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シガーラの転職

この記事はみえ様主催の「カニ人アドカレ2023」18日目の記事です。カニ人5回目のお誕生日おめでとうございます🦀これからも末長く人類滅亡させて下さい。今回の作品は2〜3ヶ月前からチマチマ書いていたものですが一応新規になります。お楽しみ頂ければ幸いです。

17日目の記事はこちら

◆◆◆

セミ人虫のシガーラは消毒薬の臭いがする就労支援施設のブースに座り、すでに何度も顔を合わせている担当職員を見つめた。

一目見ただけで分かるうんざりした表情。それはそうだろう。この担当者から仕事を紹介してもらうのはこれで通算五度目になる。

「またですか……シガーラさん」

大きな音を立ててファイルが机に置かれた。明らかな不満の態度の表明。しかしシガーラは職員のその行動を無視して話し始めた。

「前の職場ですが、どうやらボクには合わなかったようだ。また他の仕事を紹介して頂けないだろうか?」

見ての通り就職活動中である。かつては殺し屋──政治犯専門の凄腕の暗殺者としてその界隈では有名だった彼女だが、爬の国との戦争が休戦状態に入った現在はほとんど無職同然であった。

遠い昔から幾度となく繰り返されてきた爬の国との戦争の中で両親を亡くしたシガーラは、虫の国の軍隊に拾われ兵士としての人生を送る事になった。当時シガーラが所属していたのは無法者を無理やり兵士にしたような人虫ばかりで構成された悪名高い部隊で、拾ってきた子供たちの命など捨て駒くらいにしか考えていなかった。同じような境遇の孤児たちが基地に集められ、粗末な武器を渡されて前線に送り込まれる。説明も訓練も何もなく、一人でも多くの人爬を仕留めてこいと蹴り出されるのだ。当然ながら半数以上が初日で死ぬ。生き残った者にはそれを喜んでいる暇も仲間の死を悼んでいる暇もない。すぐに次の戦闘が待っている。戦いの女神に愛された者だけが生き延び続け、そうでない者は命を落とす。幸か不幸かシガーラは前者だった。

「失礼ですが、貴女に合う仕事がこの世に存在するのですか?」

皮肉たっぷりに職員が言う。シガーラはうっかり懐に忍ばせたナイフに手を伸ばしそうになった。ここが戦場でなくて命拾いしたな、と心の中で毒づいておく。無理やり作り笑いを浮かべるシガーラの様子に職員はフンと鼻を鳴らし、ペラペラと個人ファイルをめくって彼女にこれまで紹介した仕事の履歴を読み上げていった。

「えー、まず最初に紹介したレストランでは、料理の載ったカートを客席に突っ込ませましたね」
「あれはたまたま床が滑りやすかったんだ」
「……工場では初日から蒸気配管をパンクさせて操業をストップさせかけたと聞きました」
「回していいバルブとそうでないバルブの違いが分かりにくくて」
「…………事務員の仕事では、機密情報の含まれたメールの送付先を競合他社の役員と間違えましたね?」
「偶然にも同姓同名の人が社内にいたので」
「………………警備員の仕事では通行人に暴力を振るったと聞きましたが」
「あれは通りすがりの酔っ払いがこちらに悪戯と称して不埒な事をしてきたのだ。れっきとした正当防衛だ」

胸を張って自身の正当性を主張するシガーラに、職員は呆れたような態度を隠さなかった。

「一撃で肋骨を七本叩き折るのが正当防衛なら、大抵の暴力事件は正当防衛という事になってしまいそうですね」
「…………」

何も言い返せなかった。そんなシガーラを見て、職員はこれで話は終わりだとばかりに席を立った。

「いずれにせよ、こうも立て続けにトラブルを起こされますと困るのです。我々にもシガーラさんを先方に紹介した責任がありますから。申し訳ありませんが、これ以上はお力になれないと思います」

◆◆◆

外は雨が降っていた。支援施設を追い出されたシガーラは天を仰ぎ見ると、どんよりとした灰色の雲に短く悪態をついて住まいのあるスラム街へと向かった。

かつては物置小屋として使われていたカビ臭い自宅へ帰る途中で色々なことを考える。仕事は紹介してもらえなかった。これは死活問題だ。暗殺者時代に溜め込んだ金はほとんど使ってしまっていた。物乞いでもするか、強盗に手を染めるか。いずれにせよ野垂れ死ぬ前にどうにかして銭を稼がなければいけない。

部隊では成果を上げている限りは衣食住は保証されていた。敵兵を多く殺すほど良い食事と金が与えられ、そうでない者には何もない。飢えたまま次の戦闘に臨むのはほとんど自殺と同義だ。死にたくない奴は必死で敵を探し求め、一人でも多く始末する。そうやって実力を認められてきた。シガーラが抜きん出た能力を持っている事に気付いた部隊の上層部は、他とは違う特別な任務を彼女に与えることに決めた。暗殺だ。ターゲットは主に政治犯。敵国のスパイや反体制分子、反戦運動家を含む「国家に対する危険分子」を片っ端から始末するのがその任務だった。

