峰町キリスト教会

峰町キリスト教会は、日本キリスト宣教団に属する栃木県のプロテスタントの教会です。 教…

峰町キリスト教会

峰町キリスト教会は、日本キリスト宣教団に属する栃木県のプロテスタントの教会です。 教会ホームページ https://www.mccjapan.jp その他コンテンツまとめ https://profcard.info/u/QKITkkyKXdYfOFq49brtS22ppY82

マガジン

  • 峰町キリスト教会 牧師夫人の徒然なる

  • 2024説教レジュメ

    峰町キリスト教会、礼拝説教のアウトライン、レジュメです。YouTubeにてライブ配信、過去のメッセージを観ることができます。合わせてご利用ください。

  • 礼拝メッセージ要約 ミルトス2024

    毎週の礼拝メッセージを短く要約したものです。グループでの分かち合いやディボ-ションにご利用ください。

  • 礼拝メッセージ要約 ミルトス

    毎週の礼拝メッセージを要約したものです。メッセージのふり返りやグループの分かち合い等にご利用ください。

  • 2023説教レジュメ

    峰町キリスト教会、礼拝説教のアウトライン、レジュメです。

最近の記事

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五一)「私たちは、見えるものにではなく 見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続く からです。」(Ⅱコリント書4・18)  

 先日ある方との間で茶道が話題に上りました。難しく細やかな所作を通して立てられるお茶は、日本の誇るべき文化です。でも、その時にこんな話が出ました。「いったい、そうやって立てたお茶と、雑談しながら作ったお茶と、どんな風に味が違うのでしょうかね」  もし、科学的な成分分析をするならば抹茶の量と加えるお湯の量、撹拌のスピードと回数が同じなら、おそらく同じ味のものが出来るのではないでしょうか。もし、そうなら、あの長々しくも仰々しい儀式に、いったい何の意味があるというのでしょうか。と

    • 2024.5.5 説教レジュメ

      • 2024.4.28 説教レジュメ

        • 「牧師夫人の徒然なるままに」(八五〇)「こうして、幕屋のすべての奉仕が終わった」(出39)

           出エジプトと共に、主は幕屋の建設を命じられました。そして民は喜んでその建設に携わりました。 昨年から、婦人会の主催で会堂のお掃除を定期的に行っています。集まる婦人たちは、御自身のご都合に優先させて「主の宮のご奉仕」に励んでくださっています。彼女たちの笑顔のご奉仕の姿は(大袈裟かも知れませんが)今から三千年以上も昔に幕屋作りに励んだイスラエルの民のかいがいしい姿と重なります。  お掃除のロボットまで出現する現代です。ゴミや塵が取り除かれ、汚れが落とされるならば、どんな手段

        「牧師夫人の徒然なるままに」(八五一)「私たちは、見えるものにではなく 見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続く からです。」(Ⅱコリント書4・18)  

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        • 峰町キリスト教会 牧師夫人の徒然なる
          213本
        • 2024説教レジュメ
          18本
        • 礼拝メッセージ要約 ミルトス2024
          13本
        • 礼拝メッセージ要約 ミルトス
          40本
        • 2023説教レジュメ
          55本
        • 2022説教レジュメ
          53本

        記事

          メッセージ要約 2024.4.14「いのちより大切なもの」

          ○創世記8章1節~14節「いのちより大切なもの」(安食弘幸牧師) アメリカのケンタッキー州ウィリアムズタウンに、アーク・エンカウンター(箱舟との遭遇)というテーマパークがあります。ここにはノアの箱舟の実寸大の模型が聖書の記述に従って造られており、すでに数百万人の人が訪れているそうです。このテーマパークは模型ですが、このノアの洪水の物語、聖書に書かれていることは、 これは歴史的な事実、出来事だという事です。そして、聖書に書かれているように、この大洪水は極致的なものではなくて、全

          メッセージ要約 2024.4.14「いのちより大切なもの」

          2024.4.21 説教レジュメ

          2024.4.21 説教レジュメ

          メッセージ要約 2024.4.7「クレネ人シモンのように」

          マルコ15章16-22「クレネ人シモンのように」 スペインバルセロナのサグラダファミリア大聖堂は、アントニオ・ガウディーによって設計され、1882年に建設が始まりました。ガウディーは、当初の設計者が辞任した後、31歳でプロジェクトを引き継ぎ、全ての設計を一新しました。しかし、1926年にガウディーが亡くなると、彼の設計図が残されておらず、スペイン内戦中の火災で資料が失われたため、建設は困難を極めました。コンピューター技術と3Dプリンターの進歩により、かつて300年かかると言

          メッセージ要約 2024.4.7「クレネ人シモンのように」

          「牧師夫人の徒然なるままに」(八四八)「あなた方がしらがになっても、わたしは背負う私は背負って救い出そう」(イザヤ46・4)

