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一人でパ・ドゥ・ドゥーを踊る

山岸凉子先生の名作バレエ漫画『アラベスク』に、パ・ドゥ・ドゥーの相手の男性が意地悪をして支えてくれない、という場面が出てきます。

そのとき主人公のノンナは、一瞬バランスを崩してぐらっとするのですが、かつての厳しいレッスンでミロノフ先生から「相手役の手はただの添え物と思え」と言われたことを思い出し、相手に頼らず自分一人の力で、支えなしで最後まで踊り切ります。

演劇をやってきて、長年このことが私のよりどころでした。共演者とイメージを共有できなかったり、一緒につくっているという実感が持てないとき、人に頼らずノンナのように一人で、あたかも人の手に支えられているかのようにして、演じてきました。そうしないと倒れちゃうからね。

私の所属する劇団青年団では、「観客からどう見えているのかという判断は演出家に任せる」というやり方なので、共演者の反応に私が俳優として違和感があっても演出家がそれで特に問題ないと思っているなら(修正するよう言われないなら)それでOKなので、だから私にはノンナの一人パ・ドゥ・ドゥー方式が必要だったのです。

でも、私ちょっとノンナに頼りすぎかもな、と、最近思うようになりました。ついつい頑なになって、一人でパ・ドゥ・ドゥーを踊るしかないと思い込みすぎてしまっていたかもしれない。演劇の作り方はいろいろあるから時と場合によるだろうけど、実はあのときも、あのときも、あのときも、相手役は手を差し伸べていたんじゃないだろうか、私の想定と違うやり方で。支えの手は、あったんじゃないだろうか、私が欲しい位置と違うところに。私は、がんばって一人でパ・ドゥ・ドゥーを踊るんじゃなく、「どうしてその位置に手を出すの?」とか「ここに手を出してほしい」とか相手と話をすべきだったのかもしれない。そんな気がします。これからは、最終的に一人でパ・ドゥ・ドゥーを踊ることになるにしてもその前にもっと他の選択肢を試してみようと思います。

こんなふうに考え方が変わってきたのは、2018年からやっているコココーララボの活動の影響が大きいです。異なる欲望や問題意識を持った人たちが集まって「演劇を作るとはどういうことなのか」を考え続けているので、大変といえば大変なんですが、誰かと大変なことを共有する楽しさ面白さがあります。近年私はめんどくさがってそういう場を避けてきたのかもしれません。

そんなコココーララボの活動記録が書籍になりました。以下から購入できます。
https://co-co-co-la.wixsite.com/cococola/novel

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