ターゲットを決めるのは上層部の仕事だ。シガーラはその後を引き継ぐ。人通りのない場所に誘い込んでから襲いかかったり、あるいは出会い頭を装って殺したり。時には家族団欒の最中に突入して泣き叫ぶ妻や息子の前で仕留めなければいけない事もある。いついかなる時でも標的から目を離さず、千載一遇の好機を確実にものにするハードな任務だ。

失敗した時の損失は他の任務とは比べ物にならない。ターゲットの性質上、失敗は敵国に多大な利益を与える事になりかねないからだ。ゆえにこの仕事は最高の能力を持つ兵士にしか与えられない。シガーラはそれに選ばれた。嬉しかった。自分の能力を認めてもらえたと思ったからだ。「お前は価値ある人虫だ」と誰かに言ってもらえた気がした。だからこそ彼女はこの仕事に自分の全てをかけるつもりで打ち込み、どんなに辛い訓練にも耐え抜いた。半年後にはその名を聞いただけで敵国のスパイが震え上がるほどの凄腕暗殺者のできあがりだ。「顔と名前が知れ渡った暗殺者ほど間抜けな存在はいない」などと知ったかぶる奴がたまにいるが、そいつこそとんだ大間抜けだ。素性が知られていてなお仕事を続けられるのは一流も一流、超一流だけだ。

部隊長もシガーラをいたく気に入り、破格の報酬と待遇でもってその働きに報いてくれた。全ては順風満帆だった。副隊長が密かに敵国と通じていたのが発覚するまでは──。

「よう、シガーラ。シケたツラしてどこ行くんだ?」

聞き覚えのある声に呼び止められた。振り向くと顔なじみの露天商がいる。安物のダサいサングラスをかけてニヤニヤとした笑みを浮かべ、道の脇に所狭しと商品を並べている。ほとんどが盗品の横流しだ。普段なら軽口の一つや二つは叩いていく所だが、今日はそんな気分じゃない。無視して歩き去ろうとすると、今度は抗議の声が飛んできた。

「おいおい、シカトかよ。冷たい奴だぜ。もしかして、また仕事クビになったのか?」

図星を突かれた。シガーラが殺気を込めた視線を向けると、露天商は「おお怖い」と首をすくめた。しかし悪びれる様子はない。忌々しいペテン師め、腹いせに売り場をめちゃくちゃにしてやろうかとシガーラは思ったが、雑多に並べられた商品の列に目をやった瞬間、あるものに視線が釘付けになった。思わず足を止める。

「これは……」

記憶がフラッシュバックする。昔、まだ両親が生きていた頃は家族みんなで地面の下で暮らしていた。人虫には地下生活をする者が多く、シガーラの家もそうだった。途方もなく巨大なトンネルの中に街があり、地上と同じように川や森などの自然もあるのだ。その当時、隣の家に同じ年頃の子供が住んでいたのでよく一緒に遊んでいた。名前は確か──。

「イルマ……そう、イルマだ」

あまりの懐かしさに久しく忘れていた感覚を思い出す。その子の誕生日にお気に入りの綺麗な鉱石を削って作った髪飾りをプレゼントしたのだ。それを見たオケラ人虫の子供は文字通り飛び上がるほど大喜びした。

「本当にありがとう、シガーラ……! 私、いつまでも大切にするからね」

それが今シガーラの手の中にある。売ってしまったのだろうか。子供の頃の話とはいえ一抹の寂しさを覚えたが、よく見れば表面はピカピカに磨かれていて手入れが行き届いている。この露天商はそんな几帳面な性格ではない。横流しされた盗品は適当に売り場に並べるだけだ。つまりこれは元の持ち主が大切に扱っていたという事を示している。それがどうしてこんなゴミ溜めみたいな所にあるのか。答えは一つ。誰かに盗まれ、売られたのだ。

「これをくれ。いくらだ?」
「あ……? それか、それは……あー……10万だな」
「10万? 値札には500と書いてあるようにしか見えないが、何かの間違いじゃないのか?」
「たった今相場が変わったんだよ。情報が古いぜシガーラ」

そう言ってせせら笑った露天商の顔のわずか数ミリ横を掠め、凄まじい音を立てて何本ものナイフが背後の壁に突き刺さった。衝撃でサングラスに罅が入る。露天商は落ち着き払った様子でゆっくりと壊れたサングラスを外すと、先程の回答を訂正した。

「間違えた、300でいいぜ」

シガーラは投げつけるように代金を払うと髪飾りの出所を尋ねた。露天商は守秘義務があると言って最初は答えるのを渋っていたが、シガーラが手元から取り出したナイフを首元に突きつけるとあっさり入手先を白状した。

