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【感想】『ぼくは勉強ができない』と自分を棚卸しするための「質問会議」

こんにちは、白山鳩です! クルッポゥ!

マガジン『本を読んだら鳩も立つ』での本のご紹介です。


前回の記事はこちらです。↓↓↓


さて今回は、
山田詠美さんの『ぼくは勉強ができない』に見る「真実に蓋をせずに生きることの大切さ」と、

「自分自身が抱えている本当の問題は何か」に迫っていく「質問会議」

について見ていきます。


1つの記事あたり、だいたい5分で読めますので、お気軽にスクロールしてみてください!

ただし、ネタバレ注意です!


「勉強が出来ないからですか?」「でも、おまえ、女にもてないだろ」

さて、今回もまたTwitterでご紹介いただいた本の中から、

ぼくは勉強ができない

を題材としました。



センター試験の過去問にもなっているので、

「なんだかタイトルに聞き覚えが……」

という方もいらっしゃるのではないでしょうか。


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さて、『ぼくは勉強ができない』は、ある高校生の日常を連作とした短編集です。


その短編の中でも標題となった「ぼくは勉強ができない」から、2つのシーンを引用します。


小学校に転校してきたばかりだった主人公の時田秀美は、クラス委員長を決める投票に際し、「教壇の前の席のおっとりした様子の女の子」伊藤友子さんの名前を書いて投票しました


すると、担任の教師は「この名前を書いたやつは誰だ!」と激怒してしまいます。
秀美が投票したとわかった教師は、「時田は、転校生で何も解らんのだ」と秀美を相手にせず、議事を勧めようとしますが、そこへ、秀美が食い下がります。


「先生は、ぼくの質問に答えていません」
「何?」
「どうして伊藤さんでは駄目なのですか」
「…………」
「勉強が出来ないからですか?」
教師は答えなかった。
ぼくを完全に無視したまま、丸山という前回の委員長に、残りの票を読み上げるよう促した。
伊藤友子の名は、もう呼ばれることはなかった。
ぼくは、仕方なく腰を下ろしたが、気持ちは暗かった。
前に目をやると、机に伏せて鼻を啜っている伊藤友子の姿が見えた。
ぼくは、この時、初めて、大人を見下すことを覚えた。


さて、時は移ろい、高校時代。

クラス委員の投票があり、「勉強のできないクラスの人気者」である秀美は副委員長となります。

そして、委員長になった男は、常に学年1位の成績をとるクラスメイトの脇山でした。

脇山は、その成績を鼻にかけてクラスの人気者である秀美に何かと食ってかかってくります


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数学の中間試験が終わった後、「勉強ができない」秀美がその試験の結果に気分を悪くしていると、脇山が話しかけてきました。


「時田、おまえ何点だった?」
「なんで」
「いや、心配してやっただけさ。クラス委員やってる奴が、あまり出来ないと問題あるだろ。おれなんか、満点に近かったからさ、なんか、不公平かなって思ってさ」
「別に不公平なんかじゃないよ」
「でも、おまえ、このままじゃ三流大学しか入れないぜ」
「ぼく大学行かないかもしれないから」
「へっ? またなんで」
「金かかるから」
「おまえんち貧乏なの?」
「そうだよ」
「でも、大学行かないとろくな人間になれないぜ」
「ろくな人間て、おまえみたいな奴のこと?」
「そうまでは言ってないけどさ」
脇山は、含み笑いをしながら、ぼくを見つめた。嫌な顔だと思った。


脇山は、いやなやつですね、ほんと。

まあここまでストレートでもないかもしれませんが、青少年に語りかけるときの中年や老人がこのような口調になっているのを見かけて暗い気持ちになるときのある鳩です。


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さて、ここまで言われた秀美くん、その人生にはある信条があります。

秀美くんは、いい顔をしていて女にもてる男を無条件に尊敬する青年です。


「どんなに成績が良くて、りっぱなことを言えるような人物でも。その人が変な顔で女にもてなかったらずい分と虚しいような気がする。女にもてないという事実の前には、どんなごたいそうな台詞も色あせるように思うのだ
「いい顔をしていない奴の書くものは、どうも信用がならないのだ」


