーとして活躍する傍ら、趣味で“シロネル”という出張コーヒー集団としても活動している。


映画監督になるために、京大へ。そして転身。


小学校の時から料理が好きだった。小学校まで太っていたため、食事と体や筋肉に興味があったのだ。クレープを作って友達を呼んだりして、振舞ってた。喜ぶ顔を見るのはも好きだったが、それよりも作っている瞬間が好きだった。

今は仕事で、分析したり戦略を立てたりロジカルな部分を使っているが、もともとは超直感人間。匂いや感触、色彩を元に、想像力を働かせて素材を調理する。右脳だけでできるのが料理だった。

堤幸彦氏の影響で、映画監督になるのが高校生の頃の夢。「どうせなら映画研究の分野のある、最難関の大学へ行こう」と思い、京都大学総合人間科学科に進学。ところが、その研究室は映画史などが専門、映画監督を養成する場所ではなかった。「映画はできへんな。」と映画監督の夢はきっぱりと諦め、昔から興味のあった筋肉や運動を扱うスポーツ生理学を学び始めた。


ラクロス、インドでのインターンを経て、めいちゃんちへ。

「学部生の間は、ラクロスに打ち込んでた。そこから、のちに一緒に住むことになる“えいちゃん”と会い、デザイン思考の講演会を開いたりと、ビジネスの領域に出会った。
『自分でもビジネスで何かやってみたい』と思い、大学を卒業し、大学院に入学する前に1年間休学。インドに渡り、現地法人のインターンとして不動産の営業に打ち込んだ。」

(インドでのインターンの時の様子)

インドで不動産営業。振り返ると社会というものに初めてしっかりと関わったタイミングなので、かなり辛かった。温厚な陽次さんも、何度かキレたが、そのおかげで相当なストレス耐性とスパイス耐性を身につけた。

「ムカつくときは、自分の期待と現実のギャップが大きい時。お客さんからのクレームに対して対応状況を確認しても平気で嘘をついたり、お客さんの入居時に必要な手続きを当日になって言い出して引っ越しができない事態になったり…インド人のギャップがとてつもなく激しかった。」

壮絶な経験ののち、帰国。のちにシェアハウスの住人となる“りょう”の1DKの家に転がり込み、3ヶ月ほどソファで寝食を共にした。「狭すぎるから引っ越そう。」という話になり、のちに一緒に住むことになる”えいちゃん”との縁で出会った扇沢と日下部(めいちゃんちの創業者)に、シェアハウスに入れないかと声をかけた。

「自分たちのシェアハウスをするという手もあったけど、めいコミュニティが好きやったから、めいにお願いした。としよさんは1個違い、ともきは同い年で、友人であり同志のような関係。コミュニティにいる人もどこか変な人ばっかりだったけど、感覚を大切にしていて優しい感じの人が多かった。」と陽次さん。友人で猫を飼っている大河さんとも一緒に住むため、ペット可の家を探し、りょうさん、陽次さん、大河さんのシェアハウス生活が始まった。

(旧「名前はまだない」での飲み会 の様子。2012年)

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