「なじみの盗人虫から買ったのさ。多分な」
「多分?」
「あのな、どの商品を誰から仕入れたかなんていちいち覚えてるわけねえだろ」
「……まぁいい。で、そいつは今どこにいる?」
「北西エリアだ。いるとしたらな。いつもそこで『仕事』してるからな」

シガーラは露天商に礼を言うと足早に表通りへ向かった。行き先は道の端から端まで豪邸がずらりと並ぶ虫の国でも有数の高級住宅地だ。多くのセレブが住み、治安維持のために独自の警察組織まで有している。大企業の社長などという中途半端な金持ちではここには住めない。住めるのはその中でもほんの一握りの本物のセレブだけだ。そんな所にどうしてあの髪飾りが落ちていたのだろうかとシガーラは訝しんだが、とりあえずは目当ての人物を探す事にした。

「な、なんだよアンタ……サツ⁉︎」

大まかな人虫相は聞いていたのですぐに見つかった。自分は警察ではないので逮捕する気はない事を伝えると、その人虫はややホッとした様子で髪飾りを拾った経緯を話し始めた。

「二、三日くらい前にここで誘拐事件があった時、拐われた人虫がそれを偶然落としていったのを見かけたんだ。セレブの持ち物だしきっと金になるだろうと思って拾ったんだけど、故買屋に持って行ったら馬鹿にされたよ。なんの値打ちもないただの石ころだってね。ムカつくからその辺の露天商に二束三文で売っぱらってやった」

拐われたセレブの顔と名前は分かるかと尋ねると、そんなの誰でも知ってるよと盗人虫は呆れた様子で答えた。

「イルマって言ったらこの国で一番大きな芋農家の社長じゃないか。知らないの?」

シガーラは耳を疑った。まるで知らなかったからだ。十数年の間に幼い頃の親友は国内でも上位に入る大金持ちになっていた。なんて事だ。しかしそれよりも重要な事があった。

「イルマが……誘拐された?」

ちょうど三日前の出来事だった。仕事を終えて社用車で自宅に帰る途中を襲われたのだという。運転手や護衛たちは瞬く間に無力化された。明らかにプロの手口だ。周到に準備された犯行だった。

「犯人は誰だ? イルマはどうなった?」

シガーラは盗人虫に詰め寄った。鬼気迫るその様子に盗人虫は怯えを見せる。

「わ、わからないよ。人質がどうなったかなんて……警察もどこにいるか分かってないんだろ」

その通り。虫の国は大量の警官を動員して不眠不休で捜索を続けているが、イルマの行方を突き止める事はできていなかった。シガーラの顔に焦りが生じたが、続く盗人虫の言葉にハッと顔を上げた。

「けど、犯人の顔なら見たよ」
「本当か? どんな奴だった?」
「最近この辺りで仕事をしてる奴らだからよく知ってるよ。名前は確か……」

誘拐実行犯の名を聞いたシガーラの顔がこわばった。それは彼女がかつて所属していた部隊の副隊長──祖国を裏切り、シガーラのいた部隊に破滅をもたらした裏切者だった。

◆◆◆

──副隊長の動きがおかしい。どうやら爬の国と通じているようだ。

ある日、秘密の会議に呼び出されたシガーラたち数名の部下に隊長はそう言った。その場にいた誰もが「そんな馬鹿な……」とは思わなかった。むしろ妙な納得感すらあった。副隊長は尊敬に値する兵士とは程遠い人格の持ち主だったからだ。強者にへつらい弱者に鞭打ち、思想も信念も何もなくただ己の立場を守るためだけにその場しのぎで主張をコロコロ変える。仕事ができるかと言えば決してそんな事もない。「権威を笠に着て威張るしか能のない典型的なロクデナシ」というのがシガーラも含めた部下たちの評価だった。

隊長はシガーラたちに対し速やかに副隊長を拘束するよう命じた。もし敵国のスパイだと判明したら尋問は過酷な拷問に変わる。最終的には死刑だ。シガーラたちは迅速に行動を開始したが、時すでに遅かった。直後に彼女たちのいる基地が人爬族による奇襲を受けたのだ。

「敵襲──ッ!」

最初に叫んだのは誰だったか。気付けば基地は夥しい数の人爬に取り囲まれていた。敵は闇夜に紛れて最も防備の薄い場所をピンポイントで攻めてきた。隠蔽していた武器や秘密の通路も瞬く間に制圧される。副隊長から内部情報が伝わっているのは明らかだった。シガーラたちは必死で迎撃したが形勢は圧倒的に不利であり、一人、また一人と仲間が斃れていく。

「ここはもう駄目だ。お前は逃げろ」

腹部に重傷を負った隊長が苦しげに呻きながらそう言うと、シガーラは強く首を横に振った。

「何を言ってるんですかボス。皆と一緒に最後まで戦いますよ。ボクたちは仲間じゃないですか」
「聞け、シガーラ。これは私からお前への最後の命令だ……いいか、生き延びてあの大馬鹿野郎を殺せ。必ずや裏切者に死の報いを受けさせてやるんだ。頼んだぞ……」

