見出し画像

大学在学中にしぬと漠然と思ってた

誰も楽しくない吐き出しです。
ずっと曖昧だった思いを言葉にしておこうかな、と何となく思った話。

高校の時から何となく「生きるのってしんどいかもしれない」という感情が生まれました。けどそれは本当に何となく。
高校で一番仲良かった友達が退学したり、家庭環境が変わって行ったり。今思えば辛かったんだと思います。その時は別にそんなこともあるだろ、程度に思ってた。辛いって気持ちを麻痺させて、明日何をしなきゃ行けないか。一ヶ月後何をしていなきゃいけないか。そう思ってた。

高校の時にハマってた「君に届け」って漫画がありました。発売日にはすぐに買いに行った。けど次巻の販売日を見て思うのは「〇〇テストの後だ」「じゃあ生きてるか」という感情。それを変だとは思わずにずっと生きてた。最新刊を買うたびに『今回も買えた』と思ってた。
大学に入って世界が変わりました。世界はずっとずっと広かった。
大学受験の時に仲良くなった子と入学式に行き、そのお母さんとご飯も食べた。私は一人で行ってたから保護者がいて、しかも受験以来会うのも二回目の私にすごくよくしてくれたお母さん。入学式がいい思い出だったのは正直その子とお母さんのおかげ。その後入学してからはグループが違い徐々に疎遠にはなっていったけど一生忘れない大学の友達だと思う。

大学に入ってびっくりした。色んな土地から色んな夢を持ってやってきてる人ばかり。
私の大学は演劇学科のある学校だったので同期たちは夢を持って北から南から上京してきた色んな人がいた。大学時代はほとんど家に帰らなかった、帰りたくなかった。深夜バイトをしてシフトが入ってない日は友人宅で飲んだりバイト先で寝てたり。世界というものを知ってたくさんの人を見た私は家では私ではいられない気がしていた。

何となく大学にいる間は私でいられるから、私という人間でいられるから。大学を卒業してしまった時に実家との繋がりから逃れられない私は存在していたくない、つまり大学在学中に私は私のままどこかで自殺すると漠然と思ってたし別にそれは悲しくもなかった。それが今まで生きてきた中で自然な流れだと思ったから。
けど学校外でも演劇を続けていると卒業してからのちょっと先の未来も見えてくる。4月以降の舞台のオファー、あって欲しい人がいるというお話、前の舞台を見てお願いしたいことがあると声をかけてくれる人。大学在学中に私が、私自身が行った活動を見てくれた方々もらった言葉たち。命を繋げてくれた言葉たち。その言葉の源は死にたいと漠然と思っていた私を明確にこの世に繋げていてくれた。私は芝居がなければきっと未練なくどこかのタイミングでさらっとバイバイしてた。今もふと「こんな私なんか」と自分を軽んじてしまう一瞬があります、その時に未練がなければふっと思い立ってしまうだろうなということも。
けど今私を、私の活動を認めてくれる人たちがいるから。もっともっと頑張りたい、もっと上手くなりたい、いいものを見てもらいたい。そんな風に思える。

今私の人生は私だけのものじゃないんだと。一緒にずっといてくれるかけがえのない友人や家族のような劇団、私を見守ってくださる皆様。こんなことを言うと重たいし責任を負わせるみたいで嫌だけど。今、とっくに死んでるはずだった私がこうして生きているのは皆様のおかげです。だからと言ってずっと傍にいてくれなくても良いので、ありがとうとだけ言わせてください。

ここまで私を育ててくれてありがとう。大好きです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?