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てんこ盛り3月

怒涛のライフイベントてんこ盛りで忙しすぎませんか3月。

転職先に3月入社となったために先に私だけ福岡にきていたが、長女の小学校の終業式が終わりいよいよ家族も福岡にやってきた。

家族の引越しに関して私はただただ妻に頭を下げることしかできない。キャリーケース1つでマンスリーマンションに入居した私に対し、妻はこどもたちと猫の命を預かりながらひとり家財道具をひたすら段ボールに詰めていくことになった。

離れて暮らすと人はあまりにも無力。全ては私の段取りの甘さが招いた事態である。私の落ち度は2万個ほどあるが、細かく書くと世の全マダムたちから槍を投げられるので自分可愛さゆえに省略させていただく。ひたすら平身低頭。妻の欲しいものは全て買う。妻がこうしたいということには「イエス」か「はい」しか返事をしないと胸に誓った。

家族で太宰府天満宮に行ってきた。境内に入ると、空気がピンッと一段透明になったような気がする。本殿が改修のため白い布で覆われ、その前に仮殿が建ててあったのだけど「もうずっとこれでよくね?」という素晴らしいものだった。

境内を流れる小さな川にはまだら模様やら金色やらの鯉が泳いでおり、近くの広場で猿回しが大道芸をしていた。猿の大ジャンプに拍手がわく。周りに置いてるカゴにみなさんのお気持ちだけ、500円なんて贅沢は言わないので風で飛ぶような……紙のやつでもかまいませんとか言ってスベってるのもまたちょうど良い。いたるところに桜が咲いてやがるぜ。

二礼二拍手一礼をこどもたちに教えて各自お賽銭箱に10円玉を投げ、これからよろしくお願いしますと挨拶をして帰った。こどもたちは買った小さなお守りとすみっこぐらしのぬいぐるみを大事に抱えてニコニコとしていた。

その後大きい公園などに寄った帰り道、まだ福岡の道を覚えておらず下道でいいのに都市高速に乗ってしまうというミス。さらに降りるところも間違えて気づいたら福岡空港のターミナルを走っていた。車につけた交通安全のお守りには道を間違えない効能はないみたいだった。

祖父のお見舞いのために日帰りで長崎に帰省した。入院の原因となった症状は改善したけども祖父の意識は弱く、次第に栄養補給の点滴すら受け付けなくなってきているということだった。97歳では無理もない。むしろよくここまで大病もなく健康でいてくれたなあという思いが強い。

面会できるのは家族2人までということだったので、私と父とで病棟に向かう。大部屋に入ると、消毒液と薬品とオムツが混じったような独特の匂い。祖父はだいたいいつも寝ているという話だったがタイミング良く目を覚ましており、私が声をかけると祖父の水色っぽい瞳がこちらを向いた。目が合い、それから手を近くのベッドフレームにかけた。ただ居心地が悪くて動いただけなのかもわからないが、まあこちらの解釈であれは私への挨拶だったんだと思う。そういうことにする。

祖父は長崎の小さな漁村で漁師をやっていて、私が幼い頃はよく祖父が採った魚を食べさせてもらっていた。魚を捌いたり漁の仕掛けを作ったりつわぶきの皮剥きをしたり、いつも手は汚れ黒ずんだ爪をしていた。病院でピカピカの祖父の爪に触れて、ああ本当に終末期なんだなあと妙に実感してしまった。

父の語る祖父はいつもめちゃくちゃな人だ。昔友達と早朝の海にウミガメの産卵を見に行ったら、どこからともなく酔った祖父が現れてウミガメを全部ひっくり返して歩いてたとか、そんな話を聞いて笑う。さみしい気持ちはそれぞれにあるものの、そんなことを明るく話す父の様子を見てちょっと元気になったのだった。

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