その言葉が最期だった。シガーラの全身を激しい憎悪と怒りが貫く。戦闘の中で誰かが火を放ったのだろう、基地はオレンジ色の炎に包まれ煌々と夜空を照らしていた。膨大な熱が激しい上昇気流を起こし、大量の煙と火の粉を空に向かって勢いよく巻き上げている。気付けば周囲にいるのは敵ばかりだ。生き残っている仲間はどこにも見当たらなかった。

◆◆◆

爬の国との国境近くに小さな倉庫がある。錆びだらけの看板にはかつてここを使っていた零細企業の名が記されているが、ペンキが剥げかかっていてほとんど判読できない。ゲート前には明らかに堅気ではない雰囲気のガードマンが立っており、そこをくぐると更に剣呑な雰囲気が室内を満たしていた。

薄暗い倉庫内には武装した人虫たちが忙しなく動き回っており、コンテナに満載された品物をトラックに積み替えている。中身は大半が非合法な代物だ。許可なく売買が禁止されている薬品や香料。税金逃れのために隠されていた宝石類。アガルタの最深部でしか手に入らないとされる特殊な金属など。中には本物のニンゲンが拘束されて詰め込まれている大型コンテナもあった。意識を失った状態で綺麗に並べられている。穏やかな表情を浮かべている様はまるで眠っているようだ。彼らが一体どこの誰で、何のために箱詰めにされているのかは分からない。知らない方がいいだろう。ここは犯罪組織の秘密基地だった。

二階へ続く階段を上ると奥に小部屋がある。そこへ見るからに偉そうな態度をした人虫が数人の部下を引き連れてやって来た。ドアを開けろと顎をしゃくる。ノックもなしに扉を開くと中にいたオケラ人虫がハッと驚いた様子で振り向いた。両手を拘束されている。誘拐されたイルマだ。彼女は三日前からここに閉じ込められていた。

「ご機嫌いかがかな、社長」

部屋に入ってきた態度のデカい人虫──シガーラの所属していた部隊の元副隊長──は目を細めながら尋ねた。もう何日もまともな食事が与えられず、シャワーを浴びる事も許可されていないイルマはその問いに皮肉たっぷりに答えた。

「おかげさまで快適そのものよ。あなたの顔が見えなければもっと良かったんだけど」

元副隊長は余裕を見せるために鷹揚な笑みを浮かべようとした。しかしこれは半ば成功、半ば失敗といった所だった。その証拠にこめかみの辺りがピクピクと痙攣し、額にはうっすらと青筋が浮かんでいる。

「これは手厳しいな。すまないがもうしばらく辛抱してもらう事になるよ。明朝にはここを出発するからな」
「……どこへ行くの?」
「国境を越えて爬の国に渡る」

イルマが怪訝な表情を浮かべる。相手の意図が読めなかったからだ。なぜ爬の国の名前が出てくるのか。停戦合意に至ったとはいえ、つい先日までお互いに殺し合いをしていた国だ。そんな所へ自分を連れて行って何をしようというのか、皆目見当がつかなかった。

「どうして爬の国へ? あなたたちの目的がわからないわ……身代金とかではないの?」
「うちのボスが君の身柄を欲しがっていてね。捕虜になった人爬の解放と引き換えにするための人質として」

元副隊長の答えにイルマは驚いたが、すぐに軽蔑するような視線を向けた。

「そう、あなた爬の国側についているの……つまりスパイなのね?」
「おい、薄っぺらい仲間意識で他人の商売にケチをつけるのはやめてもらおうか。私にとって大切なのは相手が同族かどうかではなく、そいつが私を儲けさせてくれるかどうかだ。それ以外に興味はないんだ」

元副隊長はイライラした様子でしばらく部屋の中を歩き回っていたが、やがて気を取り直したように言った。

「いや、いや、私の話などどうでもいい。問題は君だよイルマ社長。君には我々の目的を果たすためのエサになってもらう」
「……どうして私なの?」

イルマは尋ねた。

「一般人虫では人質としての効果が薄い」

その問いに元副隊長が答える。

「どこの誰とも知れぬ人虫が殺されたくらいでは民衆は心を動かさない。なぜならそれは日常であり、ごく当たり前の事だからだ。彼らが興奮するのはあくまで非日常なのだよ。その点、君は適役といえる。我が国に住んでいる者なら誰でも知っている大農園の社長。しかも民衆に人気がある。見た目の麗しさもさる事ながら、人当たりの良さ、大企業の経営者にありがちな冷徹さとは無縁の心優しい性格……そんな君が誘拐され人質にされる。これこそドラマだ。万が一にも殺されるような事になってみろ。民衆たちはさぞ悲しむだろう。その命を救うためならば喜んで捕虜など解放するに違いない。それこそが我々の狙いなのだよ」
「……もし捕虜が解放されなかったら? テロリストの要求に屈しないという考え方もあるはずよ」
「その時は我々が『本気』だという事を知ってもらうまでだ。麻酔なしで体の末端部を切り落とされた経験はあるかな?」

