私と役作り

数年前まで。私のお芝居の作り方、いわゆる役作りは「役と仲良くなる」という考え方でした。
役・その人物を一人の人間として考えてその人を理解し作り上げていく感じ。知れば知るほどその役と分かり合えたような仲良くなる感覚があったので、「役と友達になる」「一番の理解者になる」ってお芝居に取り組んでた。

今は違って、「その時に自分(めぶき)が感じた感覚」を大切にするようにしています。会話劇をやるようになってからかな…。
ポポポの2022年GWごろにやった作品の「とぐろ、或いは揺らぐ」で会話劇のエキスパートな方々とご一緒させていただいたり、演出部から色んな事を教わって考え方が変わったな、と。
今までは自分でない人ととしてその場に立っていたから「感情を用意して」「このセリフ、この行動でこんな気持ちを”表現する”」という作り方をしてました。けど今は、「その場にいて感じたもの、したいことしたくないことと向き合う」ことに挑戦中。上手くいかないこともあるし、相手を見れてない時もある。
本当に地味な作業だと商業の大きな派手なミュージカル大好きな私は感じたりもすることもあるけど。感情と脚本、相手と自分、自分と自分の役の成すべき役割、かっちりハマった瞬間の驚きというか衝撃って何にも変えられなかったし、これを求めれば求めるほど分かったことが「一度も同じことは起きない」ってこと。芝居をなぞるな、という意味がやっと分かった気がした。


お芝居って人が作るんです。
「アナと雪の女王」を当時映画館で見た時に、人間は今後必要なくなるんじゃないかって恐ろしくなったのを覚えています。あんなに綺麗な映像で迫力もあり、歌もお芝居もあの映画館という最高の設備が整った環境で物凄い世界規模のエンタメを見させられた。その時に舞台演劇はいらなくなるんじゃないの?って思った。
けど今改めて原点を思うと、生の空気感はやっぱり変えられないものがある。

舞台の表現も技術も進化してるとはいえCGには敵わないし、億単位の予算で作り出す映画には流石に対抗できないものもある。けど絶対に同じ空間だからこそわかるものもあって。
分かりやすいものであれば人が吐き出すエネルギーの迫力になるんだろうけど、やっぱりもっともっと見たいのは小さい部分。人と人の間に生まれる“空気”


小劇場、大劇場問わず観劇経験のある人ならきっと感じたことがあると思うんだけど、視界がズームになる。
すごく舞台から遠い席でも、本当なら見にくい席でも、人と人の間に生まれるものを見た時に視界と意識がそれしか記憶しないってことがあります。
思い返せばもっともっと遠い場所から見てたからそんな表情の変化なんて見えないはずなのに、他にも視界に入っていたはずの景色があるはずなのに。余計な情報が排除されて見えているもの以上のものを感じていた感覚。
それが生の舞台の醍醐味だなとやっとここ1、2年で心から納得しました。
お芝居もダンスもアクションも全部同じ。

人が作るものを直に浴びるので演者のモチベーションもそうだけど、観客のコンディションもかなり関わるんだろうだなと。元気であれば楽しい前向きな役に感情移入するし、悩みがあれば何か抱えた苦しむ役に引っ張られるかもしれない。
そんな空気も微細な変化もあって、物語や構成には影響がない範囲、その中で嘘をつかずにその場に生きるっていうのが表現者に必要とされるの技術。めっちゃくちゃ難しいし一生磨いて勉強しなきゃいけないものなんだと思います。

若輩者の私がこんな記事一個使って偉そうに話すものではないから本当に恥ずかしくて絶対先輩方には見られたくないんだけど。
こんなこと考えてるんだよ、めぶき。って知って欲しい人たちもいるので恥を忍んで吐き出します。
苦し紛れの深夜に酔っ払った勢いで。

嘘をつかない。相手を無視したらそれは本当ではない。
嘘をつかないために物語と対立することもあるかもしれない。
けど仲間がいれば、自分の姿を映してくれる。自分が投げられれば、受け止められれば何も怖くない。のかもしれない。
お芝居って本当に怖いけど楽しい。

まずは自分を信じてあげて欲しい。役・キャラクターは自分の中の愛があれば大丈夫、大切な役のためにいろんなものを見てあげたい。そのためにいっぱいいっぱい勉強せねば。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?