見出し画像

松田弘子(わたし)の2023年を振り返る

気がつけば2023年があと一週間で終わる。私の一年を振り返ってみます。ひと月一エピソードにしましたが、5月だけ二つのことを書きました。

1月
青年団『日本文学盛衰史』公演@吉祥寺シアター。まだ朝晩坐骨神経痛の痛み止めの薬を飲んでいた。ある日カバンに薬を入れ忘れたまま劇場に行っちゃって、よりによって午後と夜と公演が2回ある日で拘束時間が長く(間の時間に取りに帰ることも検討した)、どうなることかと気を揉んだが大丈夫だった。というと随分無責任みたいだけど、この演目は私は一回ごとの出番が短いのでもし痛みが出てもなんとかなるだろうと思ってはいました。

2月
世界装置の公演を見にいった。1時間のダンス公演なら座っていても痛くならず大丈夫なことがわかった。

3月
『ドライブ・マイ・カー』の一周年のお祝いの会があった。

4月
ひとごと。のダンスカフェ。昨年12月のはずだったのが延期になったもの。予定どおり12月だったら私は車椅子で参加するはずだった(歩きながらウクレレを弾くのはちょっと無理だった)。陽のあたる水際のウッドデッキを歌いながら歩くのが気持ちよかった。

5月
山田せつ子さんのワークショップに参加した。一人で踊るよりも人の踊りを見たり人と関係を持ったりすることのほうにいま自分の関心が向いていることがわかった。

劇団あしぶえ『セロ弾きのゴーシュ』をしいの実シアターで見た。

6月
大学生のときの学生寮の先輩と35年ぶりに会った。1月の『日本文学盛衰史』の公演のとき手紙付きの差し入れをくれたので、何十年ぶりに連絡が取れたのです。

7月
こまはアゴラ劇場にて、『コココーラ』上演。2018年初頭に荒悠平さんが書き上げた戯曲を「三年くらいかけてゆっくり上演を目指そう」と始めたプロジェクトが、パンデミックがあって五年かかった。結果的に、メンバーそれぞれにとって思い入れのあるこまばアゴラ劇場で上演できたのも、よかったと思う。
私としては、「いい戯曲だ。ぜひ上演したい」という思いだけで始めた企画だったんだけど、演劇にせよ他のものにせよ何かを人と一緒につくるやり方は実は本当にさまざまあること、他の人が何を大事に思っているのかは案外知らないままであること、だからいろいろ話をしたらいいということ、などがわかり、この企画で俳優としてのあり方などいちばん変わりいちばん得をしたのは私だと言われています。
そんな五年間の記録は、『小説・松田弘子』という書籍になっています。
https://co-co-co-la.wixsite.com/cococola/novel

8月
池田扶美代さんのワークショップ&ショーイングに参加した。この形式のものは私は3度め。参加者から出てくる動きをどう活かしてどう構成するかという扶美代さんの感性と手腕にいつも目をみはる。

9月
ドラマの仕事が決まり、スケジュールがなかなか決まらず、決まったら決まったで夜間撮影で体調管理が難しかったり。映像の仕事はいつもどうしても「アウェイ」な感じがしてたんだけど、なんかもうアウェイもホームもないような気分になっている自分に気づく。

10月
二十年ぶりにお葬式に出た。キリスト教の教会でのお葬式。

11月
ずっと見たいと思いながら機会のなかったスペースノットブランクを初めて見た。

 

12月
私が出演した2本の映画が、下北沢のミニシアター、シモキタ エキマエ シネマ K2で上映され、私は勝手に「松田弘子祭り」と呼んでいた。その映画とは、大美賀均監督の『義父養父』と高野徹監督の『マリの話』です。トークゲストとして登壇し、トークをしたりウクレレライブをしました。
なぜウクレレかというと、『義父養父』の中で私がウクレレを弾いて歌っていて、撮影時に監督に「舞台挨拶にはウクレレをしょって行きます」と約束していたからです。

というような年でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?