イルマの顔が青ざめた。副隊長はその反応に気を良くし、この気丈な人虫の心を痛めつけるためにさらに恐怖心を煽るような口調で話を続けた。

「爬の国の連中はどいつもこいつも再生能力が高くてね。指や尻尾を切り落としてもすぐに生えてくる。戦争中はそれが厄介だったんだが……だからこそ彼らの身体欠損に対する感覚は我々とはまるで違う。指くらいなら平気で切り落とそうとしてくるぞ」

イルマの足から力が抜け、フラフラとベッドに腰掛ける。元副隊長はそんな彼女に近づくと肩に手を置き、まるで慰めるような口調で囁いた。

「気の毒だがこれも運命と思って諦めてくれ。そうそう、捕虜が解放されてもされなくても、どちらにせよある程度は君を痛めつける計画になっている。なるべく早く気を失えるように祈っているよ」

怒りと憎しみの籠もった目を向けられ、元副隊長は声を上げて笑った。イルマは目に涙を浮かべながら言う。

「あなたの思い通りになんてならないわ。今に警察がきっとここを見つけてくれる。そうなれば全部終わりよ」
「残念ながらそうはならない。ここは以前軍に勤めていた時から使っている場所でね。警察も知らない秘密のアジトだ。だから助けは来ない。期待するだけ無駄だ。仮に来たとしてもその頃には君の身柄は爬の国だ。救出は間に合わないよ」

イルマは何か言い返したそうな顔をした。しかし言葉が見つからなかったようだ。徐々にその顔が絶望の色に染まっていく。これから先、己の身を待ち受ける恐怖と苦痛がありありと想像できた。やがて小さな啜り泣きの声が聞こえてくると、元副隊長はようやく溜飲を下げられた満足感にほくそ笑んだ。

◆◆◆

一方その頃、ゲートの前では門番役の二人の人虫が暇を持て余していた。周囲にはもう夜の帳が下りている。ランプ型の発光鉱石の明かりに照らされながら、二人はとりとめのない雑談に耽っていた。

話のネタはいつも大体同じだ。博打と酒。二人はどちらも下っ端で、組織に入ってから日も浅い。だから門番の仕事をやらされている。三日前、人質がここに連れて来られてからはずっと番をしているので、博打に関してはご無沙汰だった。酒もわずかな量しか支給されていない。溜まった欲求不満は雇い主への愚痴となって噴出する。

「一体いつまでかかってるんだ。さっさと国境を越えちまえばいいのに」

背の低い方の人虫がいった。

「爬の国の連中の準備がまだなんだとさ。それが終わるまでは無理だよ」

今度は背の高い方が答えた。それを聞いた背の低い方はちぇっ、と舌打ちした。

「そもそも人爬なんぞを信用していいのかねえ。アイツら敵じゃないか」
「おい、やめとけよ。ボスの耳に入ったら大変だぞ」

背の高い方が咎めた。慌てて周囲を見回すが、誰にも聞かれていないようだった。

「上には上のお考えってものがあるのさ。お前みたいなバカには想像もつかないような事がな」
「おい、誰がバカだって? もういっぺん言ってみろ」

背の低い方がいきなり語気を荒げて言った。どうやらかなり短気な性格なようだ。しかし相方からの返事はない。ある方向を向いたまま黙って突っ立っている。無視されていると感じた背の低い方はさらに怒って言った。

「てめぇ、聞いてるのか? 無視するんじゃねえよ」

手に持っていた明かりを向け、近づいて肩を掴んだところで異変に気づいた。生気が抜けたように目が虚ろだ。いつのまにか氷のように冷たくなっていた体が地面に倒れ込む。よく見れば側頭部に深々とナイフが突き刺さり、そこから大量の血が流れ出していた。

「ひっ、ひいっっ」

背の低い人虫は反射的に後退りし、一瞬遅れ武器を構えた。だが正にそれは遅かった。せめてすぐに警報ボタンを押しに走り出すべきだったのだ。それでも間に合ったかどうかは分からないが。ワイヤーを持ったシガーラが背後から近づき、怯えている門番の首を一瞬にして締め上げた。

「──侵入者だ!」

数分後、けたたましい警報と共に誰かの叫ぶ声が耳に入り、元副隊長は怒りに顔を歪めた。警備会社に通報が飛ぶような事はないが、こんな騒音を起こしてはせっかく秘匿してきたアジトがパァだ。よほどの事がなければ警報は鳴らすなとあれほど言っておいたのに……。元副隊長の機嫌が最悪になったのを敏感に察した部下の一人が、慌てた顔で様子を見に行ったが、一分も経たない内に駆け戻ってきた。