という考えのもとで生きています。

そんな秀美くんが脇山に返した言葉を見てみましょう


「脇山、おまえはすごい人間だ。認めるよ。その成績の良さは尋常ではない」
「……そうか」
「でも、おまえ、女にもてないだろ」

脇山は、顔を真っ赤にして絶句した。
ぼくの脳裡に、小学校の担任教師の表情がよみがえる。
真実の許にひれ伏した愚か者の顔。

「ぼくは確かに成績わるいよ。
だって、そんなこと、ぼくにとってはどうでも良かったからね。
ぼくは彼女と恋をするのに忙しいんだ。
脇山、恋って知ってるか。
勉強よか、ずっと楽しいんだぜ。
ぼくは、それにうつつを抜かして来て勉強しなかった。
でも、考え変わったよ。
女にもてて、その上成績も良い方が、便利だってことにね。
どうしてかって言うと、おまえのような奴に話しかけられないですむからだ。
よおし、ぼくは勉強家になるぞ!」
誰がなるか。脇山の憤死しそうな顔を見ていたら、おもしろくなって、つい口が滑ってしまった。

ぼくは、立ち上がり、速足で教室の外に出た。
女子のグループが、時田くん彼女いるんだってえ、ええっ、そんなあ、とかなんとか叫んでいた。
女の子たちは本当に可愛い。
ぼくは決してきみたちを見捨てたりはしない。


脇山をぶっ飛ばして「スカッと爽やか!」な気分になると同時に

『でも、おまえ、女にもてないだろ』はあまりに強すぎるので禁止カードにした方がよいのでは」と思う鳩でした。


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真実の許にひれ伏した愚か者の顔

小学生の秀美の質問に答えられずこれを黙殺したことで秀美から「見下された」教師。


「大学に行かないとろくな人間になれない」という成績だけを頼りに生きてきたのにもかかわらず「女にもてないだろ」と指摘され、絶句してしまった脇山。

いずれの顔にも浮かんでいるのは、「真実の許にひれ伏した愚か者の顔」です。

この2人に共通していることは何でしょうか。


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それは、「うしろめたさ」にほかなりません。

「真実」に対するうしろめたさです。


教師は秀美の言葉を無視することで、

「勉強が出来ない人間は委員長という『栄誉ある』職に就くべきではない」

という口にしがたい、だけれども心の底から信じている偏見に蓋をしました


脇山は、「勉強が出来る」という一点だけを拠り所として自分を全肯定していたのが、「女にもてない」という欠落をあらわにされ、自分を全肯定できなくなってしまいました


真実に蓋をして生きる人生は、自分と他人それぞれに息苦しさを強要するのです。

と同時にそんな生き方をしていると、真実と出会ってしまったとき、その事実を無視したり、あるいは真実の重さに愕然としたりしてしまいます


普段から「蓋をしている真実に触れ合う」機会を持つことが重要になりそうですね。


では、そうやって無意識のうちに隠してしまっている真実に触れるにはどうすればよいのでしょうか。


自分の内面に出会うための「質問会議」とは


「質問会議」と呼ばれる会議手法があります。

これは会議でありながら、双方向に意見を出し合って議論を深めていくのではなく、

「ある1人に対し、参加者は『質問』だけを繰り替えし、物事の本質に迫っていく」

という手法で、関連する本も出ています。



質問会議に適している参加人数は4〜8人程度です。

参加者は、「問題を抱えている1名」「問題を抱えている人に、質問を繰り返す人」とに分かれます。


質問する側の注意点としては、
「質問の形をとった詰問やアドバイス」をせず、純粋に質問だけをする

という点が挙げられます。


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みなさんの周りにもいませんか。

「それでは質問の時間です」と言ったのに、

「○○の場面で××をするとは、いったいどういうつもりですか」と詰問したり、

「○○の場面では△△をした方がいいと思いますが、どうですか」と自説を披露したり、

というような人たち。


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「問題を抱えている人」はこのような態度で迫られると、だんだんと針の筵に座らされているような気持ちになり、自分が抱えている問題を深掘りすることができなくなってしまいます


質問会議で、参加者は質問することだけに集中しましょう。


質問会議の効用


質問会議に参加した「問題を抱えている人」は、

「問題解決のために○○をせよ」

と迫ることはありません。


質問会議で重要なことは、いま目の前に抱えている問題について、参加者からの質問を通じて考え直すプロセスそのものなのです。


自分自身で普段から、「ここが問題だ」と思っていることは、その実、上っ面な問題に過ぎないということは多々あります。

そして、その上っ面の問題に対して解決策を提示しても、根本的な解決にはならないということも、また多いものです。


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たとえば、腕にアザができているに、シップを渡すとしましょう。

