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すべてのひとに居場所がひつよう

先日、27歳になったと思えば、もう来月には28歳になり、社会人も5年目の後半戦に差し掛かろうとしている。

5歳の頃の計画ではもう、18歳に結婚、20歳に出産!と思っていたイメージだったから、はるかにゆっくりとしたペースで人生が進んでいるようにも感じるけれど。こんなにも自身と世界は鮮やかなものだとは、思いもしなかったな。

仕事では、地域にまつわる事業の裏方(財務や人事領域)をさせてもらっていますが、いつもできる限り、その環境と関係に浸ることから始めてゆきます。例えば、人事領域であればなるべくその方々の中に混ぜてもらって、その場に居させてもらったり、ある地域の事業ならその地で買い物して、食事を作り、地域の銭湯でくつろぎいだり…

そうすると、「人が足りない」とか「売り上げが安定しない」とか荒く捉えられた課題の裏側に、そうしてまで「守りたかったもの」が感じられてきます。

それは時に、温泉の泉源や森、行き交う人々の動きそのもの、等 言葉にすると陳腐で「これ」としか言いようがない領域に行き着く感覚を覚えます。この鮮やかさこそが、人生の醍醐味だし、ある人たちがとらえる「課題」は解決される必要性がないと感じるほどです。

私は「これ」にいつも圧倒され、その存在に関わるに値する自分で居たいと思って、引き出されるように、ここまで歩いてきました。結果、私が感じた「それ」の輝きほどには、現実がついていかない時もあるけれど、長い軸で関わると表出される動きが起こっていくと分かったから、あまり焦らず過ごせるようになったな。

地域や事業、チームに関わり始めるとき、ずっとここにいて、関わっていくんだ!という意気込みで臨んでいるけれど、終わってみれば3ヶ月の時もあれば1年、5年、様々な期間があります。

でも、やっぱり基本は一生、ずっとそばにいたいんです。現実は、身ひとつ、時間は24時間だから、どうしても距離感の変化は出てきてしまう。
でも、くっついたり離れたりしながら、自身も成長して、また出逢えたら。「これ」だけを見つめて、大切にして、また生きていけばいいんだと分かったら、少し肩の荷がおりました。

時代は変わって、場所も変わり、私はその時々で、好きなものを目一杯愛でていくのだろうけれど、遠くても近くても関わってくれた全てのものを、めいっぱい大切にします。

いつもお読みいただいて、ありがとうございます。