「て、敵襲です! 早く安全な場所へお逃げ下さい!」
「敵襲だと? どこのどいつだ。警察か? それとも軍隊か?」

元副隊長の質問に部下は答えた。

「敵は一人……物凄い強さのセミ人虫です。黒装束に海賊みたいな帽子を被って……もう何人もナイフで殺されています!」
「セミ人虫……? 黒装束に、ナイフ……」

元副隊長は思い当たる節があるかのようにブツブツと何事かを呟いていたが、やがてハッと顔を上げた。

「まさか……いや、そんなはずは……」

震える声。泳ぐ視線。明らかに狼狽している。何かに怯えているようだ。その異様な態度に部下はおろかイルマまで怪訝そうな表情を浮かべた。そんな周囲の様子に気付いたのか、元副隊長は我に返ったように叫んだ。

「何をボサっとしてる! 早く侵入者を仕留めろ! 全員でかかれ!」

無茶苦茶な指示だ。全員で行ったら人質はどうするのか。部下たちが異議を唱えると、元副隊長はようやく幾分かの冷静さを取り戻した。

「そ、そうだな、全員で行くのは良くない……今の指示は取り消す。お前は私と一緒に来い。お前はここに残って人質を見張れ。残りの者は侵入者を始末しろ」

部下たちは迅速に動いた。あっという間にほとんどが部屋から出ていき、残ったのはイルマと監視役の屈強な人虫だけだった。外からは誰かの叫び声や怒号、モノが壊れたり激しく倒れたりする音が聞こえてくるが、部屋の中はそんな喧騒とは無縁のように思えるほどの静けさが訪れていた。

すると突然、ドアの向こうでゴトンと重いものを落としたような音がした。イルマがびくりとする。

「…………」

部屋の外に何かがいる。監視役が緊張したのが空気を通して伝わってきた。イルマに対し「そのままそこにいろ」と手で合図し、足音を立てないようにドアに近づいていく。チャンスだと思った。手は縛られているが足は動く。背後から椅子か何かで殴りつければ隙を作れるかもしれない。イルマは監視役に気取られないように立ち上がり、座っていた椅子の足を掴んだ。

心拍数が急激に上がる。口の中がカラカラだ。あと少し、もう少し。監視役が素早くドアを開けて外の様子を確認する。その時だった。凄まじい勢いで外側からドアが開けられ、監視役の顔面を直撃した。呻き声を上げて怯んだのは一瞬の事だったが、その一瞬で全ては終わっていた。

「がっ…………⁉︎」

黒い影が奔り、顎の下から頭蓋の中心に向かって鋭い刃が突き立てられる。夥しい血を流しながら監視役が床に倒れ込んだ。黒い影はそれを支える。助けるためではない、大きな音を立てないためだ。監視役は数秒で動かなくなった。イルマは小さく悲鳴を上げた。危うく椅子を落とす所だった。死んでいる。人虫が死ぬのを見るのはこれが初めてではないが、それでも驚いた。

ドアの向こうから黒装束の人虫が室内に入り込んできた。全く無駄を感じさせないキビキビとした動きでイルマの近くまでやって来る。イルマが思わず怯えた様子を見せると、その人虫は彼女の腕の拘束具を外し始めた。

「あ、あなたは誰……?」
「私のことはどうでも良い。今はとにかくここから逃げるんだ」

高い女性の声だった。その声にわずかに聞き覚えのある気がしてイルマは驚いた。自分はこの人に会った事があるのではないか。カチャリと音を立てて拘束具が外れた。痛む腕をさすっていると黒装束の人虫が手招きする。

「こっちだ。急いで」

廊下に出て階段を降りる。途中で下から武装した人虫たちが現れた。

「いたぞ!」

叫んだ時には黒装束はすでに階段から跳躍した後だった。重力を活かした一撃で一人目を仕留めると、呆気に取られたもう一人の顔めがけてすばやく腕を振るう。投擲されたナイフが避ける暇もなく眼窩に突き刺さり、そのまま後ろに倒れた。即死だ。黒装束はイルマの手を取って駆け出した。出口まではまだ遠い。途中で動かなくなった人虫を何人も見かけた。これだけの人数をたった一人でやったのかと、死体を横目に走りながらもイルマは驚きを禁じ得なかった。

「シガーラ……! 貴様、生きていたのか!」

背後から叫ぶ声は元副隊長のものだ。先ほど階段で殺した人虫の声が予想以上に響いていたらしい。数人の部下を引き連れて現れたが、激しい戦闘があったのかその姿は泥や煤に塗れ、服は所々が部下の血で汚れている。

「え? シガーラって……?」

目の前の黒装束は俯いている。特徴的な帽子とマスクで表情は見えづらいが、どうやらイルマに顔を見られまいとしているようだ。

「あなた、もしかして……」

イルマが何か言いかけたその時、強烈なタックルが黒装束を襲った。普段は副隊長の護衛を務めている屈強な人虫だ。さっき部屋で刺し殺された者の片割れである。黒装束の小柄な身体が吹っ飛び、衝撃で帽子とマスクが外れた。その下から現れた顔を見てイルマは思わず叫んだ。

