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ストラトス洗礼(3)

まあ、朝青龍の引退じゃないですが、ストラトスの引き際は堂々勇退なんていうものではなく70年代中盤の3連覇後、ランチアの親会社フィアットによって引っ込められちゃったんですね。
そもそも、フィアットはストラトスの栄光を喜んではいなかった。いくら勝っても販売利益に結びつかないスーパーカーの存在を疑問視していました。おまけフィアット124スパイダーという当時WRCに参戦していた自社の車はストラトスに軽く蹴散らされていたから、おもしろいはずがない。
欠場を命じられ、開発も中止、おまけにワークス活動停止。

ところがそこからがストラトスの本領発揮で、プライベーターに売り渡したストラトス達がなかなか死なない。
戦闘力を増したフィアットワークスの次世代ラリーカー、フィアット131アバルトでも、ストラトスを倒すのにものすごく苦労します。
まさに鬼っこ、フィアットの天敵は子会社が7~8年も前に作った車だったのです。フィオリオの心中がどんなかんじだったのか興味がありますね。

81年ツール・ド・コルスで勝利したランチア・ストラトス

実は、ランチア・ストラトスの最後の優勝は81年のツール・ド・コルスで、すでにこの年、四駆のラリーカー、アウディ・クワトロが走ってましたし、フィアット131アバルトはもう過去の車でした。
当時私は中学生で、多分「AUTO SPORTS」誌上でその記事を発見したのだと思いますが、なんというか、時期はずれのスーパーカー優勝のニュースに、スーパーカー世代の私は言い知れぬ感動を覚えたものでした。
その後、似たような奇跡をやってのけた車はありません。基本性能の良さ、勝つためのデザイン、何より開発者の夢の力を感じた瞬間でした。
(2005.2.10初出)

★ランチア・ストラトスはアリタリアカラー(前後期で2種ある)の他、ピレリカラー、マルボロカラーそしてプライベートの雄シャルドネのブルーなんかも有名です。

アリタリア前期カラ―
ド派手なイタリアントリコロールのアリタリア後期カラー
アリタリアのスポンサーがフィアット131に移ってからはこのピレリカラー

◆ストラトス洗礼(1)https://note.com/mazetaro/n/n6d9f212dd37a
◆ストラトス洗礼(2)https://note.com/mazetaro/n/ned131c4c6721
◆ストラトス洗礼(3)https://note.com/mazetaro/n/n62e80466ed0f

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