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メッセージ要約 2023.11.5 「携挙の備え 目を覚まし福音を受け入れなさい」


○マルコ13章28 -37

今日の箇所は、患難時代の前に起こる携挙の備えについて教えています。

1.携挙の時を知るものは誰か

イエス様はその日時について32節で「ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。父だけが知っておられます」と語っていますが、疑問に思う人がいると思います。「子であるイエス様も知らないとあるが、イエス様は全能ではないのか?」ここでの知らないという言葉は情報として持っていないという意味ではなく、そのことに注目していないということです。つまりイエス様は「その日については父なる神様にお任せしているので、携挙がいつくるかは私に尋ねることがないように。私は答えるつもりありません」そういう意味でイエス様は仰ったわけです。イエス様がその日は天の父しか知らないと言われた点が重要です。

歴史の中で、カルトや異端と呼ばれるグループの中から携挙や世の終わりを特定する人たちが多く出てきました。もし誰かが携挙はいついつ起こる。そう言っているという噂を聞いたら32節のみことばを思い出してください。それらは全て偽物だと思って良いということです。

しかし一方でその携挙の時がいつ来てもおかしくない時代に生かされていることも事実です。イエス様が携挙の前に起こる前兆について話された箇所を前回まで見てきました。偽キリストの出現、世界規模の戦争、地震、飢饉、疫病、それらを見ると今の時代に当てはまらないものは一つもないです


2. 目を覚ましていなさいとは

イエス様は携挙の備えについて、私たちを旅に出た主人を待っているしもべたちの姿に例えています。そしていつその時がきても良いように繰り返しこう言います。「目を覚ましていなさい。」

実はこの箇所を読んで不安を覚えてしまう人がいます。

この箇所を読んで、信仰生活が生ぬるい人は携挙されないかもしれないというメッセージを読み取ってしまうからです。実はこの箇所はカルト的な教会でも引用されて恐怖を煽ろうとします。

しかし、この例え話の本当の意味は「熱心ではない人は漏れます」ではないのです。ここでの目を覚ましているのか、眠っているかは、十字架の福音に対して目が開かれているのか閉ざされているのかという意味です。つまり目を覚ましていなさいとは「差し出された福音を受け取り信じなさい」という意味です。

なのでもし私たちがイエスキリストの十字架の福音を信じているならば不安になることはないのです。しかし、私たちは基本的に行いによって評価される社会の中で育ってきたので「行いは入りません、ただキリストを信じるだけで救われます。」といわれてもあまりピンとこないのです。

世の中の価値観と同じように、「あなたは、良い行いをしたら救われます。悪い行いをしたら地獄に落ちます」と、行いで評価される方がわかりやすいわけです。異端的教えは、救いの条件に行いを加えます。「たくさん良い行いをすれば救われます。たくさん献金をすれば救われます」そちらの方が世の中の価値観と同じなので、人々に受け入れやすい側面があるわけです。

私たちはどうすれば、信仰によって救われたという確信を持つことができるのでしょうか。それは御言葉に立ち返り、何を教え、何を約束しているかを知ることが救いの確信の根拠になります。

救いの確信が揺らいだ時に大切なことは、私たちの思いを聖書の御言葉に合わせていくことです

イエスキリストは救いを完成される時、十字架の上でこう宣言されました。

ヨハネ19章30節「完了した」「テテレスタイ」これは「全額支払い済み」という意味です。救いは神様からの一方的なプレゼントとして与えられたものであり、イエス様が命をかけて、身代わりとなって与えてくださった救いは完璧です。私たちの行いが入り込む余地はなく、その救いは一度信じたら失われることはないのです。

3.福音を伝える

イエス様は今日の箇所ですべての人に目を覚ましていなさいと仰っています。それは、すべての人に福音を知ってほしいと望んでおられるということです。

では神様は福音を知らない人の元に誰を遣わすのでしょうか。それは先に救いに預かっている私たちです。

携挙はいつ来るかわかりません。それを考える時、人の死に対しても同じことが言えます。どちらもいつ人生に訪れるかわかりません。しかし必ず起こることです。携挙に対する備え、死に対する備え、どちらも福音を信じることが鍵となり、平安の中歩むことができるのです。

福音を伝えることにはある種の緊急性があります。

それは福音は携挙で引き上げられる唯一の鍵、死の問題に対する唯一の特効薬になるからです。

福音を伝える。イエスキリストの救いを大切な人に伝える それこそその人にできる最大の愛の行為だと思います。それはその人の永遠が変わるからです。

(M.N)

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