「シガーラ……!」

間違いない。宝石のようなブルーの瞳。色素の薄い肌。それに何より幼い頃の大切な記憶が蘇る──いつもイルマに笑顔とワクワクする冒険をくれたあの少女の面影が残っていた。

「……っ、ちょっと何するの、離して……!」

部下の一人が腕を掴み、後ろから捻り上げてイルマの身体の自由を奪った。関節が軋む痛みに呻く。元副隊長が叫んだ。

「そいつを連れて来い! 他は総がかりでシガーラを殺せ!」

組織の構成員たちは武器を構え、油断なく敵の動きを注視しながらジリジリと近づいて包囲の輪を縮めていった。その間にイルマは倉庫の外へと引きずられていく。やがてシガーラの姿は見えなくなった。

「シガーラ……! やめて、その子を殺さないで……!」

元副隊長たちはもがくイルマを無理やりトラックの荷台に乗せ、そこにあったロープで彼女の手足を拘束した。元副隊長は荷台に残り、部下が運転席に乗り込む。エンジンをかけようとするが、上手くかからない。もたついていると荷台から罵声が飛んできた。

「何をしてる、早くしろ!」

何度もキーをひねるがそれでもかからない。トラックが古いのか、はたまた整備不足なのか。元副隊長がさっきよりも大きな声で罵声を浴びせようとしたところで、ようやくエンジンがかかった。ライトをつけ、アクセル全開で走り出す。運転席の人虫はほっと一息ついた。ミラー越しに見える風景がどんどん離れていく。荷台に座っていた元副隊長も小さく笑った。その直後──。

「な、なんだ⁉︎」

大きな衝撃音。急にガタガタと揺れ始めた車体に運転手が動揺する。ハンドルがきかない。後方から投げつけられたナイフによってタイヤがパンクしたのだ。

「おい、一体どうした⁉︎ 何があった……⁉︎」
「た、タイヤが……駄目です……制御がきかない……ッ!」

トラックはたちまち走行不能になり、大きくスリップして道の真ん中に横転した。

「キャアァァァァ────ッ!」

イルマの悲鳴。元副隊長は叫ぶ彼女を引きずるようにして荷台の外に出ると、その首にピッタリと刃物を当てたまま運転席の様子を伺った。開けっぱなしになったドアの近くには、先ほどまでそこに座っていた人虫が目玉を貫かれて無惨に事切れていた。

「ぐっ……おのれ、おのれシガーラ……この死に損ないが! 来るなら来てみるがいい……その代わりこの女の命はないぞ。顔見知りなんだろう? 私を殺せるものなら殺してみろ。コイツが死んでもいいならな……!」

一瞬、周囲がしんと静まり返り、元副隊長はニヤリと笑った。やはりそうだ。シガーラはこの女を見殺しにできない。二人がどんな関係かは知らないが、どうやらよほど大切に思っているらしい。これなら勝てる。逃げ切れる。まずは姿を現せと命じ、それから武器を捨てさせれば……。

そこまで考えていた元副隊長の肩の辺りに、突如として灼熱の痛みが走った。

「ぐわっ──!」

反射的にイルマの喉に当てていた刃物を取り落とす。しまったと思った瞬間、凄まじい勢いで突進してきた黒い影に横っ腹を蹴り飛ばされた。そのまま数メートル転がった後、慌てて立ちあがろうとする。だがうつ伏せになった体勢から起きあがろうとした瞬間、右腕が全く動かせないことに気付いた。

「こ、これは……⁉︎」
「腱を切った。もう動かせない」

背筋に氷を突っ込まれたような恐怖。目の前に立っているのはシガーラだ。冷たい憎悪に満ちた瞳を元副隊長に向けている。

「ひっ……ひいいぃっ……助けて、助け……」

副隊長は這いずるようにして必死にその場から逃げようとしたが、シガーラはそれを許さない。服の裾から肉厚のナイフを取り出すとそれを元副隊長の大腿部に刺し、そのまま上から踏みつけて地面に縫いつけた。甲高い悲鳴が上がる。イルマは思わずその光景から目を背けた。

「ま、待て、待ってくれ……金なら、金なら払う……だからどうか助け──」

制止しようとシガーラに向かって伸ばした手から指が落ちる。驚愕に見開いた目が、そのまま二つとも潰される。絶叫しようとした喉はその役目を果たせなかった。声帯が空気を震わせる前に、そこにも何本ものナイフが突き刺さったからだ。体中至る所から血飛沫を上げて元副隊長は事切れた。