これはたしかに「アザ」という問題に、「シップ」という解決策を提示しています。


しかし、アザが実は、「パートナーから受けた暴力」が原因だとしたらどうでしょうか。

「シップ」を渡されたところでて根本的解決にはなりませんし、このアザはまた繰り返し生まれるかもしれないわけです。


また、他の参加者からの質問に対して、「自分はこう考えている」と質問に答えているうちに、自分が前提として置いていた考え方や自分が当たり前と思っていることに気付けるようになります。


そのプロセスも踏まないうちに、

「君の問題は実はこうだよ」

と外部から押し付けても、本人は心から納得しません。

納得しているように見えても、それは「納得するフリがうまい」外観に騙されているだけ、ということも多いのではないでしょうか。


この辺のロジックは、

『反省させると犯罪者になります』

における、受刑者が表面的に反省しているフリをしているだけ、というのに通ずるものがあります。



他者から発せられた「質問」を通して表層的な問題を解体し、

自分自身の価値観に気づいていくことで、

本当の問題を受け入れる準備ができるようになる、というわけです。


その問題に関する質問を通して、質問を受けている人自身が自分を見つめ始めたときにこそ、真に「問題に気付いた」と言えるでしょう。


脇山と「質問会議」をするとしたら


さてここまで、「真実に蓋をせずに生きることの大切さ」「質問会議」について見てきました。

ところで、この「質問会議」を、

「おまえ、女にもてないだろ」と言われる前の自信満々だった脇山くんと行うとどうなったでしょうか。

まあ自信満々の脇山くんが「問題を抱えている」と感じていたかは別として……


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たとえば、仮に「成績が少し下がった」ときが過去の脇山くんにあったとしたら、そのときに質問会議をしたらどうなるでしょうか。


(質問会議の例)

―――――

脇山「成績が少し下がったと感じています。しっかり勉強はしていたのに」
質問者A「どうして、成績が下がったことを問題だと感じているんですか
脇山「えっ。だって、成績が良くないといい大学に通えないから
質問者A「いい大学に通えないと、どんな問題があるの?」
脇山「そりゃあ、不安でしょ。まともな職にもつけないだろうし……
質問者B「『成績』以外で、大切に考えていることはありますか」
脇山「成績以外……やっぱり、いい点をとるのが大切だし、一生懸命勉強してきたから……うーん、すぐに思いつかないですね。たまの息抜きにマンガ読んだりはしますけど」
質問者C「部活動はしているんですか」
脇山「していないです。でも、クラス委員長をやっていますから」
質問者D「恋人はいますか
脇山「いないですね
質問者D「恋人は欲しいですか
脇山「欲しいとは思いませんね。いまは勉強で忙しいですから」
質問者E「恋人のいるクラスメイトがうらやましいと思うことはありますか」
脇山「うらやましい……どうかな……うーん」

ーーーーー

これはあくまで鳩が書いてみた例ですが、

「これまで考えもしなかった」、

あるいは「蓋をしてきた」さまざまな観点で、

脇山くんが自分自身を振り返れていることがわかります


その過程で、「自分の抱えている本当の問題は何なのか」に迫っていけば、

「真実の許にひれ伏した愚か者の顔」をさらす機会は減りそうかなとも思います。


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自分の価値観を解体して棚卸しするために質問会議は有効な方法です。


他人の力を借りるのが難しいのであれば、

自分の大切にしている価値観、

自分が嫌いだと思っている価値観について、

立ち止まって考えてみる習慣をもつのはどうでしょうか。


そして、自分の身の回りの人間の視点を想像しながら、自分自身に問いかけをしてみる……。


自分の価値観を相対化、抽象化するようなプロセスを踏む機会があると、人生に広がりが生まれるように思う鳩でした。


次回「本を読んだら鳩も立つ」では、羽生善治さんの『直観力』について書いていきます。


お楽しみに。

to be continued...


参考資料

・山田詠美(1996)『ぼくは勉強ができない』(新潮文庫)



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