見出し画像

義経のこと(2)

チンギス・ハーン=義経説というのは、もちろんロマンなわけですが、この2人の異常人に共通する点が多いのも事実です。
源義経が戦場にデビューするのは、宇治川の戦い。木曽義仲に幽閉された後白河法皇を助けに、主戦力の範頼軍が矢合せみたいなことをやってる間に宇治川を馬で渡って、驚異のスピードでそのまま京都の市街地になだれ込む。電撃戦ですね。
平家との決戦、一の谷の合戦では、またも小戦力で迂回軍を指揮し、有名な“ひよどり越えの逆落とし”をやります。崖の上から馬を鹿みたいに使って奇襲したんですね。
続く、平家の海上基地を襲った屋島の合戦では、海から来ると思いきや、とんでもない嵐の日に出航し、早めに上陸、裏山から平家を攻め立てます。
要はスピードです。馬があるからとんでもないところから奇襲できる。また、当時の武士にあった名乗ったり、1対1で勝負するという感覚が義経にはあまりなかったのではないかと思われます。
移動のアドバンテージを生かしたトリッキーな戦いも、壇ノ浦の海戦では通じません。
ところが、彼は相手の水夫を攻撃し始めます。当時これはいわゆる反則行為で、水夫は非戦闘員で攻撃するのはフェアーじゃないとされていたわけです。
ここにコロンブスの卵があります。常識無視。彼は相手の足を奪うことで、移動のアドバンテージをとったのです。義経にとってはスピード=戦力、だから水夫が戦力ではないという常識はまったく意味不明にうつったことでしょう。
スピードに対する恐るべき執念。騎馬の集団活用で得た、彼の勝利の方程式は海でも実証されたのです。

そんな義経がその後生き続けていたらどうなっていたでしょうか。モンゴル草原を疾走する馬たちを、移動することになんの不安もない生活スタイルをもった人々を見たら、彼の天才的な戦術眼が新たな野望を企てたとしても不思議ではないでしょう。

義経の見方・評価というのはいろいろあって、おもしろいので、また別の機会にも書かさせてください。

義経のこと(1)https://note.com/mazetaro/n/n57c008ff9266

(2005.1.16初出)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?