シガーラはイルマのそばに駆け寄ると、手足を拘束していたロープを切ってやった。

「本当にシガーラなの? 私のこと、覚えてる……?」

シガーラは返事をする代わりに懐からあの髪飾りを取り出した。イルマがハッとした顔で口元に手を当てる。

「それ、どこかで失くしたと思っていたのに……見つけて持って来てくれたの……?」

こくりと頷き、手渡した。イルマは受け取ったそれでボサボサになった髪をまとめると、涙を一杯に溜めた目でにこりと笑った。

「ありがとう。とっても大切な宝物なの」

シガーラも微笑み返した。しかしすぐに踵を返してその場から立ち去ろうとした。

「待って!」

イルマが慌ててその背中を呼び止めた。

「まさか、行ってしまうの……? せっかくこうして再会できたのに」
「……君とボクとでは住んでいる世界が違う。見ただろう? ずっと兵士として戦場で暮らしてきて、この手はひどく汚れてしまったんだ。もう君の知っているボクじゃない……まあ、戦闘が止まったから今は無職だけれども」

自嘲の色を込めて笑うシガーラに、イルマは強く首を横に振った。

「そんな事ない。確かに私はあなたがどんな人生を送っていたのかは知らない……けど、全てが変わってしまったわけではないはずよ。あなたは私を憶えていてくれたし、助けにも来てくれた。私は今でもあなたの事を大切な友達だと思っているわ。あなたはどうなの?」
「……もちろん、ボクだって君に会えて嬉しいよ。まだ友達だって言ってくれて……でもボクに普通の生活は無理なんだよ。戦うことしか知らないんだ。敵だって多い。君を巻き込んでしまうかも知れない……気持ちは嬉しいけど、一緒には行けないよ」

シガーラの声は震えていた。

「ありがとう、イルマ。またこうして話ができるなんて夢にも思ってなかった。ボクにはそれだけで十分幸せだよ。これからも元気でいてくれ」
「待って──!」

イルマはシガーラの服にしがみついた。必死にその場に留めようとする。だがシガーラは頭を振った。

「ダメだよ、イルマ。こればっかりは君の頼みでも……」
「違うの。あなた、さっき無職だって言ったわよね?」
「え……? あ、うん……」
「戦うことしか知らないとも言ったわね?」
「そうだけど、それが何か……?」

戸惑いを浮かべてシガーラは尋ねる。

「だったら私にいい考えがあるわ。あなたにピッタリの仕事で、これからも一緒にいられる最高のアイデアが!」

そう言って満面の笑みを浮かべる幼馴染を、シガーラは不思議そうな顔で見ていた。

◆◆◆

「さあ、本日も始まりました虫っ子闘技場……まず皆様の前に登場するのは恐るべき無限の体力! 一撃必殺のジャンピングガール……ノミ人虫のライムちゃんカニ!」

円形リングの中央でリングアナウンサーを務めるカニ人がマイク片手に選手紹介を叫んでいる。真っ赤なテントの闘技場は今夜も大盛況で、この新しい娯楽の噂を聞きつけて国中からやって来た人虫たちが観客席でひしめき合っていた。アリーナの端からライムと呼ばれたノミ人虫が現れると、会場は熱気と歓声の渦に包まれた。

「いけー! ライムちゃん!」
「今日こそ勝てよー!」

ライムは手を振ってそれに応え、パフォーマンス代わりの大ジャンプでリングの中に飛び込んだ。観客は大盛り上がりだ。

「いい感じで盛り上がってるカニ! 続いての登場は……戦場で培った超絶技巧! 人気上昇中の期待のルーキー……セミ人虫のシガーラちゃんカニ!」

先ほどに負けず劣らずの大きな歓声が上がった。スポットライトを浴びながらアリーナの袖から現れたのは、あの黒装束のシガーラだ。イルマの『いい考え』とはこの事だった。戦うことしか能がないならば戦い続ければいい。ただしルールの下で、誰も殺さなくてもいい選手として。イルマはシガーラのスポンサーになってくれた。民衆から人気のあるイルマがバックについた事で、自然とシガーラにも注目が集まった。やや恥ずかしげに帽子のつばをキュッと掴み、わずかに頭を下げ一礼する。観客たちは口笛を吹いたり拳を振り上げたりしてリングに向かう彼女を鼓舞する。忘れていた感覚が蘇る。心地良い。誰かに期待されているというのは。最前列に一際熱の入った様子で声援を送ってくる人虫がいるのをシガーラは見つけた。

「頑張れシガーラ! 負けるなー!」

フッと微笑み、長い袖を剣のように翻してリングの中央に躍り出る。盛り上がりは最高潮だ。ライムがファイティングポーズを取って啖呵を切る。

「ふん、最近成績いいからって調子に乗るんじゃないわよ! 今日は絶対にアタシが勝つんだから!」
「ボクだって負けるわけにはいかないよ。大切なスポンサーの前でカッコ悪いとこ見せられないからね──!」

ライムがしゃがむと、その鋼鉄のような脚の筋肉がギリギリと音を立てて限界まで収縮した。シガーラはどこからともなく大量の刃物を取り出し、いつでも投擲できるように構える。

「ライムちゃんvs.シガーラちゃん……! レディ……ファイッッ!」

熱狂と興奮の坩堝と化した闘技場で、闘いの火蓋が切って落とされた。

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