           その朝、目覚めると同時に右手指がこわばっているような気がしました。曲げようとすると痛みがありました。気のせいか少しむくんでいるような気もしました。左手指と比べてみるとその異変は明らかでした。  嗚呼、これは脳みその病気だろうか。それともリュウマチ系統の病気だろうか。あれこれと思い悩みました。動かさなければ全く痛みもないし、動かしてみればどの角度にも簡単に回転します。痛いなあと思いながらも「まあ、いいか」といういつもの放置癖にのっとって二,三日を過ごしました。  四日目ぐ

          「牧師夫人の徒然なるままに」(八四八)「あなた方がしらがになっても、わたしは背負う私は背負って救い出そう」(イザヤ46・4)

          2024.4.14 説教レジュメ

          2024.4.14 説教レジュメ

          「牧師夫人の徒然なるままに」(八四七)「まもなくかなたの流れのそばで」(新聖歌475番)

          先週はイースターの召天者記念礼拝でした。「賛美の会(MCC48)は毎年イースターで特別賛美をさせていただいていますが、そこで、毎年歌うのが表題の聖歌「まもなくかなたの」です。 賛美の会が宇都宮聖歌隊から分かれたのは約8年前です。メンバ―シップをクリスチャンに限定して、教会の催事でご奉仕のできる「賛美のための会」として分離し、スタートしました。 会ではこれまで何人ものメンバーを天に送りました。その告別式にはもちろん寂しさもありましたが「天での再会がはっきりと約束されている」

          「牧師夫人の徒然なるままに」(八四七)「まもなくかなたの流れのそばで」(新聖歌475番)

          2024.4.7 説教レジュメ

          2024.4.7 説教レジュメ

          メッセージ要約 2024.3.31 「わたしはよみがえったではないか」

          〇ヨハネの福音書11章25節  イースターは日本でも定着してきたが、残念ながら多くの人がイースターの本当の意味を理解していない。今日は、イースターはみなさん一人一人に向けられたものであることを分かち合いたい。  私達が最も恐怖を覚える出来事は、死である。多くの人は、恐怖から死について考えないようにしている。しかし、死は必ず訪れる。私達は、死の恐怖に向かうとき、何に信頼すればよいのか。聖書は、死の問題の解決は、イエス・キリストの十字架の救いにあると明確に答えている。私達が十

          メッセージ要約 2024.3.31 「わたしはよみがえったではないか」

          「牧師夫人の徒然なるままに」(八四六)「主よ、お知らせください。私の終わり、私の齢がどれだけなのか。」 (詩39・4)

          「あれよ。あれ。」「うん。そうそう。あれね。」夫との会話の中でこんな??が増えてきました。二人とも思いの中に描いている物は同じなのですが、悲しいかなその「名前」を思い出せないのです。人の名前についても同じです。同時に同じお顔の映像を脳裏に浮かべつつもお名前が口から出ないことも増えました。  こんな「あれ、あれ」が今はまだ共有できていますから「そうね。あれね。今に思い出すから話を先に進めましょう。そのあれがね云々」と会話が保てますが、きっとそのうちに「あれってなんだよ!わから

          「牧師夫人の徒然なるままに」(八四六)「主よ、お知らせください。私の終わり、私の齢がどれだけなのか。」 (詩39・4)

          メッセージ要約 2024.3.24 「ここにはおられません。よみがえられたのです」

          ○マタイ28*1~15  誰でも自分の人生があと何日と分かっていたら、怖くて逃げたくなる。誰でも死をできるだけ考えたくないものだ。しかし、死は必ずやってくる。だから人は死への思いを紛らわすために、酒、ドラッグ、ボランティア活動、信仰心、哲学などに向かうが、これらは対処療法にしか過ぎない。死そのものを解決しなければ、誰も死の恐怖から逃れることができない。聖書は、死そのものを解決する方法があると言う。その根拠が今日の箇所に書かれているイエスキリストの復活という出来事だ。  時

          メッセージ要約 2024.3.24 「ここにはおられません。よみがえられたのです」

          メッセージ要約 2024.3.17 「イエス・キリストを私たちが・・・」

          ○マルコの福音書15章1節~15節「イエスキリストを私たちが・・・」(安食滋良牧師)  皆さんにとって「最悪で最高の瞬間」とは、どんな時でしょうか。ある人にとっては結婚かもしれないし、宝くじに当たること(金銭感覚がおかしくなってしまう事)かもしれない。しかし、我々クリスチャンにとって、「最悪で最高の瞬間」は、イエス・キリストの十字架です。十字架刑という刑罰で、神の御子イエス・キリストが殺される。それは、歴史上最悪の出来事でした。しかし、それは同時に歴史上最高の出来事でもあっ

          メッセージ要約 2024.3.17 「イエス・キリストを私たちが・・・」

          2024.3.31 説教レジュメ

          2024.3.31 説教レジュメ