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20240407 悲しいままだけど

悲しいけれど、ネガティブなだけの悲しみから愛しさなどの要素にぐっと注目してみたら見える景色がほんの少し変わって来た、そんな話。

ずっと気になっていた、ベランダの鉢の植え替えをした。

10代の終わりから休みが取れるとすぐに南の島に飛んで行った。どこにいっても灼熱の太陽と共に迎えてくれたブーゲンビリアが大好きだった。

その頃、弟と毎月お邪魔していた農業研究家の永田照喜治先生のお庭には素敵な東屋があって、ブーゲンビリアが生い茂っていた。
弟はいつもそこに座って、タバコを吸ってブーゲンビリアを眺めていた。
永田先生はうちの弟が大好きで、「たぺくん、いつになったらうちに来るの?うちで働きなさい。うちの子になってもいい。」と、毎月永田先生のお家に行くのを楽しみにしてくれていた。そして、たぺくんはブーゲンビリアが似合うね、と目を細めて笑っていた。

その冬、弟が急逝。
永田先生は、ご自宅の庭から抱えきれないほどのブーゲンビリアを持って弟のお別れに来てくれた。
真冬の庭から持ってきてくれたブーゲンビリアは枯れかけていたけれど、お店では買えない何よりの贈り物だった。
弟が大好きだった、永田先生のお庭のブーゲンビリア。
先生はずいぶんと長い時間、静かに弟の写真に向かい、涙を流して別れを惜しんでくれた。
震える先生の背中と、カラフルなマゼンタ。その光景が悲しくて悲しくて、ブーゲンビリアは大好きなのに悲しさのスイッチになってしまった。

沖縄に引っ越して来て、2年が経った。
一歩外に出ると、どこを見てもブーゲンビリア。毎日チクチクと胸が痛んだけど、それでもやっぱりこの植物が好きだな、と思った。
そうしたら、うちにブーゲンビリアがやってきた。
この春、沖縄を離れた大好きな友だちが残してくれた植木鉢のひとつが、ブーゲンビリアだった。

悲しい事は乗り越えなきゃ、早く忘れなきゃ、と思っていたけど、こうして悲しいと好きが同居する気持ちがあってもいい。
そして、改めて眺めると、私のベランダにはブーゲンビリアがよく似合う。
今日は大雨で灰色の風景だけど、晴れたら青い空と青い海に映えるだろうな。
優しさや愛に少し涙を混ぜたような、青みがかった濃いピンクのブーゲンビリア。

大切にするね。
ありがとう。

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